第11話:似たもの同士


(あとは、この娘の目が覚めるのを待つしかないのか……?)

セリオスはパチパチと心地よく爆ぜる暖炉の火の前に座り込みながら、毛布に包まれた少女の体を優しく支える。部屋の明かりの火はすべて消され、この静かな空間を照らすのは目の前の揺らめく橙色の炎だけ。


帰宅した直後──彼はすぐさま溜めていた水を火魔法で適温に温めると、濡れて冷え切った体を癒やすために、彼女と共に風呂に入った。それ故に、すっきりと汚れを落として浴室から上がった今のセリオスは、いつもの外出着ではなく、薄手の黒シャツにライトグレーのスウェットパンツという楽な部屋着に身を包んでいる。


(まさか、夏場に暖炉の火をつけることになるとは思わなかったな……。)

腕の中の彼女には、当然ながら替えの衣服などない。そのため、やむを得ず彼が普段あまり袖を通すことのない私物の白シャツを着せていた。


無論、鍛え上げられた大人の男と華奢な少女では圧倒的な体格差があるため、サイズが合うはずもなく、彼女は完全に服に着られている状態である。具体的に言うならば、長すぎる袖はその細く小さな手をすっぽりと完全に隠し、裾の方は太もものあたりまで届いていて、まるでオーバーサイズのぶかぶかなワンピースのようになっているのだ。


「……早く元気な顔見せろよ、眠り姫。」

そう揶揄うようにポツリと呟いた後に、(いや、夜の海の波打ち際にいたんだから、状況的には人魚姫の方が合っているか?)という考えが一瞬脳裏を過ぎったが、彼はあえて言い直すことなくそのまま彼女の寝顔を覗き込む。


その陶器のように滑らかな白い肌には、彼女の長いまつ毛の濃い影が落とされていた。

この少女の顔の造形があまりにも整いすぎているせいで、一瞬趣味の悪い精巧な人形ではないかと疑いたくなるほどだが、呼吸のために小さく上下する胸の動きは先程よりも明らかに深くなっている。人形には決して再現できないであろう肌の柔らかさと繊細さ、そして徐々に生きようと熱を帯びていくその身体が、何よりも彼女がれっきとした生きている人間であることを証明していた。


(にしてもあの服、どうしような……。)

セリオスはふと彼女から視線を外し、部屋の隅へと目を向ける。


そこには、彼女が身に纏っていた、光の当たり具合で七色に輝く美しい純白のドレスと、繊細な織りのヴェール、そしてストールのようなものが紐に掛けて干されていた。その下には、ティアラや髪飾りなどの豪奢な小物が丁寧に上に置かれたタオルが敷かれている。


(タオルで水分を取ったあとに、火魔法でなんとか乾かせはしたが……。

さすがに、海水にがっつり浸かった服をそのまま着せるのは可哀想だよな。かと言って、生地が繊細すぎて、オレが下手に洗いでもしたら一瞬で破っちまいそうだし……。)


──そうやって少し考えを巡らせた末に、彼は明日にでも洗濯屋に頼ることを決断した。


その洗濯屋は、彼が拠点にしているフェリルカ村で水魔法使いが営んでいる小さな店であり、手洗いで落とすのが難しい頑固な汚れの除去目的や、彼女の技術に惚れ込んだ綺麗好きな住民たちが主に利用している所である。


この世界において、妖や神の相手ができるような特異な能力者はごく僅かだが、このように日常生活を快適にするのに特化した生活魔法の使い手はかなり多く、その精度も非常に高い。この村には他にも、火魔法で街灯やかまどに火を灯す者、木魔法で高い場所の物を採取したり作物の成長を促進させたりする者など、それぞれの魔法の特性を仕事に活かして平穏に暮らす人々が大勢いる。


「……はぁ。オレにできることは今のとこもう無さそうだし、寝るか……。

今日はせっかくの休みだってのに、むしろ色々ありすぎて疲れが増す一方だったわ……。」

セリオスは、彼女の柔らかい頬を軽く指先でつつきながらそう愚痴をこぼすと、今度こそ朝まで泥のように眠ろうと、ゆっくりと目を閉じた。


──視界が完全に閉ざされると、それと引き換えにするようにして聴覚が鋭くなっていく。さらさらと、窓の外で優しく木の葉を揺らす夜風の音。微かに聞こえる、夏の虫たちの鳴き声。

