処分の通達と、新たな誓い 



 家に帰り着いた時、三人とも無言だった。


 悪い沈黙じゃない。戦いの余韻と、それが終わった静けさが混ざり合って、言葉よりも沈黙の方が自然な、そういう夜だった。


 あかりが先に口を開いた。


「……お茶、淹れるね」


 それだけ言って、台所に向かった。


 俺と澪さんはソファに腰を下ろした。体の疲れが、じわじわと染み出してくる。自己強化の反動が思ったより重く、右腕から肩にかけてが鉛のように重だるい。澪さんの治癒で傷は塞がったが、筋肉の疲労まではどうにもならない。


「悠真さん、腕は痛みますか?」


「鈍く痺れてる程度だ。大したことはない」


「無理しないでくださいね」


「してない」


「……顔に出てますよ」


 俺は何も言わなかった。


 澪さんが静かに笑った。


 しばらくして、あかりがお茶を三人分持ってきた。湯気が立ち上る温かい色をした液体が、今夜の疲れに染み渡るようだった。


「はい、悠真くん。あったかいの飲んで」


「ありがとう」


「澪ちゃんも」


「……ありがとうございます」


 三人で、黙ってお茶を飲んだ。


 虫の声が窓の外から聞こえている。戦いの気配は、もうどこにもない。


 あかりがお茶を一口飲んでから、「ねえ」と言った。


「今日で、本当に全部終わったよね」


「ああ」


「クラウスも捕まったし、ユリウスたちも国外追放が確定したみたいだね」


「……そうなるな」


 あかりが俺を見た。


「悠真くん……最初に追放されてきた時のこと、覚えてる?」


「覚えてる」


「あの頃と比べて、今どう?」


 俺は少し考えた。


「……別人みたいだと思う」


「そうだよ。別人みたいだよ」


 あかりが静かに笑った。いつものにぎやかな笑いとは違う、柔らかい笑顔だった。


「よかった。悠真くんがここに来てくれて、私もよかったって思ってる」


「……世話をかけたな」


「かけられてないし。私が転がり込んだんだもん」


 澪さんが小さく頷いた。「私も、同じです」


 あかりがお茶を飲み干して立ち上がった。


「よし、私はもう寝る。今日は本当に疲れた。二人もゆっくりしてね」


「ああ」


「おやすみ、悠真くん。おやすみ、澪ちゃん」


「おやすみなさい、あかりさん」


 あかりの足音が廊下を遠ざかり、部屋の扉が静かに閉まった。


 リビングに、俺と澪さんだけが残された。


 ---


 しばらく、二人で黙ってお茶を飲んでいた。


 沈黙が苦じゃなかった。戦いの疲れと夜の静けさが、変に言葉を探す必要をなくしていた。ただ、温かいお茶と虫の声と、澪さんの気配が隣にある。


 それだけで、十分だと思った。


「悠真さん」


 澪さんが口を開いたのは、お茶が半分ほど冷めた頃だった。


「なに?」


「今日……怖かったです」


「また来るとは思わなかった」


「ええ。でも」


 澪さんが俺を見た。


「それより怖かったのは、悠真さんが一人で術者のところへ行った時です」


「……すまない」


「謝らなくていいです」


 澪さんが首を振った。


「あの判断は正しかったと思います。でも……行ってしまった背中を見た時、胸がぎゅっとなって」


「澪さん」


「もし戻ってこなかったら、と思ったら」


 澪さんの声が、わずかに揺れた。


 俺は言葉を探した。気の利いたことは出てこない。それでも、黙っているのは違う気がした。


「戻ってきた」


「……はい」


「これからも、戻ってくる」


 澪さんが俺を見た。


「約束、できますか」


 また、その言葉だ。


 昨夜も、同じことを聞いた。俺は同じように答えた。


「できる」


 澪さんが、ゆっくりと息を吐いた。肩の力が抜けるように、体がこちらに傾いてくる。昨夜と同じように、頭が俺の肩に寄りかかってきた。


 今夜は、驚かなかった。


 自然に受け止めた。


「……疲れました」


「ああ。今日は色々あった」


「でも」


