第4話 「捨てたわけじゃない。ただ、見えるところに置いておくと、前に進めない気がして。」

四年前。

魔王城が崩れ落ちたあの朝から、カミオンの計算は始まっていた。


魔王城が完全に崩落するまで、三日かかった。

その三日間、リーナは一度も魔王城の瓦礫の前から離れなかった。


食事を持ってくる者があっても口をつけなかった。眠ろうとしなかった。


ただ瓦礫の山を見続けた。

右手はいつも剣の柄に触れていた。

戦う相手がいれば良かった。

しかし戦う相手はどこにもいなかった。瓦礫は動かない。


「スミス!」


瓦礫は答えない。

何度呼んでも、声は石の山に吸い込まれるだけだった。


三日目の夜明け、カミオンが捜索魔法に長けた王国付きの魔法師を連れてきた。


老いた魔法師は廃墟の前で両手を翳し、しばらく目を閉じていた。


「廃墟の内部に生命反応はありません。」


その言葉が落ちた瞬間、リーナは膝から崩れた。

声も出なかった。

泣くことすらできなかった。

ただ地面に手をついて、そのまま固まった。

エルカが叫んだ。


「嘘だ!もう一度調べて!スミーはそこにいる!絶対いる!」


「エルカ……。」


シーナが静かにエルカの肩を抱いた。

シーナ自身の手が震えていた。

老いた魔法師は静かに首を横に振った。


カミオンはその場面を見ていた。

三人が崩れ落ちていく様を、静かな目で。

そして胸の奥で、一つの言葉が浮かんだ。


「…好機だ。」


その言葉に、自分でも驚いた。

しかしすぐに心の中で理由を並べた。

スミスは死んだ。

三人は傷ついている。

支えが必要だ。


俺が支えなければ誰がする。

これは保護だ。

義務だ。

リーダーとしての責任だ。


そうして自分を納得させながら、カミオンは動き始めた。


スミスという男は、三年間、カミオンの中で引っかかりのある存在だった。


目立たない仕事を黙々とこなす盗賊。

しかし三人の目は、いつもスミスに向いていた。

カミオンが三人を誘えば「仕事ですね」「はい、カミオンさん」「えー面倒くさい」。


それがスミスだと「いいわよ!」「スミスさんが言うなら仕方ありません。」「いいよー!」。


カミオンは三年間、それを胸の内で数え続けていた。

勇者であることは誇りだ。

しかし誇りは、欲しいものを全て手に入れる鍵ではなかった。


スミスが死んだ。

その事実が、長く燻り続けた火に静かに油を注いだ。


一年目。 

カミオンはまず三人を実務に巻き込んだ。

魔王が倒れたと言っても、世界は混乱していた。


各地の魔物掃討、国境の再整備、復興支援。

三人に役割を与え、沈んだ心に目的を持たせた。それ自体は正しいことだった。


しかしカミオンは同時に、スミスの話題が出るたびに少しずつ未来の話にすり替えた。


「スミスが死んだ以上、我々は前を向かなければならない。」


「スミスも、俺たちが止まっていることを望まないはずだ。」


「悲しむ時間は必要だ。しかし、いつまでも立ち止まってはいられない。」


一年目、リーナは変わっていった。


もともと感情を表に出さない女戦士だったが、スミスの死後、さらに無口になった。

任務では誰よりも先頭に立ち、誰よりも激しく戦った。

まるで戦うことで何かを忘れようとするかのように。

夜は眠れていないのが分かった。

目の下に隈が消えることがなかった。

しかし「眠れているか」と聞けば「問題ない」と言った。


誰かに弱みを見せることが、スミスへの裏切りだと思っているのかもしれなかった。


エルカは研究に没頭した。

瓦礫の中の人間を助ける方法。

魔力で固定された瓦礫を安全に動かす魔法。

それが難しいと分かると、次は死者との通信魔法を研究し始めた。


それも壁に当たると、今度は時間を遡る魔法の文献を漁り始めた。


「スミーを助けられなかった。わたしに才能があるなら、どうして。」


