第9話 長崎海軍伝習所
安政五年十月九日、来原さん以下派遣団二十名は萩を出立した。この中に相州宮田で会った野村さんがいたのには驚きもしたが、一拍おいて、なるほどと思った。そもそも、この派遣団自体が野村さんの発案なのだろう。
「野村さんは、何を学ぶのですか」
「僕は黒船を作りたいのです。黒船を作ったら、僕がその黒船を操るのです。そして、長州の黒船で異国船をやっつけたいのです」
野村さんは、あれからちっとも変わっていなかった。今も自分の夢を追いかけているのがうらやましい。
萩から長崎へは、赤間関街道から馬関に出て海を渡り、長崎街道を小倉・飯塚・山家・田代・佐賀と経由して長崎に至る、七日ほどの道のりだ。今回は来原さんが番頭なので、みんな浮かれることもなく淡々と行った。野村さんも団の中でも年少とあって、団体行動に従って大人しかった。
十五日の夜には長州藩長崎藩邸に入った。その翌日から、野村さんは操船術、誰々は造船術、と団員たちは伝習所の中に散っていった。おれはといえば、幕府役人との折衝、藩邸との調整や各員への激励と、忙しく立ち回る来原さんに付き従っていた。
しばらくして、たまには飯にでも行くかと来原さんに誘ってもらった。日本の中でも唯一といっていい、異国の匂いが漂うここ長崎。飯一つとっても物珍しく、かつ美味しい。
「利助、長崎はどうだ。お前は何に興味を持った?」
話の流れで、来原さんが聞いてきた。伝習所は見るところ全てが面白かったが、特におれの気を引いたものはこれだ。
「来原さん。ここではオランダ人が日本人を教えていますね。何を教わるにせよ、オランダ人は蘭語しか話せません。ですから、いちいち通詞が入ります。面倒ったらありゃしません。直接蘭語を喋れるようになったら、もっとよく学べるようになるんじゃないかと。僕はそう思いました」
そう、おれが一番興味をもったのは言葉だった。
「蘭語を学ぶ、か。それはいいな。だが、蘭語もいいが、どうせやるなら清国を打ち負かしたイギリス語を学んでみたらどうだ。浦賀にきたアメリカ人も、イギリス語を使うらしいぞ」
「蘭語もイギリス語も、似たようなものじゃないんですか?」
「いや、だいぶ違うらしい。幕府はこの前のアメリカとの談判のとき、蘭語の通詞を連れていったらしいが、アメリカ人とはさっぱり会話ができずに往生した、という話だ。萩に戻る前の江戸では、イギリス語を学ぶのがちょっとした流行りになっていたぞ」
「イギリス語を学ぶ……それはいいですね。でも、どうしたら学べますか?」
「それはわからんな。どこかでイギリス語ができるやつを捕まえるしかないだろう」
来原さんは、面白そうにひと際大声で笑った。おれは思いつきでいったにすぎないが、異国の言葉で異国を打ち負かす、というのはありかもしれない。
来原さんの手子として過ごす中、おれは隙をみつけては、イギリス語の学び方について手当たり次第聞いて回った。だが、誰に聞いても教えてくれなかった。
「私は蘭語の通詞ですから、蘭語の学び方しか知りません」
――通詞はつれなかった。
オランダ人には言葉が通じず、聞こうにも聞けない。当のイギリス人は、ここ長崎にはいない。
オランダ人がたまに行くという、飯屋の女将にも聞いてみた。
「身振り手振りとノリと勢いよ。あとは多分これが食べたいんだろうな、という雰囲気ね。それでわたしはオランダ人と話すの」
ある意味、的を射た答えだった。
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