遺失物管理課の僕が拾ったのは、魔王の恋だった

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短編

 王都役所・遺失物管理課。


 それが僕の職場だ。


 勇者が魔王を倒してから二十年。世界は平和になり、剣より帳簿、魔法より申請書が幅を利かせる時代になった。


 落とし物係の僕、ユウトの仕事は単純明快である。


 道ばたや酒場や闘技場で拾われた品を台帳に記し、持ち主が現れるのを待つ。


 財布、指輪、杖、義足、使い魔の卵。

 たまに生首みたいな呪具が届くこともあるが、基本は地味だ。


 その日までは。


「次の遺失物です」


 窓口のトレーに置かれた瞬間、僕は眉をひそめた。


 黒かった。


 いや、色だけなら別に珍しくない。問題は、形だ。


 それは掌に載るほどの大きさで、根元から緩やかに湾曲し、表面には古い年輪のような筋が幾重にも走っていた。触れずともわかる。普通の角ではない。山羊でも牛でも鹿でもない。


 魔族の角だ。


 しかも――


「これ、かなり高位のやつですね」


 受付の先に立っていたのは、配達専門の飛脚ギルドの制服を着た少女だった。赤毛をひとつにまとめ、頬にそばかす。見覚えがある。よく王都中を走り回っている、やたら足の速い配達員だ。