そして、暖炉の爆ぜる音の聞き間違えだろうか。コソコソと囁くような声が、腕の中のすうすうという小さく愛らしい寝息に重なって聞こえた気がした。


そうして目を閉じてただ静かに酸素を吸い込んでいるうちに、セリオスの呼吸は段々と落ち着いていき、腕の中の少女の胸の動きと同調していく。

意識が急速に微睡みへと溶け込み、幻聴や夢の断片が視界の裏に混ざり始めたその時──彼は、そのまま誰にも邪魔されることのない、深い眠りへと就いた。



─────

──



『……ぁ。』

重い瞼を開けた時──真っ先に視界に飛び込んできたのは、木造りの知らない天井。


自分が横たわっているのは、ベッドでも布団でもなかった。それは、硬い床の上に敷かれた、一枚の分厚い毛布。体にかかっているのも、掛け布団ではなく男物の大きな上着だ。


それに加え──ずぶ濡れだったはずの体はいつの間にか乾いており、自分の体格には合わない、見知らぬ衣服に包まれている。


『……お、無事に意識は戻ったみたいだ。おいチビ、名前は言えるか?』

耳に届いたのは、言葉の端々に荒っぽさはあるものの、決して突き放すような冷たさのない、不思議と温かみのある声。その声がした方へと、俺は力なく視線を向けた。


すぐに目に留まったのは、逢魔が時の不気味な空の色を思わせる、鮮烈な赤色の髪。そんな髪の持ち主の男は壁際の椅子に深く腰掛け、その夜闇に潜む獣のような琥珀色の瞳で、俺の顔を鋭く捉えている。


『……っあ、俺……ッ!』

その男の問いかけに答えようと、俺は慌てて身を起こしながらそう口を開いた。


だが、喉の奥に残留していた水が気管に入り込んでしまったのか、突如として激しい咳に襲われ、最後まで言葉にならない。

『ぅ……ッ!ゴホッ、ゴホッ……!ゲホッ……ぐ、っ……!』


そう重く咳き込んでいると、赤髪の彼の隣に座っていた紺色の髪の人が急いで立ち上がり、俺の元へと駆け寄ってきた。すると、その人はしゃがみ込み、自身の細い手で俺の背中を優しく一定のリズムでさすり出す。

『君、大丈夫……?! まだ目覚めたばかりだから、無理はしないで……!』


その二人の容姿を見る限り、おそらく彼らは自分よりも四歳ほど年上のように見えた。

今、自分が直面している絶望的な問題は、十二歳で何の特別な能力も持たない子どもが一人でどうにかできるような生易しい話ではない。いち早く大人の能力者に知らせて、俺の村を、父さんと母さんを、助けてもらわなければ。

そう切迫した俺は、自分より明らかに強く、年上である目の前の二人へと真っ先に縋ろうとする。


『たす、け……。』

咳がようやく落ち着き始めた時、枯れた喉から声を必死に絞り出し、俺はそう言葉を形にしようとした。


『あ?』

掠れた小さな声が上手く聞き取れなかったのか、赤髪の男がぐいっと身を乗り出しながら不審そうに聞き返してくる。


『俺の、村が……! 化け、物に……助けてくれ……ッ!』

必死に状況を伝えようとするが、あの時に見た地獄のような光景が一気に脳裏にフラッシュバックして、身体がガタガタと激しく震え出した。恐怖のあまり、次の言葉が喉に詰まって出てこない。


