Can't Get Enough of Music

さかえ

第1話

 高層ビルが立ち並ぶ中、空を覆い尽くすホログラム広告は雨粒を透かして滲んでいた。ブロンドヘアのニュースキャスターが、今週のマンハッタンは秋雨続きだと告げている。

 路面には自律走行の配送ロボットが列をなし、その隙間を縫ってパトカーが走っていた。

 天然パーマの黒髪が雨の湿気でわずかに湿っている。シュヒ・サイディズ・ロウは、助手席に座りながら、だまってルームミラーを眺めていた。鏡に映る青白い容貌に金色の瞳がきらりと光る。まだ二十八歳だというのに、連日の勤務で人相はやつれるばかりだ。

 金の瞳でホログラムを見つめて、かれは落ち着いた調子で口を開く。

「ニューアトランティス市、しばらく雨降り続きらしいですよ。例年の降水量四インチよりもわずかに多いですね」

「ったく。うすら寒い上に雨か。盛り下がるな」

 リトートは運転席のハンドルを握ったままぼやく。焦茶の髪に小麦色の肌の精悍な男前、わずかにスペイン語訛りだ。

「毎日ぼろパトカーで犯罪者のケツ追っかけてると、たまには息抜きもしたくなるもんだよな。なあ相棒くん?」

 陽に焼けた横顔に、いつもの軽い笑みが浮かんでいた。

 彼らの目下のターゲットは、新興ギャング『ライトニング』。地上げ、闇金、人身売買――あらゆる汚職に手を染める組織だが、当局からの支援は乏しい。あてがわれたのは、見ての通り自動運転すら搭載されていない旧型車だ。上層部からは「自動運転ハッキング防止のため」と説明されたが、当時のシュヒはげんなりして閉口した。案の定、アナログな捜査は難航し、もどかしい日々が続いていた。

 暗くよどんだ秋空か、先行き不透明な捜査を憂いてか、シュヒは急に胸騒ぎがしてきた。数秒後、彼は自分の胸部が物理的に締め付けられていると気づく。俯いて咳き込み、恐る恐る手のひらを見下ろした。

 隣に座るリトートが目線だけよこした。

「おいおいどうした? 風邪か?」

「湿性咳嗽です。リトートさん、すみません。ぼく……」

 もともと白い顔からさらに血の気が引いていく。

 青白い掌が震えている。シュヒの右手には、べっとりと鮮血がこびりついていた。

 パトカーは進路を変え、レキシントン・アベニューに面する市民病院へと滑り込んだ。

 白で統一された無機質な診察室、消毒液の匂いが鼻をつく。ブルネットをひっつめ髪にした中年医師が、白衣を翻して振り返った。土気色の顔色で、皺の浮かんだ唇をきつく引き結んでいる。彼女は重苦しい雰囲気で告げた。

「シュヒ・サイディズ・ロウさん……貴方は、末期のメサイアコンプレックスにより余命三日よ」

 シュヒは呆然と、スツールの上で手を組んでいる。

 代わりに、後ろで宣告を見守っていたリトートが声を荒げた。

「嘘だ! こんなでもシュヒはまだ若いんだぞ!」

 シュヒは眉をハの字にして突っ込む。

「……いや、全員おかしいでしょ……」

 彼は医師免許も持っている。メサイアコンプレックスとは、『他者を助けて自己肯定感の低さを補おうとする不健全な心理状態』を示す心理用語だ。余命のつく病気ではない。さらにいえば、シュヒは卑屈な性格でもなかった。

