第24話 保留するということ

 あなたは、“まだ届かなくていいもの”を保留しますか。


 二枚に分かれた黒い通知書。


 一枚は風見梓の手に。

 一枚は柊ひよりの前に。


 中央保留庫の赤い光は、いつの間にか青へ変わっていた。


 静かだ。


 さっきまでの圧迫感とは違う。

 まるで、返答を待って息を潜めているみたいだった。


「……保留」


 風見が紙面を見つめながら呟く。


「受け取るでも、返すでもない」


「時間を預かる選択だ」


 榛原蓮司が低く言う。


「本来、確認便は白黒を付けるためのものだ。

 でも“まだ早い”って感情が存在する以上、完全な二択じゃ回らない」


「だから保留がある」


 志津子が静かに続けた。


「昔は、もっと簡単な扱いだった。

 ただ一時的に止めるだけの制度」


「でも今は違うんですね」


 湊が言う。


 榛原が苦い顔をした。


「未配達が増えすぎた。

 人間が抱えきれないものが、ここへ流れ込みすぎた」


 中央保留庫の棚を見上げる。


 無数の手紙。

 無数の箱。

 無数の“言えなかったこと”。


 どれだけ積み上がっているのか、想像もできない。


     ◇


 ひよりは、黒い通知書をじっと見ていた。


 小さな手。

 その指先が少し震えている。


「……ひより」


 湊がしゃがみ込む。


「無理なら無理って言っていい」


「でも」


 ひよりは顔を上げる。


「とどいちゃだめなの、あるんでしょ」


 湊は言葉に詰まる。


 ある。


 たぶん、ある。


 今の自分にも思い当たるものがあるくらいだ。


 もし、誰かが全部を“今すぐ届けます”なんて言い出したら、壊れてしまう人もいる。


 中央保留庫は、おそらくそのために存在している。


「……あると思う」


 湊は正直に答えた。


「でも、それをひよりが背負う必要は」


「お兄ちゃん」


 ひよりが、小さく笑う。


「わたし、ひとりじゃないよ」


 その視線の先には、風見がいた。


 風見は少し驚いた顔をして、それから苦笑する。


「責任重大だなあ」


「かざみさん、にげない?」


「今のところは」


「じゃあ、わたしも」


 その言葉に、風見はしばらく黙った。


 それから、ひよりの頭へそっと手を置く。


「……ありがと」


     ◇


 管理員が、一歩前へ出る。


 《共同候補者へ最終確認を行います》


 黒い通知書の文字が変化する。


 共同保留を選択した場合、候補者は一部未配達記録へ継続接触します。


「継続接触」


 湊が嫌そうに繰り返す。


「つまり、今後もこの局と関わるってことか」


 《はい》


「即答するなあ……」


 榛原が額を押さえる。


 だが、次の文を見た瞬間、彼の顔色が変わった。


 正式係員権限は付与されません。


「……え?」


 風見も目を瞬く。


「係員じゃない?」


 《共同保留は暫定処置です》


 管理員が続ける。


 《候補者17および18は、“保留代理”として登録されます》


「代理?」


「聞いたことないな」


 榛原が眉を寄せる。


「新設か、長期保留便の変質か……」


 志津子が低く言う。


「“正式にこちら側へ入れないまま、でも切れもしない人”への処理かもしれない」


「中途半端ですね」


 湊が言う。


「この局らしい」


 榛原が吐き捨てた。


     ◇


 そのときだった。


 中央保留庫の奥――

 巨大仕分け機の向こうから、突然、何かが崩れる音が響く。


 どさっ。


 どさどさっ。


 棚が揺れる。


 青ランプが明滅した。


 《長期保留便の不安定化を確認》


「今度は何!」


 湊が叫ぶ。


 管理員の視線が奥へ向く。


 《十八年保留区画にて崩落発生》


 風見が息を呑む。


「十八年……私の区画?」


 次の瞬間。


 棚の奥から、無数の白い封筒が雪崩みたいに飛び出してきた。


「うわっ!」


 湊がひよりを庇う。