そう言いながら、エルカは夜も昼も魔法書を読み続けた。食事を忘れることが増えた。体が細くなっていった。


一年目の秋、エルカが倒れた。

過労だった。

シーナが手当てをしながら泣いていた。


エルカは意識が戻ると


「まだ調べることがある。」


と起き上がろうとしたがシーナが押しとどめた。


シーナは、表向き最も安定していた。

神殿での仕事を淡々とこなし、三人の中で最も日常を保っていた。


しかし、毎朝毎晩、神殿の奥で一人祈り続けた。

生命反応がないと言われても、祈ることをやめなかった。


「神様、スミスさんを返してください。」


その祈りを誰にも見せなかった。


カミオンはその変化を丁寧に観察した。


そして丁寧に、それぞれへの接し方を調整した。

リーナが無謀な行動をすれば、叱るのではなく静かに傍に立った。

任務が終わると


「よくやった。」


と褒める。


リーナは誰かに認められることを、ずっと求めていた。


エルカが落ち込んでいれば、珍しい魔法書を手に入れてきた。


「お前の研究の役に立つかもしれない。」


と言いながら渡した。


エルカが


「ありがとう。」


と言うとき、その目が少しだけ温かくなった。


シーナには何もしなかった。

ただそこにいた。

シーナが一番必要としていたのは、干渉ではなく存在だった。


それ自体は嘘ではない行動だった。

カミオンは確かに三人を助けていた。


ただその動機の底に、計算が混じっていることを、カミオン自身は見て見ぬふりをし続けた。


二年目に入ると、三人の様子がさらに変わり始めた。


エルカが


「スミーは死んでない。」


と言わなくなった。

研究から手を引いた。


仕事をこなすようになったが、笑わなくなった。

あの賑やかさが嘘のように消えていた。


リーナは任務中に無謀な行動を取ることが減った。代わりに、目の光が変わった。

何かを諦めたような、静かな目になった。

それがかえって辛かった。


シーナは神殿での仕事の時間を増やした。

朝から晩まで働いた。

疲れ果てるまで働けば、余計なことを考えずに眠れた。それだけが理由だった。


三年目の冬、リーナがスミスの形見を整理した。

使っていた道具、残していった小物、旅の中で集めた欠片たちを木箱に丁寧に収めて、鍵をかけた。


「捨てたわけじゃない。ただ、見えるところに置いておくと、前に進めない気がして。」


そう言ったリーナの声は、静かだった。

怒りも涙もなかった。それが一番辛かった。


その夜、エルカが初めて


「もうスミーは戻らないのかもしれない。」


と言った。

声が震えていた。


シーナは何も言わなかった。

ただ二人の手を握った。


カミオンはその翌日、婚姻の話を切り出した。

タイミングは計算していた。三人が最も消耗した瞬間を待っていた。


「政治的な安定のために、身近な婚姻相手が必要だ。外国の王族との縁談を断るための盾として、三人に選択肢を提示したい。これは強制ではない。ただ、前向きに考えてほしい。」


三人は沈黙した。

リーナがゆっくりと言った。


「時間をくれ。」


一ヶ月後、また同じ話をした。


三人はまた黙った。

二ヶ月後、カミオンはまた話をした。


リーナが


「もう少し待ってくれ。」


と言った。


カミオンは待った。

急がなかった。

急ぐ必要がなかった。

時間は自分の側にあると分かっていたから。


そして四年目の春、三人はついに頷いた。

疲れ果てた末の、静かな頷きだった。


式は三日後に行われる予定だった。

その夜、カミオンは一人で酒を飲んだ。

計算通りだった。

全て、計算通りだった。


それなのに、胸の中に何かが残った。

小さな、しかし消えない何かが。

カミオンはその感覚を、酒で押し流そうとした。

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