第12話 春風荘

春風荘は、わたしの蕎麦の修行先だった。

鶴舞にあり、鶴舞には、大きな図書館もあり、

高校時代よく自習した。


「いらっしゃいませ。」


名古屋には、そば文化はない。どちらかというと

きしめんが有名で、新幹線のホームにある店を、芸能人が好んで食べるそうだ。わたしは芸能人ではない。


「あれ。ビートきよしさんじゃないかい。

 たけしでなく、きよしだ。」


関東の芸人は、やはり蕎麦が好きなのだろうか。

U字工事も、そばすきらしい。反対に、当時も

うどんが流行していたように思う。日本は、だいたい

蕎麦かうどんの文化圏にわかれ、関西へ行くと、

だしの色がうすくなる。


わたしは、釜前とよばれるポジションをしていた。

当時プライドがはやっていたから、2003年ころ。

20年くらいたってしまった。


花になつというかわいい子がいて、わたしはなつがやめたとき

一緒にやめてしまった。だから、修行といっても、一年たらずで

修行といえないだろう。入口を見せていただいたにすぎない。


なつとは、どういうわけか一度飲みに行ったことがあった。

夜をさそったが、ことわられた記憶もある。いや、そもそも

飲みに行かなかっただろうか。最近、記憶が曖昧模糊としている。


そばは、そばの実を石臼でひいて、水と合わせて玉にする。

この立体状のもを平たくして、さらに最後は大きな包丁で麺にしていく。


「内山田さん。包丁買いに行きましょう。

 スケナリという店がありますから。」


名古屋でこういった関係といえば、柳橋というエリアがある。

わたしも帰国するたびに、柳橋で包丁を購入し、また海外へ出るといった

ことをくりかえしてきた。柳橋にラーメンの一蘭があり、食べたこともあった。

柳橋へ行くと、魚の発泡スチロールの匂いがする。柳橋のにおいだ。


大将の父さんは、もともと市場の人間と聞いたことがあった。

何も話さない人で、人間関係も苦手そうだった。口より手が出るというのは、

一種コミュニケーション不足なのだろう。


一年たち、わたしは独立というか、三重で同じ店を出さないかという話しが、

わたしのところに来てしまった。わたしは両親とくらしていたし、両親を

車がないと不便のような環境に持っていくわけいかないから、単身、ドイツへ行ったのだ。ドイツでは、日本食という話しだったが、経営者が韓国人で驚いた。つまり、驚愕したのである。

韓国人たちとカラオケ大会を一度したが、一番うけた楽曲は、おどるポンポコリンだった。韓国人をひとことでいえば、おどるポンポコリンである。

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