「路地裏で拾ったんです。血はついてませんでした。落とした人、困ってるかなと思って」


「困ってる、で済む代物じゃないかもしれません」


 僕は思わず小声になった。


 魔族の角というのは、爪や牙とは意味が違う。あれは魔力の核に近い。高位の魔族ほど一本一本に膨大な力が宿る。人間で言えば、心臓を置き忘れたようなものだ。


 少女は「ひえ」と肩をすくめた。


「じゃ、じゃあすぐ返したほうが」


「返したいのは山々ですが、持ち主の特定が先です」


 僕は台帳を開いた。


「拾得場所は?」


「第四区画の古書店通り、噴水の裏です。朝方」


「お名前を」


「ミアです。飛脚ギルド所属、ミア・クレスト」


 さらさらと記録しながら、僕は角を改めて見る。


 ただの高位魔族のものではない。根元付近に、ごく薄く銀の紋章が刻まれていた。六つの星を輪にした印。


 古い文献で見たことがある。


 旧魔王軍の王族紋だ。


 胃がきゅっと縮んだ。


 魔王は二十年前に討たれた。王族も、ほとんどが滅びたはずだ。生き残りがいるとしても、表舞台には決して出てこない。


「……面倒なものを拾いましたね」


「えっ、今なんて?」


「いえ。こちらで預かります」


 僕はなるべく平静を装って、保管箱へ角を移した。鍵をかける。封印札を二枚。念のため三枚。


 ミアは少し不安そうに身を乗り出した。


「あの、それ、悪い人のものなんですか?」


「まだわかりません。ただ――」


 僕は言葉を濁した。


「返却時には本人確認が必要です」


「なるほど。大事なものですもんね」


 ミアは納得したようにうなずくと、ぱっと笑った。


「じゃあ、持ち主が来たら教えてください。ちゃんと返ってくるか気になるので」


「遺失物管理課は見世物小屋じゃないんですが」


「気になるじゃないですか、魔族の角ですよ?」


「それはまあ、そうですが」


 彼女は軽やかに敬礼して、窓口を離れていった。


 その背中を見送りながら、僕は嫌な予感しかしなかった。


 案の定、その日の午後には来客があった。


 黒いローブ。深くかぶったフード。男か女かも判別しにくい長身。窓口の前に立つと、低い声で言った。


「落とし物を探している」


「品名を」


「角」


 早いな。


 しかも直球だ。


「特徴は?」


「黒い。曲がっている。硬い」


「角はだいたいそうです」


 僕は事務的に返しながら、机の下で警報用の鈴に手を伸ばした。


「他には?」


「大事なものだ」


「それも聞けばわかります。もっと具体的に」


 相手は沈黙した。フードの奥から、じっとこちらを見る気配がある。


 やがて、諦めたようなため息。


「……根元に銀の紋章」


 当たりだ。


 僕は胸の内で舌打ちしたが、顔には出さなかった。


「本人確認のため、身分証を」


「ない」


「では返却できません」


「困る」


「規則です」


 相手はしばらく黙っていたが、不意に言った。


「名を出せば騒ぎになる」


「出してもらわないとこちらも困ります」


 さらに沈黙。やがてローブの袖の下で拳が握られるのが見えた。


 まずい。


 角を失うほどの高位魔族だ。暴れられたら遺失物管理課ごと吹き飛ぶ。


 しかし次の瞬間、相手はまた深く息を吐いた。


「……レグルス」


「姓は」


「ない」


「困ります」


「昔はあったが捨てた」


 本当に困る。


 僕が役所式の笑顔を貼りつけたまま内心で頭を抱えていると、横から声がした。


「あ、来てたんだ」


 ミアだった。


 いつの間にか窓口横の出入口から顔を出している。配達のついでに覗きに来たらしい。


「君、部外者は」


「この人ですか? 落としたの」


 ローブの相手が、びくりと肩を揺らした。


 その反応で、ミアの目が細くなる。


「やっぱり。走り方、朝の路地で見た人と同じだ」


「見ていたのか」


「落とし物拾ったんだから、そりゃ見ますよ」


 ミアはずいっとカウンターに身を乗り出した。


「で、なんでそんな大事なもの落としたんです?」


 ローブの人物は答えない。代わりに、わずかに顔をそむけた。


「言えない事情がある」


「恋ですか?」


 思わず僕はむせた。


「なんでそうなるんですか」


「だって、あからさまに“言えない事情”って顔してる」


 ミアは自信満々だ。何を根拠にしているのか全然わからない。


 しかし、ローブの人物は否定しなかった。


 沈黙が肯定になった。


 僕とミアはそろって固まった。


「……本当に?」


 ミアが訊くと、相手は観念したようにフードを取った。


 黒髪。赤い瞳。右のこめかみから伸びる一本の角は折れている。人間離れした整った顔立ちだが、どこか疲れていた。


「私は、旧魔王家の末子だ」


「うわ」


 ミアが素で言った。


「今はただの古書店主をしている」


「古書店主!?」


 今度は僕が声を上げた。


 第四区画、古書店通り。そうつながるのか。


 彼――レグルスは気まずそうに咳払いした。


「人間社会に紛れて暮らして二十年になる。目立つと困るので、角は普段、幻惑で隠している」


「じゃあ、片方だけ落としたってことですか」


「正確には、付け角のほうだ」


「付け角?」


「本物の角は目立つから、短く見せるための偽装用だ」


 一瞬、誰もしゃべれなかった。


 つまり。


 魔王の末裔が。


 目立たないようにするための。


 偽装パーツを。


 落とした。


「……地味な理由でしたね」


 僕が絞り出すと、レグルスは眉を寄せた。


「私にとっては死活問題だ。今朝、ある人に会いに行く途中で落とした」


「恋ですね?」


 ミアがすかさず言う。


 レグルスは沈黙したあと、小さくうなずいた。


「花屋の店主だ」


「うわぁ」


 今度は僕まで言った。


