第10話
私は自分が短気だという自覚があった。些細なことで腹が立つなんて日常茶飯事だ。つまり私は怒り慣れていて、憤怒への向き合い方も熟練していると思っていた。
だが違った。今まで私が怒りだと思っていた感情はただの苛立ちで、本当の怒りというものを体感したのは初めてだった。
「おいエド! やめとけ!」
ティックの悲鳴を無視し、隊長を睨み据えてマナを練る。頭は酷く冷静だ。自分自身の行動もどこか他人事のようで、どこか遠くから私の身体を操作しているような、そんな感覚に陥る。
「気づかなかったんだね」
私の声は、自分が想像したより遙かに平坦で、か細かった。
「自分が殺した男の娘が、まさかギルドに入ってくるとは思っていなかった?」
「……お前の念動力はもっと限定的だと聞いていたが」
答える義理はない。復讐相手に手の内を明かす馬鹿がどこにいる。
「冷静になりなよエド」
壁にめり込んだショウが声をかけてくる。落ち着いた声色だが、内心の動揺は透けて見えた。
「これから角姫が攻めてくる。こんなことをしている場合じゃない。そもそも勘違いだ、隊長が好き好んで人を殺すはずが──」
「冗談でしょ」
発作的に声が出た。目の奥にあの時の光景が浮かび上がる。熱と瓦礫。血とモンスター。胸を貫かれた父親。遠い昔の記憶だというのに、その生々しい恐怖は消えなかった。
「じゃあ私が見たものは幻覚だったってことか」
壁がひしゃげる音とショウの呻き声が聞こえてくる。それでも隊長からは目を離さない。一瞬の隙が命取りになる。
視界の端でティックが動いた。拘束から逃れたのだろう。空間転移だ。
無駄だ。 全身に巡らせたマナが、即座に彼女の気配を捉える。
「なっ」
ティックは私の肩に手を伸ばした不格好な姿勢のまま、宙で硬直した。視線だけを向けると、彼女は信じられないものを見るように私の背後を見つめている。
がん、と鈍い音が響いた。
私の脇腹へ振り下ろされたショウの毒刃が、空中に固定された剣に弾かれた音だ。ティックの視線は、この奇襲から私の意識を逸らすための囮だったのだろう。
「嘘でしょ……」後ずさろうとしたショウの身体を、今度こそ完全に拘束する。
「お前、いつも本気を出していなかったのか」
「邪魔しないで」
ティックが僅かに動いた瞬間、二人の首元に力を加えた。どさりと荷物が崩れたかのような鈍い音が響く。これでしばらくは起きないだろう。舞台は整った。あとはやるだけだ。
「念動力系のスキルは強力だ」
二人が無力化されても隊長は動かなかった。椅子に腰掛けたまま、眼窩の奥から鋭い視線だけをこちらに突き刺してくる。
「理論上、自らは微塵も動かぬまま周囲を更地にできる。どんなに強力な武器を持っていようが、どんな優れた武人だろうが関係ない。飛んできた銃弾を跳ね返すことも核爆弾を無効化することもできる。が、あくまで理論上の話だ」
「だからなんだ」
「だが、無制限に高出力の念動力を使おうとすれば脳が焼き切れる。お前の出力からして、何らかの条件付けがあるはずだ。大方、自分の血がついた物体を動かせる、といったところだろう」
返事をしない。否定したかったが、おそらく無意味だろう。まったくどういう勘の良さなのか。
「勘ではない」心でも読んでいるのか隊長は言葉を途切れさせずにそう続けた。「推察だ。スキルはある程度遺伝する。スキルを誤魔化していたのも、実力を隠していたのも間違ってはいない。だが、惜しかったな」
ティックとショウが倒れたというのに、隊長の態度は一切崩れない。時間稼ぎか、何か策があるのか。
いずれにせよ、関係ない。
「復讐なんてば──」
何かを言いかけた隊長が吹き飛んだ。そのまま壁に磔になり、手足がだらしなく揺れる。滑稽だ。間抜けだ。馬鹿みたいだ。目の奥が熱くなる。頭に血が昇り、動悸が激しくなった。いったいこの感情が何なのかは分からない。憎しみ、愉悦、嘲り。そのどれとも違い、その全ての要素があった。
「……ふくしゅ、うなんて。馬鹿な奴がすることだ」
壁に押し付けられながらも、隊長は苦し紛れに言葉を絞り出す。「部屋を壊したら容赦できない」と下らないことを、苦しそうに言ってくる。
「因縁の相手を殺すために人生をかけるなんて、ただの自己満足だ。無意味な行動だ。虚無だ」
