第10話 前を向いた人にしか


ストロボの強烈な光が、白いホリゾントスタジオに何度も瞬く。

シャッター音がリズミカルに響き渡る中、俺――高瀬たかせ さくは、モニターに次々と映し出される写真から目を離せずにいた。


今日は、藤咲ふじさきすみれのソロデビューシングルのジャケット撮影だ。

楽曲のコンセプトは「決別と新しい夜明け」。

だが、現場の空気は開始から一時間以上が経過しても、どこか重く沈んだままだった。


「うーん……藤咲さん。綺麗なんだけど、なんか違うんだよね」


アートディレクターが、モニターの前で腕を組みながら渋い顔をする。


「どうしても、『グループのセンター』感が抜けきらないというか。周りに他のメンバーがいて、その真ん中でバランスを取っているような……そういう優等生な顔に見えちゃうんだよ。もっとこう、一人で立って世界をねじ伏せるような、強くて新しい『個』の顔が欲しい」


「……申し訳ありません。もう一度、お願いします」


セットの中央に立つすみれは、深く頭を下げた。

表情は完璧な『塩対応』の仮面を被っている。だが、担当マネージャーである俺には分かった。

彼女の背中が、ほんの僅かに強張っていることに。


(……迷っているな)


Lumière Notesルミエール・ノーツという絶対的な看板を外した彼女に求められるのは、調和ではなく圧倒的な『個』の力だ。

昨夜のティザー映像解禁に対するSNSの反響――『グループの時の方が良かった』『ソロだと弱い』というノイズが、彼女の無意識下に重くのしかかっているのだろう。

期待に応えようとすればするほど、過去の自分の幻影に縛られてしまう。


「すみません、十分間休憩を入れます! メイク直しお願いします!」


俺はカメラマンに声をかけ、強引に撮影を止めた。

これ以上漫然とシャッターを切らせても、彼女を消耗させるだけだ。


「高瀬さん……」


セットから降りてきた彼女に、俺はあらかじめキャップを緩めておいたミネラルウォーターを手渡した。

周囲のスタッフには聞こえない、二人の間だけの距離。

すみれは水を受け取ると、俯き加減で小さく唇を噛んだ。


「……ごめんなさい。私、どうしても……」


「謝る必要はない」


俺は長々とした慰めの言葉をかけるつもりはなかった。

今の彼女に必要なのは、傷を舐め合うような優しさではなく、絡まった思考を断ち切る鋭い刃だ。


「過去の自分と戦おうとするな。世間がどう比べようと、今の君を見に来てる人間は、過去の亡霊を見たいわけじゃない」


「でも……私、どういう顔をしていいか……」


迷子のような、心細い声。

俺は彼女の目を真っ直ぐに見据え、言葉を紡いだ。


「後ろを振り返って、過去の自分と背比べをしている人間の顔なんて、誰も見たくないんだよ」


「……え?」


「どんなに不恰好でも、たった一人でも。……前を向いた人間の方が、絶対に画は強い」


俺のその一言が落ちた瞬間。

すみれの肩が、ビクッと大きく跳ねた。


持っていたペットボトルの水面が微かに揺れる。

彼女は息を呑み、見開かれた瞳で俺の顔を食い入るように見つめてきた。

その瞳の奥で、驚きと、戸惑いと、そして言葉にできないほどの強い熱が、爆発するように渦巻いているのが分かった。


(……なんだ?)


俺が不思議に思って首を傾げようとした、その直後。

彼女はふっと目を伏せ、そして、カメラの前では絶対に見せないような、ひどく美しく、泣き出しそうな微笑みを一瞬だけ浮かべた。


「……高瀬さん」


顔を上げた彼女の目には、もう一切の迷いはなかった。


「もう大丈夫です。行きましょう」



その後の撮影は、伝説的と言っていい仕上がりだった。


セットの中央に戻った彼女が、カメラのレンズを真っ直ぐに見据えた瞬間。

スタジオの空気が、物理的に変わったのが分かった。

過去の幻影を振り払い、ただ前だけを見据える強烈な意思の光。孤独を受け入れ、それでも一人で立つ覚悟を決めた、圧倒的な『顔』。


「……すげえ。これだよ、これ! 最高だ藤咲さん!」


カメラマンが興奮したように叫び、シャッターを切り続ける。

モニターに映し出されるその姿は、間違いなく『ソロアーティスト・藤咲すみれ』の誕生の瞬間だった。

俺は、自分の放った言葉が上手く彼女のスイッチを入れたことに安堵し、深く息を吐き出した。



その夜。

無事に撮影を終え、実家のマンションへと帰宅した俺たちは、リビングでそれぞれの時間を過ごしていた。


俺はノートパソコンを開いて明日の確認作業。

すみれは、ソファの隅で膝を抱え、俺が淹れたハーブティーの入ったマグカップを両手で包み込むように持っている。


だが、今日の彼女はいつも以上に静かだった。

俺に話しかけてくるでもなく、かといって部屋に戻るわけでもない。

ただ、マグカップの縁を見つめながら、何かに深く思いを馳せているような、そんな不思議な空気感を纏っていた。


「……疲れが残ってるのか? 今日の撮影、かなり集中力を使っただろうしな」


俺がキーボードから手を止めて声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……ううん。疲れてないよ」


そう答える彼女の顔は、現場での冷たい『塩対応』の仮面を外し、ひどく柔らかく、そしてどこか切なげだった。

彼女の視線が、俺の顔をじっと辿る。

まるで、今の俺の輪郭の向こう側に、別の誰かの姿を重ね合わせているかのように。


「……朔」

「ん?」


「今日の、撮影の時の言葉」

「ああ。『前を向いた人間の方が強い』ってやつか。ちょっと偉そうだったかもしれないが、結果的に良い写真が撮れたなら――」


俺が仕事としての成果を口にしようとすると、彼女はふるふると首を横に振ってそれを遮った。


「ううん。……嬉しかったの」


彼女はそれだけ言うと、そっと立ち上がり、俺に背を向けて自分の部屋がある廊下へと歩き出した。

ただの感謝の言葉にしては、重すぎる響き。

俺が何か言い返そうと口を開きかけた、その時だ。


客間のドアノブに手をかけた彼女が、背を向けたまま、俺にはほとんど聞こえないような、吐息に溶けるような声で呟いた。


「……やっぱり、朔なんだ」


それは、俺に向けられた言葉ではなく、彼女が自分自身の中に抱え込んだ、大切で、どうしようもなく切ない『過去』への確認作業のようだった。


パタン、とドアが閉まる。

リビングに取り残された俺の耳には、彼女のその囁き声が、いつまでも奇妙な引力を持ってへばりついていた。



-------------

【あとがき】

お読みいただきありがとうございます!


第10話、いかがだったでしょうか。

ジャケット撮影で壁にぶつかったすみれを救ったのは、朔の「前を向いた人間の方が強い」という言葉でした。

朔自身は仕事上のアドバイスとして(少し偉そうに)言ったつもりですが、すみれにとっては、6年前に自分を救ってくれた「あの時の彼」と完全に重なる決定的な一言でした。


「過去と繋がった!」「すみれの感情が重くて尊い……」「朔、早く思い出してあげて!」と思っていただけましたら、

ぜひページ下部の【★の評価】や【作品フォロー】で応援していただけると、執筆の最大の励みになります!


次回、第11話「風邪とポカリと元センター」。

完璧な彼女が珍しく体調を崩し、朔の看病スキルが発動。家での無防備さがさらに加速します。


引き続き、よろしくお願いいたします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る