「でも?」


「終わりました」


 澪さんの声が、静かに溶けるように響いた。


「本当に、終わりましたね。悠真さん」


「ああ」


 俺は窓の外を見た。


 星が出ていた。辺境の村の夜は暗い分、星がよく見える。追放されてこの村に来た最初の夜も、こうして星を見た。あの時の俺は、何もなかった。居場所も、仲間も、先も。


 今は、ある。


「澪さん」


「はい」


「ここに来てよかった」


 澪さんが、俺の肩の上でわずかに動いた。


「……私もです」


 その声が、耳元で温かく響いた。


 ---


 澪さんが眠ったのは、それからしばらくした後だった。


 昨夜と同じように、俺の肩に頭を預けたまま、静かに寝息を立て始めた。


 俺は動かなかった。


 星空を眺めながら、今日一日を静かに振り返った。


 使者の到着。証拠の提出。国外追放の布告。束の間の安堵。警報の音。クラウスとの最後の戦い。自己強化の感覚。術者の魔道具を砕いた瞬間。澪さんの光が夜を一掃した光景。


 全部、終わった。


 ユリウスたちがこの国に戻ることは、二度とない。俺を「役立たず」と嘲笑った連中が、今頃どこで何を思っているかは知らない。でも、もうどうでもよかった。


 奴らへの怒りより、今この瞬間の温かさの方が、俺にはずっと大事だ。


 やれやれ……ずいぶん変わったものだ、俺も。


 澪さんの寝息が、規則正しく続いている。


 この人と出会わなければ、俺はただの追放された役立たずのままだったかもしれない。いや、きっとそうだった。【強化】スキルの価値も、自分の可能性も、守りたいという気持ちも、何も知らないままだった。


「……ありがとうな」


 声に出したら、少し恥ずかしかった。


 澪さんには聞こえていない。それでいい。これは、俺自身への整理だ。


 眠っている澪さんの顔を、一度だけ見た。


 穏やかな寝顔だった。戦いの緊張も、過去の恐怖も、今この瞬間はどこにもない。ただ静かに、俺の肩で眠っている。


 これを守れてよかった、と思った。


 ---


 翌朝、目を覚ますと自分のベッドにいた。


 澪さんをソファに横にしてから、自分の部屋に戻ったのだろう。昨夜の記憶が少し曖昧なほど、疲れていたらしい。体の重だるさはまだ残っているが、昨日よりずっと軽い。


 廊下に出ると、台所から朝の匂いがしていた。


「おはよ、悠真くん」


 あかりが振り返った。今日はスープを作っているらしい。


「おはよう」


「よく眠れた?」


「ああ」


「澪ちゃんはもう起きてるよ。あそこ」


 あかりが視線で示した先に、澪さんが窓際に立っていた。朝の光の中で、外を眺めている。俺の気配に気づいたのか、振り返った。


「おはようございます、悠真さん」


「おはよう」


 目が合う。


 昨夜のことが、一瞬頭をよぎった。肩の温もり。「約束できますか」という言葉。星空の下の静けさ。


 澪さんの頰が、朝の光の中でほんのわずかに色づいた。


 俺も、顔が熱い気がした。


「悠真くん」


 あかりがにやにやしながら言う。


「顔、赤くない?」


「赤くない」


「嘘だあ」


「赤くないと言っている」


「澪ちゃんも赤いよ」


「あかりさん、スープが」


「あ、ほんとだ!」


 澪さんが静かに話題を断ち切った。あかりが慌てて鍋に向き直る。


 俺は椅子を引いて腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。


 やれやれ……今日も、あかりには敵わない。


 でも。


 三人で囲む食卓が、朝の光の中に広がっている。スープの温かい匂い。澪さんが静かに俺の隣に座った。


 昨日まで続いていた長い戦いが、終わった。


 これからは、この温かさが続いていく。


 それだけで、十分だと思った。


 やれやれ……悪くない朝だ。


 ……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る