『化け物……? 無理せずゆっくりでいいから、 何があったのか僕たちに教えてくれる?』

紺髪の人は優しく背中をさする手を止めないまま、恐怖で顔を伏せて震える俺を、そう心配そうに下から覗き込んできた。その翡翠色の瞳には、確かな慈愛の光が宿っている。


『……黒い、怪物……。怪物が、みんなを襲って……食べ……ッ!』

俺の口からその凄惨な事実が零れ落ちた、まさにその瞬間。部屋の空気が、肌を刺すような凄まじい殺気によって一変した。


それまでずっと椅子に座っていた赤髪の男が、突然ガタッと激しい音を立てて立ち上がる。

『……おい。まさか、同一犯か?』


紺髪の人の手の動きが、ピタッと静止した。その人は、その背後から放たれた尋常ではない気配に目を大きく見開くと、すぐさま彼の方を振り返る。

『……っ、レイくん……!』


『エヴィー、今すぐ行くぞ。今度こそ、必ずこの手で殺してやる。』

地を這うような、凄みの利いた低音。吐き出された声は研がれた刃のように鋭く、空気を一瞬にして凍りつかせた。彼の手は、怒りのあまり白くなるほど固く握りしめられ、その爪が手のひらに食い込んでじわりと赤い血が滲んでいる。


『ダメだよ。ここで下手に行ったら、また……!』

俺を安心させるために、視線を合わせようと屈んでいた紺髪の人──エヴィーと言われる人物は、体勢を直して立ち上がると、そのまま彼の激情を正面から抑え込もうとするかのように赤髪の男の元へと真っ直ぐに歩み寄っていった。


『だが、ここで放っておいたらそれこそアイツの思う壺だろ。妖上がりは、時間が経てば経つほど手がつけられなくなる。』

赤髪の男──レイと呼ばれる人は、そう言いながら自身の前に立ちはだかるエヴィーへとさらに自ら一歩詰め寄る。その身から放たれる圧倒的な殺気とは裏腹に、彼の瞳の奥だけは、凍てつくように冷え切っていた。


『たしかにそうだけど、もしここで僕たちが負けたら余計に力を与えることになる……!まずは、クリフさんとか他の能力者にも情報共有した方がいいよ!』

必死にレイを引き留めようとする、エヴィーの涙ながらの悲痛な説得。

エヴィーは彼よりも頭一つ分ほど背が低いにも関わらず、普通なら恐怖で尻込みするであろう、その凄まじい威圧感に決して屈することなく立ち塞がり続けている。


(いや、この人……。本当は、凄く怖がってる……。)

エヴィーの背中の後ろに隠された手の指先は、どれほど強く抑え込もうとしても止められないほど、細かに激しく震えていた。だが、きっと己の恐怖以上に、目の前の大切な人を失うかもしれないという恐怖の方が、あの人の感情の大部分を占めているのだろう。


それは、俺だって同じだった。村を襲撃された時、あの圧倒的な存在を前にして、竦みかける足を必死に動かして守ろうとしたのだ。大切なものを守りたかった。それなのに、小さい頃からずっと、「運だけは抜群に良い。」と言われていた俺は……。


──どうやら、エヴィーの放った『自分たちが負ければ、敵を利することになる。』という冷徹な事実によって、レイは辛うじて頭を冷やすことができたらしい。彼は、自分を見つめながら涙を堪えるエヴィーの顔をじっと見つめ返した後、大きく一つ、重いため息を吐き出した。


『……たしかに正論だ。悪い、エヴィー。オレらしくなかったな。』

レイの纏っていた爆発的な殺気が、まるで初めから何も無かったかのような異常な早さでスッと霧散していく。


『よかった……。』

その彼の様子を見て、エヴィーはそうホッと安堵の息を漏らしたあと、自身の服の袖で目元を拭ってから再び俺の方へと向き直った。


『……僕、これからたくさんの人が君を助けるために集まると思うんだけど、お話できそう?』

先程と同じように、エヴィーはポンと俺の膝の上に軽く手を置いて、目線を合わせながら寄り添うようにそう優しく問いかけてくれる。


今もなお、精神を蝕む恐怖に身を縮めながらも──俺は少し沈黙したあと、今度は覚悟を決めて力強く頷いた。

『……うん。俺の話で、みんなが助かるなら……話すよ。』



──

─────



──チュン、チュンチュン。

小鳥たちの清々しいさえずりが、朝の訪れを告げるように部屋の中に優しく響く。


「……〜♪ ララ、ラ〜♪」

そして次に、長い悪夢の淵を彷徨っていたセリオスの耳へと届いたのは──心の荒波を穏やかなさざ波へと変えていくような、どこまでも澄んだ美しい少女の鼻歌だった。

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