 患者が太ももの上で所在なく手を組んでいても、女医は無視して話を進めた。彼女の視線が、天然パーマのてっぺんからつま先までねめつける。

「貴方、今日一日で何人救ったのかしら?」

「なっ……あなたは今まで救った患者の数をいちいち覚えているんですか?」

「今日だけで猫を二十匹、ホームレスを十人、通り魔に襲われたサラリーマンを六人だな」

 傍らのリトートが、空中にホログラムパネルを呼び出し、今日の勤務記録を読み上げた。彼は神妙に腕組みをして頷く。

「確かに、助けすぎだ。警官の仕事というよりボランティアの過剰摂取。これなら死んでもおかしくないぞ」

「……あなた、一日中ぼくの隣で一緒に助けてましたよね?」

 シュヒは肩越しに振り返り、あきれて返す。

 すると女医は無造作にレントゲンのパネルを閉じた。

「貴方は末期の『他者救済依存症』だわ。極端な善行欲求により、脳神経へ過剰な負荷がかかっているのよ。放っておいたら、全身から博愛が溢れ出して爆死するわ!」

 あまりの剣幕に、シュヒは肩をすぼめる。

「はあ……まあ……では治療法はあるんですか? ピラティスでもするとか?」

「簡単よ。完治するまで『他者救済』を一切禁止するだけ」

 ここにきて、シュヒは女医の説明の理解をあきらめた。三日後に物理的に爆発するらしい。しかも、治療法は『人助け禁止』。これを処方として出せる医師免許とは何なのか。

 彼は金色の瞳を細めて、はじめて表情を曇らせた。

「そんなことできません!」

 ため息とともにジャケットを掴み、立ち上がった。

「付き合ってられない、もう帰ります。リトートさんも付き合わせてすみませんでした」

「こら。待てシュヒ!」

「元々、今日の夜は直帰して一杯ひっかける予定だったでしょう。車を出しましょうか」

 シュヒは診察室を足早に後にする。遅れて、相棒が追いかけてくる足音が聞こえた。

 アスファルトの湿った匂い。雨上がりの路地は街灯を反射し、再開発エリアの立ち入り禁止札が赤く光っている。

 旧市街の片隅に、時間の流れから取り残されたライブハウスがぽつんと佇んでいた。鉄の看板には擦れた金色の文字で書かれている──ノスタルジア。

 階段を降りると、薄いスモークと重低音に包まれた別世界が広がっていた。濃くて分厚くて、心臓を掴んで離さない音。

「今日は二十二時まで、バンドのライブをやってるそうだ」

「ぼく、ライブハウスって初めてです。音、大きいですね……」

 二人は、音楽と喧騒から少し離れて、会場最後方のミニバーで酒を酌み交わす。

 リトートはうっとりとステージを眺め、メロディに聞き惚れている。大きな掌が、ハイテーブルの丸い天板をリズムに合わせて叩いた。

「うーん、たまらん! 厚みがあって濃いファンクだ。一夜の夢はあっという間に終わる。だからこそ、どうかずっと続きますようにと祈ってしまうのさ。切ないよなあ」

 熱っぽい語りは止まない。明るく、軽薄で、やや不真面目にさえ見える。

「俺のお気に入りはバリー・ホワイトなんだ。ノスタルジアは俺の思い出の場所でな……」

 今度は贔屓のミュージシャンについて力説し始めた。

 一方のシュヒは黙って微笑みながらも、時折落ち着かない調子でグラスの縁を指でなぞったり、周囲を見回したりしていた。

 胸に違和感がある。音が、というより振動が、肉体の内側から押してくる感覚がした。シュヒは自分の薄い胸に手を当ててそっと撫でてみた。心臓と別の何かが、同じリズムで揺れている。

