第6話 共闘

白い塔の足元に立つと、音が消えた。


 風も、鳥も、足音さえ、遠い。


 世界から切り離されたみたいな静寂。


「ここから先は、管理者の領域です」


 フィリアの声が、やけに小さく聞こえる。


「あなたは、本来ここに来られる存在ではない」


「だから来たんだろ」


 俺は塔を見上げた。


 表面は白く滑らかで、継ぎ目がない。まるで、最初からそこに“あった”みたいに自然だ。


 でも分かる。


 これは人の手で作られたものじゃない。


 記憶で編まれた、巨大な塊だ。



 入口らしき場所に立つと、扉は勝手に開いた。


 拒まれない。


 むしろ、受け入れられている感覚。


「やはり……」


 フィリアが呟く。


「あなたは、この世界の理から外れている」


「バグだからな」


 中に足を踏み入れた瞬間、景色が変わった。


 広い空間。


 どこまでも続く白い回廊。


 壁一面に、光の粒が浮かんでいる。


 無数の、光。


「……なんだこれ」


「記録です」


 フィリアが答える。


「消去された、すべての記憶の断片」


 息をのむ。


 これ全部が、忘れられたもの。


 人、街、歴史、出来事。


「ユノも、ここにあるのか」


「はい」


 俺は、壁に近づく。


 光に触れると、映像が流れ込んできた。


 知らない街。


 知らない家族。


 笑い声。


 それが、ふっと消える。


「……これが、忘却」


 フィリアは静かにうなずく。


「世界から不要と判断されたものは、ここに保管され、やがて完全に消滅します」


「消滅……?」


「長く誰にも思い出されなければ、記録そのものが崩壊します」


 背筋が寒くなる。


 忘れられるだけじゃない。


 最後には、痕跡もなくなる。


「ふざけるなよ……」


 俺は拳を握る。


 この光のひとつひとつが、誰かの人生だ。



「カナメ」


 フィリアが呼ぶ。


 少し先に、ひときわ小さな光があった。


 弱く、今にも消えそうな光。


 俺はそれに触れた。


 瞬間、胸が締めつけられる。


『カナメ、またぼーっとしてる!』


 声が、はっきりと聞こえた。


「ユノ……!」


 涙が一気にあふれる。


 今度は、ちゃんと分かる。


 ユノの顔。


 声。


 笑い方。


 全部、戻ってくる。


 でも、同時に分かる。


 この光は、長くない。


 もうすぐ、完全に消える。


「フィリア!」


「はい」


「これ、持っていけないのか」


「不可能です。ここは記録庫。外に持ち出すことはできません」


「じゃあ、どうすれば」


 俺は必死だった。


 もう一度、失いたくない。


 ユノを、忘れたくない。


 フィリアは、俺を見つめて言った。


「あなたなら、取り込めます」


「え」


「記憶を回収する能力。ここでも使えるはずです」


 俺は光を見る。


 ユノの記憶。


 これを取り込んだら。


 また、削れる。


 俺の何かが。


 でも。


「迷ってる場合じゃねえよな」


 俺は光を掴んだ。


 頭の奥に、激流が流れ込む。


 ユノの記憶が、俺の中に入ってくる。


 笑い声、泣き顔、怒った顔。


 胸が張り裂けそうになる。


「うああああ……!」


 膝をつく。


 同時に、何かがごそっと抜け落ちる感覚。


 でも、構わない。


 ユノは、ここにいる。


 俺の中に。



 息を整え、立ち上がる。


「……戻った」


「はい」


 フィリアの目が、わずかに潤んでいる気がした。


「ユノを、思い出せますか」


「当たり前だろ」


 笑う。


 でも、すぐに気づく。


「……あれ」


「どうしました」


「俺の村の名前、思い出せない」


 フィリアが目を伏せる。


「代償です」


 俺はしばらく黙って、それから小さく笑った。


「等価交換ってやつか」


 ユノを取り戻して、故郷を失った。



 そのとき、回廊の奥から足音が響いた。


 ゆっくりと、確実に近づいてくる。


 聞き覚えのある気配。


「ゼクト」


 フィリアが低く言う。


 姿を現したゼクトは、俺たちを見て、わずかに目を細めた。


「やはり、ここに来たか」


「観光だよ」


 俺が言うと、ゼクトは無視した。


「フィリア。完全に規定違反だ」


「承知の上です」


「感情は厄介だな」


 ゼクトの視線が、俺に向く。


「記録庫に触れたか」


「触った」


「ならば理解したはずだ。この世界の構造を」


「ああ」


 俺は答える。


「狂ってる」


 ゼクトは首を横に振った。


「違う。合理的だ」


「人を消してか?」


「世界を維持するためだ」


 その言葉で、はっきり分かった。


 こいつは、本気で正しいと思ってる。


「カナメ」


 フィリアが小さく言う。


「この先に、最上階があります」


「そこに、黒幕がいるんだな」


「はい。《アーカイヴ》」


 ゼクトが一歩前に出る。


「行かせるわけにはいかない」


 空気が張り詰める。


 でも、前とは違う。


 俺はもう、迷わない。


「フィリア」


「はい」


「一緒に来い」


 フィリアは、はっきりとうなずいた。


「はい」


 ゼクトが、わずかに驚いた顔をする。


「完全に、こちら側を捨てたか」


「私は、自分の意思を選びます」


 その言葉に、胸が熱くなった。


 フィリアは、もう管理者じゃない。


 俺の隣に立つ、ただの少女だ。


「ゼクト」


 俺は言う。


「ここは通る」


 拳を握る。


 ユノの記憶が、胸の奥で温かい。


 俺は、覚えている。


 忘れない。


 そのために、ここまで来たんだ。

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