「虚無」 鼻で笑う。自ら戦わず、何かを失ったこともない奴が口にしていい言葉ではない。
「私の人生は、父が死んでからずっと虚無だったよ」
頭に浮かぶのは母親の顔だった。冒険者である父を支えると意気込み、幼い私の頭を撫でながらギルドに通っていた若い母の顔ではなく、父を失ってからめっきり口数を減らし、そしてそのまま生気を失って病に倒れた母の顔だ。
『……エド。あなたは立派になってね』
こけた頬を僅かに動かした母は、肌の色と同化した唇を細かく震わせた。
『エドは良い人生を送ってね。私の人生は駄目だったから』
母の枕元にはいつも古びた空き缶が置かれていた。年月が感じられるそれは、どうやら父との思い出の品らしく、それでも丁寧に手入れをされていた。母はいつもそれを懐かしそうに見つめ、「父さんは王都を救ったんだ」と目を細めていた。そんな母に、父はモンスターではなく、人間に殺されたのだとは、結局伝えられなかった。
「ねえエド」
目を閉じ、呼吸は浅くなっていたけれど、それでも母は私の方を見た。瞼に隠された瞳に映る私は、おそらく今の姿ではなく、無邪気に母の手伝いをしていた子供の姿をしているのだろう。優しく噛み含めるような言い方だった。
「頼むから冒険者にはならないでね」
最後に残したその言葉にどんな意味が含まれているのかはもう分からない。けれど、その声はどこか冷たく、空っぽだった。その口ぶりは、父が一生を費やした使命を、彼の行っていたことすべてを軽んじているようにも聞こえ、ましてや憎んでいるようですらあった。父親の人生は、結局母を苦しめたのだろうか。母の人生は無意味だったのだろうか。もしも父が生きていれば。少なくとも母は最後に笑っていたのではないか。冒険者にならないでなんて、そんな言葉を残さなかったのではないか。そして私が一人残されることもなかったのではないか。
「どうして冒険者になったのか」
自分の言葉で現実に戻される。そうだ。忘れてはいけない。私が冒険者をしているのは、目の前で磔になっている父親の敵を討つためだ。両親を失い、困窮した私はあらゆる手段を用いて壁の刃に加入した。最初は顔を隠し、身分を偽ろうとしていたが、隊長が私のことをそもそも覚えていないと気づいてやめた。あいつに気づかれた時が復讐の機会だと思っていたが、まさかここまで気づかれないとは。
「復讐をして何になるのか」
何にもならない。なる必要すらない。
「強いて言うなら私が幸せになる。それだけ」
「悲しい幸せだな」
悲しい? 何を根拠に。人の感情を勝手に決めつけやがって。幸せ者の理屈だ。安全圏から偉そうにふんぞり返り、自分は暖かい部屋で日々の細やかな不便に──少し扉の立て付けが悪いとか、晩ご飯の味付けが変だとか、そういったことに文句を言いながら、暇つぶしに人の生き方を糾弾し、邪魔してくる。清廉潔白では生きられない私に対し、清廉潔白で生きてきた奴が文句を言ってくるな。
「落ち着け」
落ち着けるわけがない。あと少しマナを込めれば終わる。
そうだ。あと少しで終わる。なのに、なぜ私はさっきから一人で自問自答している? 違う。この思念は私のものではない。誰かが雑念を送り込んできている。そんな馬鹿げたことができる奴は、一人しかいない。
「クルス!」
隊長から意識を逸らさぬまま扉へ目をやり、血を飛ばそうとする。
だが、手が動かない。
いつの間にか扉は宙を舞い、壁に突き刺さっていた。そして、私は床に倒れ伏している。 なぜ。思考がまとまらない。他人の声が、情報が頭に流れ込んでくる。脳が焼き切れそうなほど熱い。目がチカチカとし、全身が震える。
「エドは昔から思い込みが激しい」
クルスの声が聞こえてくる。思念じゃない。現実の声だ。
「自分だけが優位な立場にいると思い込む。スキルの詳細を隠しているのは自分だけだと思い込む。悪い癖だ」
「残念だったな」
隊長の声が聞こえてくる。けれどその声も分厚い膜に覆われているようにくぐもっていた。
「俺はまだ死ぬわけにはいかないんだよ」
段々と世界が暗くなっていく。薄れゆく意識の中、身体を支配したのは怒りでも絶望でもなく──強烈な後悔だった。
───────
暖かい布団で目を覚ました時、きっと何かの間違いだと思った。