 かれは、先ほどの怪しい余命宣告から気をそらすように、周囲を見回す。

「ステージライトが、音と完全に同期している……。どういう仕組みなんですか?」

「ドラムのペダルと連動しているんだよ。芸術的だろ?」

 リトートは冗談半分の調子でまぜっ返す。

「へえ……あ、そうなんですか……?」

 シュヒは垂れ目をぱちくりさせて首を傾げた。

 彼は元々耳のいいほうだ。だが本人の関心は完全に別分野にあって、何を芸術と呼ぶのか理解できるほどのセンスはない。

 それでも、目の前の相棒が愛する賑やかな空間を受け止めてあげたかった。

 演奏と拍手が終わり、会場には余韻だけが残る。観客たちも帰路へとついた。

 シュヒは会場のアナログ時計をちらりと見る。娘のベビーシッターが帰るまではまだ時間がある。なおもミニバーで酒を酌み交わしていると、一人の黒人男性が現れた。

 年頃は二十代後半、二人と同年代だ。カジュアルウェアと銀のネックレスが黒い肌によく映える、ダウナーな雰囲気の青年だ。

 リトートは軽くグラスをかかげ、軽薄に呼びかけた。

「ようザップ君。タダ券、有効活用させてもらったぜ」

 男は顔をしかめる。訛りAAVEのついたラウドボイスで、

「オマエ、本名で呼ぶなよ。昔から言ってんだろ」

 男の本名はザップ・トラウトマン。シュヒたちの同僚にして、『ノスタルジア』オーナーの息子だ。かつて存在したバンドのボーカルにちなんで名付けられた本名を、本人はひどく恥ずかしがっているらしい。

「ジョークだろ。にしても、ここは昔から変わらないな」

「昔から変わらない? 長年の運営でしっかり煤まみれになってやがるぜ。俺も掃除に駆り出されて、こうして家業の手伝いさ」

 ザップ――現場でのコードネームはラドアン――は、カウンターの椅子にどっかと腰を落とした。

「リトート、オマエこそ親父さんは元気か?」

「親父ならどうせしぶとくやってるさ。それより今はシュヒが深刻でな。メサイアコンプレックスで余命三日らしい」

「そりゃいい。ようやく、人生という懲役からの刑期明けか」

 彼はシュヒを一瞥し、すぐに目をそらして、皮肉っぽく肩をすくめた。

 ラドアンの黒い瞳は、目の前の幼馴染を避けるように、誰もいないステージを見つめている。

 シュヒは、彼の視線の奥にどこか冷めた影が差しているのが、妙に気にかかった。何かしてあげられたらいいのにと思うと、また心臓が締め付けられ始める。アルコールを呷り、考えるのをやめた。

 深夜。薄暗いベッドの中で、シュヒはパネルの通知音に目を覚ました。空中に投影された画面に、一言だけ表示されている。

『ラドアンさん:今すぐ来てくれ。ノスタルジアが危ない』

 添付された映像を開くと、暗いバックヤードで何かが倒れる音と、激しい争いの形跡が映っていた。

 シュヒははっと息を飲み、もぞもぞと毛布をはがした。ただごとではない。

「寝てる場合じゃない、行かなきゃ……!」

 しかし、ベッドから出た瞬間、隣の部屋で眠る愛娘を思い出した。まだ幼い彼女を一人にしてもいいのか?

 同時に、女医の言葉が脳裏をよぎる。

 ――他者救済を一切禁止すること。

「……それでも!」

 彼は薄い唇を噛み締めた。鞄に仕事道具一式を詰め込み、寝間着のまま足元も見ずに靴を突っかける。

 誰も起きていないアパートを、静かに抜け出した。

 数十分後。息を切らして『ノスタルジア』のドアを押し開けると、店内は静まり返っていた。真っ暗なホールに、かすかに機材の電源の音だけが聞こえる。

「誰か……いますか……? ラドアンさん? どこに……」

 無人のフロアに、頼りない足音だけが響く。一歩、また一歩と足を踏み入れたときだった。

 ライトが燃え盛る炎のごとく赤く灯り、マイクのハウリング音が響く。

「はーっはっはっは! やっぱり来たな! 人助けジャンキー!」

 聞き慣れた声。

 スポットライトの中心に立つのは、マイクを握るリトートだった。

 続けて舞台袖から登場したラドアンは、短髪をかきながら、苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「イカれてやがる。オマエら二人とも、まともに動くことを知らねえのか?」

