第6話 わたげはわたげで、ふっわふわ


 荒良々の声が部屋中に響き渡る。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らす荒良々。

 その視線の先には……。


「……え?」

「ん?」

「は?」

「え?」

「?」

「えっと……え?」

「あ?」

「へ?」

「え?」

「……え?」


 視線が三者の間で行き交う。

 俺は今一度、荒良々に視線をやって、



「……え?」

「“え”じゃないだろ“え”じゃ!」



 眉間にしわを寄せ、荒良々が吠えた。

 

「誰だその女はと私は聞いてるんだ!」

「誰だその女はって……」

「誰だその女はって、どういう意味?」

「誰だその女はっていうのは、わたげが誰だっていう意味だ」

「その女は何?」

「荒良々から見たわたげだ」

「荒良々って何?」

「荒良々虎子だ。俺のクラスメイトだ」

「クラスメイトって何?」

「クラスメイトは……」

「それはもういいだろ」


 荒良々が俺と彼女の会話をピシャリと終わらせる。


 荒良々の視線は最初からずっと、俺のとなりに座る彼女に注がれていた。

 目を細めて彼女をじっと睨んでおり、野生動物が威嚇しているような、そんな緊張感が漂う。


「誰だその女は。答えろ」


 荒良々に睨まれてもケロッとしていて、丸くて大きい瞳を純粋無垢に揺らす彼女。


 色白で柔肌で、西洋人形のような、精巧に作られたかのような整った容姿。

 いわゆる美少女であり、身長が150cmに満たないほどに小さく、それゆえに庇護欲をそそられる。



「――四月一日わたぬきわたげ。一年の後輩だ」



 俺が言うと、荒良々は目を見開き、


「……中学一年生?」

「高校一年生だよ。俺たちと同じ高校の。ほら、学校指定のネクタイもしてるし」

「確かに……それに、よく見れば中学生なわけがないな」


 荒良々がわたげの胸辺りを凝視する。

 ピンク色のわしゃわしゃな髪が、かかっているというより乗っかっていると言った方が正しい起伏。超高校級であることは間違いない。


「……そうか。後輩か」

「何なら三月三十一日生まれだから、ほぼ二コ下だな」

四月一日わたぬきなのに一日早かった」

「鉄板ネタだもんな」

「あつあつ」

「そ、そうか……」


 再び沈黙が流れ、少しして荒良々がピタリと固まった。


「で、なんでさも自分の家みたいにしれっと上がって、風呂のとなりで優雅に読書を決め込んでるんだ? どう考えてもおかしいだろ。しれっと他人の家にいるなんて」

「それを言ったら荒良々もだと思うけど」

「それは一旦置いておけ。で」

「なんか置かれた」


 スムーズすぎて口を挟む余念がなかった。


「どういうことだ。ちゃんと私に説明しろ」


 荒良々の目は変わらず鋭くて厳しい。


「んー……まぁ説明すると、わたげは俺のちょうど二コ上に住んでるんだ」

「住んでる」

「でもたまに、自分が何階に住んでるのかわからなくなるんだ」

「わからなくなる」

「横軸は覚えてるんだけど、縦軸がな」

「縦軸が」

「難しいんだよな」

「難しい」

「なんだその合いの手は」


 わたげなりに補足しようとしているんだろう。

 まぁ、補足になってないんだけど。


「しかも、よく家の鍵を忘れて」

「鞄にない。焦る」

「それで、家を間違えてるうえに鍵も忘れるっていう二つの間違いを犯した状態で、俺の家の前に座ってることがよくあったんだ。な?」

「な」

「それが馴れ初めだ」

「だ」

「聞いたところでよくわかんなかったんだが……」


 荒良々がこめかみに手をあて、「んー」と唸る。


「ひとまず、馴れ初めはそのまんま丸ごと飲み込んでおく。何とかな」

「ありがとう」

「ありがと」

「で、そこからどうして今に至るんだ?」


 確かに、それを説明しないといけなかった。


「これも簡単に言うと、わたげが俺の家の前に座ってることがよくあって、まぁ寒そうだったしウチに上げることが何回かあったんだよ」

「ありがと」

「うん。で、いつの間にか鍵忘れてなくても普通に家に来るようになったから、だったら適当に家入ってくれ。ドア開けるのめんどくさいからってなって……」

「ん?」

「まぁ元々鍵閉めないしな、俺」

「何してんだお前は!!」


 まぁまぁと荒良々をなだめ、説明を締めくくる。


「それで、現在に至る」

「至った」

「意味がわからないぞ……」


 荒良々が呆れたようにため息をつく。


「……ま、まぁいい。もういいそれでいい」

「ありがとう」

「ありがと」

「……だけどお前、さすがにそこまで距離感が近いのは……ど、どうなんだ?」

「え?」

「え?」

「そ、そもそも! わ、四月一日……お前の両親は知ってるのか?」

「何が?」

「そ、その……ひとり暮らしの男の家に、頻繁に出入りしてるっていうのは」


 首をかしげるわたげに対し、こほんと咳払いをして荒良々が言葉に熱を込める。


「ふ、不健全だろそんなの! 親だったら絶対に心配する!」

「なんで?」

「だ、だって……お、お前らは年頃の男と女だ! それをちゃんとわかってるのか⁉」


 それを言ったら、わたげよりも理由なく俺の家にいる荒良々もだと思うけど……。


