第6話 松下村塾

 翌日、勤めを終えて塾に行ってみると、昨日の様子とは一変していた。おおよそ五十人ほどの塾生が、それぞれ真剣な面持ちで議論を戦わせていたのだ。

 普通、武家の塾というのは、先生が塾生に向かって座り、子曰く何やらかんやら、とやるものだ。けれども、今の松下村塾はまるで勝手が違った。


 まず、年少組と年長組に分かれて部屋を使っていた。年少組の方はまだ普通の塾に近かった。だが使っているのは論語ではなく、日本外史!だった。ちょうど毛利氏の巻を、声を揃えて読み下していた。

「天下まさに乱れんとす。子、ただ退いて守るべし。我が家に先君(元就公のこと)のごとき雄資あらば、則ち可なり」

 そんな節回しが、板張りの天井に響いていた。


 一方、年長組の方はというと、上座に松陰先生、その左右に赤鉢巻組と白鉢巻組が陣取り、まるで合戦のように議論していた。

「進んで異国に学ぶべし!異国の商人、職人、名のある学者を国に招き、異国の技術を積極的に取り入れるべきだ!」

 背の高い坊主頭の赤鉢巻が、鼻息荒く声を張ると、

「いや、それではこの国を異国に明け渡すも同じ。むしろ異国と一戦して、戦国の気概を取り戻すべきだ!」

 細身で目つきの鋭い白鉢巻が切り返していた。

 なかなか過激なやり取りだが、松陰先生はというと、ただ穏やかな笑みを浮かべて黙って見守るだけだった。


「利助、お前も入ったのか」

 議論に見入っていると、後ろから懐かしい声が聞こえた。吉田栄太郎だ。

「栄太郎、久しぶり。お前も塾生なのか」

「ああ。おれは先生が牢から出された頃からね。最初は小さな塾だったけど、あっちの久坂さんが、こっちの高杉さんを連れてきたあたりから評判になってね。今じゃ藩の上士まで通うようになったよ」

「それで、これは何をやっているんだ?」

「紅白に分かれての論戦。先生が出したお題に対して、どっちが論破できるかを競っている。今日のお題は、清国はどうすれば阿片戦争でイギリスに勝てたか、だ」

 阿片戦争といえば、十年ほど前にイギリスが清国を黒船と鉄砲で叩きのめしたという、あの戦だ。そんな話題を議論するとは……

「栄太郎は出ないのか?」

「今日は用事番だからね。でもいつもは、やっているよ」

「先生は何もしないのか?」

「お題を出して、勝敗の行司をするだけ。あとで一人ずつ講評してくれる。それがまた的確でね、つい頑張っちゃうんだよ」

 あの本好きで物静かな栄太郎が、こんな勝負に加わっているとは。

「久坂さんと高杉さんって?」

「赤鉢巻が久坂さん。藩医の出だ。白鉢巻が高杉さん。お前、知り合いだろう?」

 いわれてみれば、見覚えがある。萩に来たばかりの頃に預けられた寺の裏が高杉家で、ガキ同士で少し遊んだ。あのちびで病弱だった高杉さんが、今やぴかぴかの若様に変わっていた。

「今はまだ議論で済んでいるけど、そのうち取っ組み合いが始まるよ」

 栄太郎は笑っていた。


 果たして、しばらくすると……。

「義助!表に出え。お前の軟弱な思考を叩き直してやる!」

「高杉さん、またそれですか。議論で勝てんと拳に訴えるのは、あなたの悪い癖ですよ」

 それでも松陰先生は、なお微笑んだまま。止めるそぶりも見せず、ただ温かい眼差しを二人に注いでいた。

 議論と、取っ組み合いと。どうやらここは、ただ学ぶだけの場所じゃなさそうだ。

 ……こんな日々に、おれはついていけるのだろうか。

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