第14話(2)
狂うことのない秒針のリズムに、風竜はぼんやりと天井を見上げていた。
壁一枚隔てた向こうでは微かに生活音が聞こえる。何をしているのかまでは判断できないが。
知時世曰く、ここは病院でも何でもない、ただのアパートの一室だそうだ。
民間組織、特に名の知れた千万路組は通常の医療機関で受診することは難しいと以前、詩歌から教えられた覚えがある。恨みを買うことの多い自分たちが、そのような公共の場にいると、外部から暴動を持ち込まれることがあるらしい。
(だから闇医者とかと協力してるって言ってたっけ)
徐々に痛み始める右半身に意識がいく。初めの治療は、若頭補佐の彼の友人が担当してくれたようだ。
(で、今は寝る場所がないから一旦深雲の家にいるっつーコトね)
麻酔が切れてきたのか、鋭痛が目を覚ます。軽く額に汗を滲ませ、風竜は大きく息を吐いた。今になって思い出してきてしまい、とうの昔に捨てたはずの良心が疼く。
あの時は不鮮明に、目の前の人間を倒すということばかりが頭にあった。響の悲痛な声に触発され、似つかわしくない“守りたい”という感情の濁流に呑まれた。
眠くもないのに瞼を下ろす。頭が重い。
言影分析機たるものによると、当時は極度の集中状態にあり周りの認識が疎かになっていたそうだ。では一歩、踏み外したなら飼い主にも牙を剥いていたのかもしれない。
そう思うと、寝台に沈んだ背がぞっとした。
不意にドアの開く音がする。数歩の足音ののち、カーテンが開けられた。
「昼飯だ、起きろ」
深雲は無愛想にそう言い、両手に持ったトレイを差し出す。その上には粥や味噌汁が並んでいた。
病人の扱いかと文句を言いかけて、彼は口を噤む。青年の垂れ目はいつにも増して物憂げだったのだ。
上体を起こし、渋々受け取る。ほのかに湯気を立たせる白はほぼ水のようだった。
食べ終わったら床に置いておけと言って、金髪の彼は去ろうとする。気まずい雰囲気に耐えられず、風竜は咄嗟に呼び止めた。
「ごめん深雲。殴って、ごめん」
偽りのない素直な謝罪だった。ピアスの彼は足を止め、振り返る。左目の下から口の端にかけて、大きなガーゼが皮膚を覆っていた。
低い声音はそっけなく、あっそ、と返す。怒りが冷めていないのは嫌でもわかった。
「仕方ねぇことだったんだろ」
突き放された気がして、風竜は声を詰まらせた。そうと言えばそうだが、制御できなかった自分にも非がある。
言い訳がましいことは承知の上で、彼は本当に言影を持っていたことは知らなかったと零した。勢いで唱えた文言も、初めて口にする言葉だったと。
「けっこう怖いんだな、言影って」
無我夢中だった時は何でもなかった、疑問にすら思わなかったのに、気持ちが落ち着いてしまうと異常なことだったと思い知らされる。
唐突に、理解を超越するような力が自身の体から放たれたのだ。
風竜の場合、彼が我を忘れていたため遅れての認知となった。しかしこれが深雲や詩歌のように、正気の状態で人外的な攻撃が眼前に繰り広げられたならどうだろう。
間違いなく、自分は人でないと感じてしまうのではないか。
少年の言葉を聞いて、ピアスの青年はベッドに腰掛けてきた。驚いて黄色い目を瞬かせる。
深雲がこちらを見てはくれなかったが、ぽつりぽつりと話し始めた。
「オレが発現させたのは一年前だって教えたよな」
母子家庭で育った彼は、母親や姉の深麗とも不仲だったそうだ。家出同然にこの街に出て、一人で生きようとしたらしい。
だが大学に通い始めて間もなく、体に違和を感じ始める。頭の隅に聞き慣れない文言が浮かび続け、気味悪く思っていた。
「で、風呂入るときに鏡を見て、こうなってた」
彼は自身の服の裾をたくし上げ、背を露わにする。包帯が巻かれているその上、丁度、風竜が向いている方の肩甲骨あたりに、それはあった。
裂傷に似た、あるいは音の波を表しているような。
言影の証が黒く皮膚に刻まれていた。
「オレもニュースで見るみてぇな野蛮人になんのかって、絶望した」
深雲は服を戻しつつ言う。持たざる者だった頃は、所持者を犯罪者予備軍だと思って嫌っていたと。しかし、自分がそれになってしまった。
「まぁ今はそんな偏見ねぇけどよ、どんな法則でヒトに宿んのかわかんねぇから、別に気負わなくていい。怖ぇのは当たり前だ」
そう締めくくり、金髪はやっと少年の方に視線を向ける。が、風竜はもぐもぐと頬に粥を詰め込んでいた。
人が懸命に話しているというのに何様だと怒られたが、彼は空腹に負けたと言い返す。同時に話は聞いていたのだからいいだろうと弁護した。
味噌汁を飲み干して、黒髪の少年は神妙な顔つきで言う。
「あんたはすげーと思うぜ、逃げないで千万路組に来たんだから。言影持ちって、だいたい隠して一般人のフリするんだろ。でもあんたはそうしなかったじゃん」
率直な台詞に深雲は目を逸らす。思わぬところで褒められたのが照れたのか、首裏を掻いてみせた。
「……そりゃどーも」
いくらか流れる空気が和む。体はまだ痛むが、胸はもう痛くなかった。
少し赤くなる彼に少年は
秒針は止まることなく、変わらず一秒を刻み続ける。風竜は久しぶりに笑えた気がした。
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