「親は大丈夫」

「大丈夫? なんでだ」

「だって――」


 わたげは汚れも知らない瞳で荒良々を見つめて言った。



「二人とも嬉々として、自ら進んでブラック企業で社畜戦士してるから。私を気にする余力ない。すごくワーカホリック」

「なんだその変な両親は!!!」



 そう言って、はっと我に返る荒良々。


「わ、悪い。変とか言って……」

「ありがと」

「謝ってくれて、がないと変な感じになるから」

「そっか。ありがと」

「感謝を忘れない、いい子だな……」


 わたげがいい子なのは間違いない。

 ただ、かなりぼーっとしているだけだ。


「で、でも親からしたら色々思うところはある。とにかく、心配だ。ほんとに、心配だ……」

「なんで荒良々が親目線なんだ」


 俺が言うと、荒良々は目力を強めて思い出したように言った。


「ってかそもそもお前ら、どういう関係なんだ?」

「どういう関係って……」

「関係……」


 わたげと見つめ合い、考える。

 少しして荒良々に視線を戻し、わたげとふたりして首をかしげて呟いた。



「「……どういう関係なんだろ」」



「意味深な発言やめろ!」

「意味深って言われても、言葉の通りだしなぁ……友達でもないし、隣人でもないし」

「先輩後輩も、ちょっと違う」

「だよなぁ」

「なぁ」

「なぁじゃない!」


 俺から聞き出すのを諦めたのか、荒良々はわたげをロックオンする。


「だったら、お前は風呂のことどう思ってるんだ!」

「わたげが、タローのこと……」


 わたげがじっと俺を見る。

 ちなみにタローとは俺のこと。子太郎から、長くてめんどくさいからタロー。わたげが決めた。


「…………」

「…………」

「…………」


 荒良々がゴクリと唾を飲み込み、わたげの言葉を待つ。

 わたげは黙って俺を見続けると、無表情のまま言った。





「…………好き」





「…………あ。うん、ありがとう」

「ありがとうじゃないだろ!」


 まずはありがとうだと思って。

 それにわたげのはきっと……。


「好きって、好きなんじゃないか! 好きってことはつまり、そういうことなんじゃないか!!」

「好き」

「二回も言ってるんだぞ⁉ 二回も!!」


 荒良々のボルテージがどんどん上がってくる。

 とうとう前のめりに、わたげに顔をグッと近づけた。


「好きなんだよな⁉」

「好き」

「お、お前……!」

「いや……」

「風呂は口を挟むな! 黙ってろ!」


 えぇ……。


「ひとつ聞かせろ。ま、まさかだとは思うが……その……」

「何?」

「っ! そ、その……だな」


 荒良々が躊躇い、視線を彷徨わせる。


「お前ら……ま、まさか……」


 やがて拳をぎゅっと握ると、意を決したように荒良々が訊ねた。




「い、一緒に寝たりとかしてないだろうな⁉」

「寝た」




「…………へ?」

「寝た。いっぱい」

「…………」

「……ちょっと待て。わたげ、今の言い方じゃ」


 荒良々が俺の言葉を遮り、天井をぶち抜く勢いで言い放った。




「何してんだお前はぁああああああああ!!!」




 俺の肩を掴み、ぐわんぐわんと激しく揺らす。


「自分が何をしたのかわかってるのか⁉ 寝たんだぞ⁉ まだ若いのに、まだ責任も取れないのに! そそそういうことは……け、結婚してからだろうが!!!」


 絶対勘違いしてる気がする。

 何なら初めから。


「こんないたいけな少女を……お前……!!」


 そして、荒良々は今日一番の声量で叫ぶのだった。






「私はお前の事、そんな風に育てた覚えはないぞ!!!」






 ……いや、どんな風にも育てられた覚えがないんですけど。




















 ――三十分後。


「そ、そういうことか……全部、私の勘違いだったのか……」


 腕を組み、荒良々が確認するように俺とわたげを見る。


「つまり、四月一日の好きは恋愛的な好きでもないし、寝たのも一緒に寝落ちしただけ。そういう関係は一切ない、と。そういうことだな?」

「そうだ」

「そう」

「そうか……まぁ、それだけでも色々と引っ掛かるが……」


 荒良々が腕を解くと、俺たちに向かって勢いよく頭を下げた。


「勘違いして悪かった。取り乱して、その……悪かった」

「別にいい。なんか楽しかったから」

「そ、そうか……楽しかったのか」

「うん、楽しかった」

「っ! ……そうか」


 赤くなった頬を咳払いで誤魔化し、荒良々がわたげに視線を向ける。


「迷惑をかけたお詫びだ。私に何かしてほしいことがあれば、なんでも言ってくれ」

「いいの?」

「遠慮するな」

「じゃあ……」


 わたげが立ち上がり、荒良々の制服の裾をちょこんと摘まむ。

 上目づかいで、無表情のまま言った。





「一緒にお風呂入りたい」

「わかった。入ろう」





 ――さらに、三十分後。


 風呂場から聞こえてくる、シャワーの音と話声。

 俺はリビングのソファーに座り、ぼーっと天井を眺めながら呟いた。


「……え、何この状況」

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