 王都の遺失物管理課に勤めていると、だいたいの人間は帳簿の上の記号になる。名前と品名と拾得場所。感情は持ち込まないほうが仕事が楽だ。


 でも、そのときだけは違った。


 目の前にいるのは、かつて討たれる側だった血筋の男だ。なのに話していることは、角をなくして想い人に会えなくなった、という実にくだらなく切実な悩みだった。


「告白、するつもりだったんですか」


 ミアの問いに、レグルスは首を横に振った。


「もう三度断られている」


「三度!?」


「なので四度目だ」


「心強っ」


「諦めが悪いとも言う」


 僕が言うと、レグルスは真顔で返した。


「魔族は執念深い」


 そこは胸を張るところじゃない。


 ミアはしばらく考え込み、それから急に両手を打った。


「よし。返却条件があります」


「は?」


 僕が見ると、彼女はにんまり笑った。


「その花屋さんに、今日ちゃんと会いに行くこと」


「ミアさん、ここは役所です」


「だって返して終わりじゃつまらないし」


「つまるつまらないで行政を動かさないでください」


 しかしレグルスは意外そうに目を瞬かせた。


「……会ってもいいのか」


「会わないとまた逃げるでしょ」


 ミアは腕を組んだ。


「三回断られたってことは、言い方が悪かったんじゃないですか? 偉そうとか、回りくどいとか、花を全部魔界基準で選んでるとか」


「最後は違う。ただ、黒薔薇百本を」


「重い!」


 僕とミアの声が重なった。


 レグルスは本気で首をかしげている。だめだ、この人。恋愛の常識が人間社会とずれている。


 ミアは腰に手を当てて宣言した。


「作戦会議です。ユウトさん、返却はそのあと」


「なぜ僕まで」


「事務処理担当だからです」


「意味がわからない」


 その日の業務終了後、僕たちは役所の休憩室で、元魔王家の末裔の告白改善会議を開くことになった。


 議題はひどかった。


 黒薔薇百本は怖い。

 『我が永劫の伴侶となれ』は重い。

 初手で血判は論外。

 店の前に眷属を並べるな。

 断られても翌日に詩を百枚送るな。


「よく三回で済みましたね」


 僕が本音を漏らすと、レグルスは少しだけしょんぼりした。


「嫌われてはいない、と思う。ただ、困らせている自覚はある」


 そこだけはまともで、少し驚いた。


「どうしてそこまで、その人なんです?」


 ミアが聞く。


 レグルスはしばし黙り、静かに言った。


「戦のあと、私は長く人間を憎んでいた。だがあの店で、花を一本買ったことがある。墓に供える花を選べず立ち尽くしていた私に、彼女は“好きだった色はありますか”と聞いた」


 赤い瞳が伏せられる。


「敵にも家族がいたのだと、そのとき初めて思い知った。私が悼んでいいのか迷っていた者たちを、あの人は責めなかった」


 休憩室がしんと静まった。


 ミアが、ふっと笑う。


「じゃあなおさら、ちゃんと人間らしく言わないと」


 結局、レグルスは黒薔薇をやめ、白と青の小さな花束を選ぶことになった。言葉も変えた。


 永劫の伴侶は却下。

 血判も却下。

 眷属待機も却下。


 採用されたのは、ただ一言。


 ――あなたといる時間が好きです。


 それだけだった。


「短すぎないか」


 レグルスは不安そうだったが、ミアが頷く。


「それで十分」


 僕も同意した。


「余計なものを足さないほうが、今回はいいと思います」


 翌朝、僕は半休を取り、ミアと一緒に第四区画の花屋を遠巻きに見張っていた。


「なんで僕まで」


「気になるじゃないですか」


 またそれかと思ったが、否定できない自分もいた。


 花屋の前で、レグルスは異様なほど緊張していた。古書店主らしい地味な外套、片角を隠す幻惑、手には小さな花束。


 扉が開き、若い女性が出てくる。エプロン姿の花屋の店主だ。


 レグルスは何か言い、花束を差し出した。女性は目を丸くし、それから困ったように笑う。


 あ、だめか。


 と思ったとき、彼女がレグルスの袖をちょんとつまんだ。


 二人は店の中へ入っていった。


 それきり、十分経っても十五分経っても出てこない。


 ミアがにやにやしている。


「これは脈ありですね」


「まだわかりません」


「でも追い返されてない」


「それは、そうですが」


 三十分後、店の扉が開いた。


 レグルスはさっきと同じ無表情だったが、耳だけが妙に赤かった。隣の花屋の女性も、頬が少し染まっている。


 そして彼女は、ごく自然な仕草でレグルスの腕に手を添えた。


「……あ」


 僕が声を漏らすと、ミアが勝ち誇った顔で言う。


「ほら」


 二人は通りをゆっくり歩いていく。途中、レグルスがこちらへ気づいた。ほんの一瞬だけ視線が合う。


 彼は何も言わず、けれど小さく会釈した。


 その姿がなんだか妙におかしくて、僕は笑ってしまった。


「よかったですね、角」


 ミアが言う。


「返ってきて」


「角というか、人生がですね」


 僕は答えた。


 その後、役所に正式な受領書が届いた。達筆すぎて読みにくい署名の下に、短い追記があった。


『助言、痛み入る。なお、次は普通の花束で会いに行く』


 普通の花束が“次”もある時点で、もう十分だった。


 僕はその受領書を台帳に挟み、保管棚を閉じる。


 遺失物管理課には、今日もいろんなものが届く。


 失くした鍵。破れた手紙。片方だけの手袋。

 道に迷った使い魔。

 誰かが落とした、言えなかった言葉。


 それらはたいてい、帳簿の上では同じ一行に収まる。


 けれど本当は、一つとして同じものはない。


 だから僕は、明日も窓口に座るのだろう。


 次に落ちてくるのが、角か、恋か、それとももっとくだらない何かかはわからないけれど。


 少なくとも、受領印だけはきっちりもらうつもりだ。

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