 封筒は宙を舞いながら、中央保留庫中へ散らばる。


 そして、床へ落ちた一通の表面を見て、風見が固まった。


 そこに書かれていたのは、


 風見 梓 様 小学校卒業時に開封


「……なにこれ」


 別の封筒。


 風見 梓 様 高校進学前に開封


 さらに。


 風見 梓 様 二十歳以前閲覧禁止


「そんなに!?」


 湊が思わず叫ぶ。


 床へ、次々と未配達の確認便が落ちていく。


 十八年間。

 保留され続けた結果、“未来のタイミング指定便”が大量に滞留していたのだ。


「……父さん」


 風見が呆然と呟く。


「どれだけ送ってたの」


 志津子が青ざめた顔で封筒を拾う。


「これ、全部あの人の字だわ……」


 榛原が低く言う。


「確認便じゃない。

 私信だ」


「私信?」


「未来の娘へ向けた、“あとで渡すつもりだった手紙”」


 風見が息を止める。


 十八年間、父親は送り続けていた。


 届かないと知りながら。


     ◇


 中央保留庫の空気が揺れる。


 無数の手紙がざわめく。


 その中で、ひよりが一通の封筒を拾った。


「……これ」


 湊が見る。


 宛名は風見梓。

 だが下に、小さく追記がある。


 “まだ、自分を嫌いになる前の梓へ”


 風見の表情が止まる。


「……っ」


 彼女はその封筒を受け取った。


 指先が震えている。


 開けることはしない。

 ただ、強く握りしめる。


 志津子が、小さく目を伏せた。


「あの人、本当に不器用だった」


「母さんは知ってたの」


「途中からは」


「じゃあなんで」


「怖かったのよ」


 志津子の声が掠れる。


「“届いてしまう”ことが」


 中央保留庫の青ランプが、ゆっくり明滅する。


 湊は少しだけわかった気がした。


 届けることは、必ずしも救いじゃない。


 早すぎる言葉。

 重すぎる本音。

 知らなくていい感情。


 それらは時々、人を壊す。


 だから保留がある。


 だから未配達が生まれる。


     ◇


 管理員が再び告げる。


 《共同保留処理を開始可能です》


 風見とひよりの通知書へ、最後の選択欄が浮かぶ。


 共同保留を承認しますか。


 下には二つの欄。


 はい

 いいえ


 風見が深く息を吐く。


「ひよりちゃん」


「うん」


「最後に確認。

 これ選んだら、多分もう普通じゃいられない」


「かざみさんは?」


「……たぶん、とっくに普通じゃない」


 ひよりは少し考えて、それから笑った。


「じゃあ、おそろい」


「そんな可愛い言い方する話かなあ……」


 風見が困ったように笑う。


 湊は二人を見る。


 本当は止めたい。


 地下郵便局なんて全部忘れて、地上へ帰ってほしい。


 でも。


 ここまで来て、“見なかったこと”にするのは、たぶん違う。


「……風見さん」


「何」


「ひよりをお願いします」


 風見は一瞬だけ目を丸くした。


 それから、真面目な顔で頷く。


「任せて」


 ひよりも頷く。


「お兄ちゃんもね」


「え」


「ひとりでムリしない」


 その言葉に、湊は少しだけ笑ってしまった。


「……わかった」


 中央保留庫の青ランプが、さらに強く光る。


 風見とひよりが、同時に通知書へ手を伸ばした。


 その瞬間。


 最奥の巨大仕分け機が、突然停止する。


 ごうん――と鈍い音。


 全てのランプが、一斉に消えた。


 真っ暗闇。


「……え」


 誰かが呟いた直後。


 暗闇の奥で、“別の足音”が響く。


 かつ、

 かつ、

 かつ。


 管理員ではない。


 もっと重い。

 もっとゆっくり。


 そして、闇の中から低い声が聞こえた。


「その便に、勝手な処理をするな」


 風見が凍りつく。


「……父さん?」

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