綿のつもった布団は身体の形に沈み込んで私を包んでいた。周囲の壁は整った木目が綺麗で傷一つなく、開かれた窓からは陽光が零れている。柔らかい空気は私が動く度に肌の産毛をくすぐり、綺麗な鳥の声が僅かに残った微睡みを取り除いてくれる。
なんて清々しく、心地よい空間だろう。
反吐が出る。
気に入らなかった。あまりに似合わない。私から漏れ出た黒い感情がこの部屋に溢れ出て、ありとあらゆるものを汚してしまっているような、そんな気分になる。
「目が覚めたか」
部屋の左奥から男の声が聞こえてくる。半ば反射的だった。手の平のかさぶたを人差し指で剥がし、声のした方へ血を飛ばす。
「落ち着けよ犯罪者」
が、私の血は声の主へは届かなかった。本来扉があるべき場所に、面会室にあるような透明な板が嵌め込まれており、そこに赤い液体が張り付く。
「まったく。最近の若いのは血の気が多くて困るな」
「ここはどこ?」
「……攻撃をしかけた相手に、平然と質問するたあ、良い度胸だな」
「教育係のおかげだね」
軽口を叩いてみせたが、声の鋭さは隠せなかった。復讐に失敗したという現実が、想像以上に重くのしかかる。
「ここはうちのパーティー拠点、その尋問室だ」
透明な壁の向こうには、ぼさぼさの白髪に傷だらけの肌をした大柄な男が立っていた。
「俺はお偉いさんと仲がいいもんでな。冒険者のはずだったのに、いつの間にか憲兵紛いの仕事ばっかりやらされている。近じゃモンスターを相手にする時間より、犯罪者を痛めつけている時間の方が長い」
「ふーん。でも、尋問室にしては随分と豪華な部屋だね。私の部屋よりよっぽど綺麗だ」
「綺麗な部屋で、いかに自分が汚れているか自白させた方が、心にくるだろ」
「悪趣味だ」
「お前に言われたくないな」
男は鼻を鳴らし、前髪を掻き上げた。ほとんど開いていない細い目の奥に、漆黒の瞳が覗く。
「親の仇を討つために何年も本性を偽っていたんだろ? 正気の沙汰とは思えん」
「正気じゃないからね」無意識の内に目を閉じていた。それだけで簡単に私は地獄に行くことができる。血と炎の世界に行くことが、できる。
「その話、隊長から聞いたの?」
「クルスからだ。あいつがここまで連れてきたんだよ」
「ああ」なるほど。そういうことか。
「お前の復讐は失敗だ。全員無事で、大きな怪我はなかったらしい。だがまあ、消耗は想定以上だって隊長は嘆いていたらしいがな」
「それは災難だったね」
「他人事みたいに言いやがって」
私は男の言葉を無視して軽く目を閉じた。手にマナを籠める。男を吹き飛ばそうとしたのではない。透明な壁そのものを壊そうとしたのだ。が、全ての意識を集中させても、真ん中に大きな罅が入るだけだった。頑丈すぎる。
「落ち着けよ。そんなに急いで外に出ようとしなくてもいいだろ」男は壁に入った罅を興味もなさそうに見つめていた。「何かやりたいことでもあるのか」
「知らないの? 災難ってのは繰り返されるらしいよ」
「知りたくなかったな」
男は落ち着いていた。軽薄で適当な雰囲気を醸し出そうとしているが、滲み出る老獪さは隠すことはできていなかった。
「それで? 私はこのまま牢屋にぶち込まれるの?」
「それは俺の気分次第だ。」
「いつの間にか王都の刑法はそんなに緩くなったんだね。それ何条?」
「一条だ。犯罪者の量刑はシェーディー様の気分次第ってね」
「……シェーディー?」
聞き覚えのある名前だった。「クルスが前にいたパーティーの隊長だっけ」
「よく知っているな。俺も有名になったもんだ」
「私、子供の頃はギルドに入り浸っていたからね」
「そうだったな」
状況が何となく分かってきた。壁の刃をクビになったクルスは、以前所属していたシェーディーのパーティーに復帰したのだろう。ここは王都の中心。隊長殺しの未遂犯である私を憲兵に突き出すついでに、ここまで運んだというわけか。
「その場で殺されなかっただけマシか」
「……それはどうだろうな。このまま牢獄に行くよりは死んだ方がマシかもしれないぜ。酷い目に遭うだろうよ」
「今以上に?」
「そりゃそうだ。うちの尋問室は快適だからな」
「そうじゃない」今度は私が鼻で笑う番だった。「私は父が殺されてから、ずっと死んだ方がマシだと思っているんだよ」
「いい大人なんだから、そろそろ親離れしろよ」