「え? 何ですかこれ? まさか……ラドアンさんのメッセージは、罠……」

 シュヒは唖然とその場に立ち尽くし、ふわふわパジャマに包まれた胸を軽く抱きしめた。

「ドッキリ大成功。お前の推測通り、人助け禁止令を守れるかどうかのテストだったんだよ。見事にかかったな」

 リトートが勝ち誇ったように笑い、指を差す。シュヒは金色の瞳を見開き、間髪入れずに叫んだ。

「来るに決まってるじゃないですか。深夜二時に顔馴染みから助けを求められたら、誰だって動くでしょう!?」

 しかしリトートは肩をすくめる。

「そらおまえ、病気だよ。昼間の医者が言ってただろ。博愛が溢れ出して爆死するって」

「あなたが信じても、ぼくは信じません! 人を助けすぎて爆発するなんておかしな人がどこにいるんです」

「ここにいるだろ?」

 図星を突かれ、シュヒは閉口した。元より、屁理屈を捏ねて反発する性格でもない。

「もう病院側に話はつけている。お前のメサコンが良くなるまで、このまま強制入院してもらうからな!」

 マンハッタン郊外、人工森に囲まれた静かな医療施設。ガラス張りの白い個室の中、シュヒはベッドに横たわっていた。

 医療用ベッドに横たわりながら、シュヒは「相棒が休暇を取らせるために大げさな芝居をしたのだ」と考えていた。じっさい彼は働きすぎていた。

 だが、診断は正しかった。

 『救済』を禁じられたシュヒの様子は日ごとにおかしくなり、支離滅裂な思考・発言が増えていった。

「誰か、お水をこぼしていませんか? 雑巾で拭きますから……!」

「レモネードジュース、自販機よりネットスーパーの定期便のほうが安いです……!」

「困っている誰かの、力に……ならせて……ください……」

 虚空に向かってうわごとを漏らし、院内ロボを勝手に高性能化改造しては点滴スタンドに連れ戻され、他人のカルテの不備を見つけて二酸化炭素濃度の高さに指摘をしていく。

 水も喉を通らないほど衰弱し、見る見るうちに痩せ細り、ついにベッドに拘束されるまでになった。完全な禁断症状だった。

 シュヒは重い瞼を持ち上げて、見舞客の姿を確認する。

「ったく。目を離すとこれだからな」

 リトートは病室のガラスに背を預け、ぽつりと漏らす。

 隣には、小学生高学年ほどの少女が立っていた。金髪のハーフアップ。ワンピースの裾を握る小さな手は震えていた。幼いながらに凛々しい顔立ちは、涙でゆがんでいた。

「ウソですよねっ? シュヒさんが余命三日なんて!」

 シュヒの養女・リロイ。シュヒは寝そべりながら、リトートが、バイオリンのレッスン帰りだった彼女を連れてきたのだと察する。

 耳のいいシュヒは、朦朧とする意識の中であっても、二人のやりとりを遠巻きに聞いていた。懐かしい声。娘を抱きしめてやりたくても、彼はもうベッドに縛り付けられていて指一つ動かせない。

「シュヒの病室は防音個室だ。言いたい意味はわかるな? せめて今日は養女むすめのお前が助けてやってくれ、リロイ」

「……むぅ。おじさんに口出しされるのは癪ですねっ」

 彼女は小さな口を尖らせた。

 リトートはからかうように、

「不満か? リトル優等生」

「うるさいですっ。演奏はします。ボク、シュヒさんの家族ですからっ」

 リロイは背負っている四分の三ヴァイオリンのケースをちらりと見やった。そうして躊躇いながらも、病室のテーブルにケースを下ろし、四分の三サイズの楽器を取り出した。

 奏でられる繊細な音色は、ヘンデルのオラトリオ。

 ライブハウスで鳴り響いていた厚みのあるファンクとは対照的で、しかし同じように鮮烈な調べだ。

 リトートは応接用の椅子に座り、腕組みしながら演奏に聞き惚れていた。

「病室の中だけ、ライブハウス……さながらカーネギーホールみたいだな」

 シュヒは薄く目を開き、自分の体に繋がれた機械のバイタルサインを確認する。演奏でリラックスしたおかげか、神経活動の数値が安定して奇跡的な回復を見せていた。

 シュヒは力ない声で呟く。

「音楽って……人を救うんですね……」

 リロイは優しげな微笑みを浮かべながら、弓をゆっくりと滑らせる。フラジオレットのロマンチックな音色が、いつまでも響き続けていた。

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