シェーディーは落ち着いていた。「そもそもお前が恨むべきは角姫なんじゃないのか。作戦が悪かったとはいえ、あいつを恨むのはお門違いだ」
「そうじゃない」危うく叫んでしまいそうになるのを必死に堪える。「作戦が悪かったから死んだんじゃない。父は隊長に殺されたんだ。比喩でも結果論でもないよ。私は父が隊長に剣で貫かれる瞬間を見ていたんだから」
「そうか」
あのガキがねえ、と何やら感慨深そうに呟いた彼は、「とにかく」と私を見据えて言ってくる。
「残念だがお前の復讐劇は失敗だ。面も割れ、ここは王都のど真ん中。逃げ道はないし、壁の刃の拠点に戻ることも不可能だ。復讐は諦めろ」 淡々と言い切った後、彼は急に頬を吊り上げ、歪な笑みを浮かべた。
「と、言うようにクルスに頼まれているが」とざらついた声で言ってくる。「俺はな、お前にチャンスをやろうと思っているんだ」
「チャンス?」
「俺の依頼を完遂してくれたら、お前を解放してやる」
それは何とも怪しいチャンスだな、と身構える。立場的に圧倒的に不利である私に取引を持ちかけている時点で胡散臭かった。
が、だからといって選択肢はない。少なくとも表面上はそのチャンスに乗ったふりをしよう。相手もどこかで油断するはずだから、その隙に逃げられるかもしれない。大丈夫だ。糞食らえと思いながらも、道化を演じながら仕事をすることなら慣れている。
「俺はな、壁の刃の隊長の目論見を阻止したいんだよ」
が、予想外の言葉が出てきて戸惑う。目論見を阻止する? 「なんで」
「壁の刃の隊長を嫌っている奴なんてな、腐るほどいるんだよ。俺もその一人だ。あいつ、今回の角姫討伐でギルドの依頼を断ったんだろ? 一人で成果を独占するつもりなんだ。クルスから聞いたとき、思わず怒鳴っちまったよ」
年甲斐もなくな、と口調こそ反省しているようなことを言っていたが、その実むしろ怒りは収まっていないようだった。
「だから、あいつが角姫を倒す前に俺達で倒す。その協力をしてほしい。クルスは石頭だからな、隊長の肩を持ちかねないし」
「良いように私を味方につけたいだけなんじゃないの?」
「そうだ」シェーディーは否定すらしなかった。「あのクソガキにその傲慢さを気づかせるためなら、俺は手段を選ばない」
「なるほどね」
「いいか。お前がもし俺達の作戦の妨害をしたり、仲間を怪我させたりしたら、即座に殺す。が、俺の言うことを聞いてくれたら、もう一度隊長と会わせてやるよ。後は煮るなり焼くなり好きにしろ」
どうだ、とシェーディーは言ってくる。が、私が答えるより早く「もっとも」と付け加えた。「お前は頷くことしかできないだろうがな」
「頷かないとずっとここに閉じ込めておくつもりだから?」
「いいか。隙を見て逃げようって顔してるが、無駄だ。頼むから諦めて協力しろ。復讐なら角姫を倒した後にやれ。……今のはクルスには内緒だぞ。あいつには『角姫討伐後にこいつを更生施設に送る』って言って納得させてるんだ。あいつには俺もお前も逆らえないから、大人しく言うことを聞いとけ」
「あいつって誰のことを言っているんだ。ああ?」
私が口に出すより早く、底冷えのする声が響いた。誰の声かなんて、考えるまでもなかった。
「クルス」シェーディーが露骨に嫌そうな顔をする。「作戦会議は終わったか?」
「エドが目を覚ましたらすぐ連絡しろと言っただろ」
「悪かったよ。でもよ、丁度今説得が終わったんだぜ。こいつも反省して、俺達に協力してくれるってさ」
透明な壁の向こうで、クルスがきっと睨んでくる。背丈はそこまで変わらないはずなのに、見下されているような気分になる。
「なあエド」壁を挟んでいるのに、彼女が目の前に迫っているような錯覚に陥る。
壁を挟んでいるのに、彼女が目の前に迫っているような錯覚に陥る。余計なことを言えば、比喩ではなく殺される。本能がそう告げていた。。
「えっと」何かを言わなければ。そう分かっているのに、言葉が中々出てこない。「あの」
「なんだ。はっきり言え」
「ハロー。久しいですね」
息災でしたか? そう訊ねる。クルスの顔が信じられないほど恐ろしい形相へと変わっていく。あれほど鬱陶しかった透明な壁が、今では唯一の命綱のように感じられた。
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