はじめに伝えるべきことがある。
本作は、いわゆる嫁と姑の確執を描いた物語ではない。
語り手は母親である。
彼女にとって息子は、自らが作り上げた成果物。
価値の〝結晶〟だった。
本作は、その〝完成品〟である息子が変質していくことに対する、彼女の苦悶を描いている。
自慢の逸品であった息子は、婚姻を機に嫁の価値体系の中へと組み込まれ、次第に埋もれていく。
語り手の目には、それが〝台無しにされていく過程〟として映るのだ。
この状況下で、語り手にとっての敵となるのが嫁である。
だが彼女は語り手へ抗弁せず、対立もせず、そもそも語り手に関わろうとすらしない。
彼女が夫に及ぼす影響にも、悪意も暴力も強制も存在しない。
それにもかかわらず、語り手にとってそれは紛れもない〝従属物〟への侵害であり、脅威だった。
礼節や報告、家族の役割。
語り手が当然とする社会的規範は、嫁の世界には存在しない。
その結果、両者の価値観は断絶したまま、決して交わることがない。おそらくは永遠に。
ここで読者は考えさせられるだろう。
語り手にとっては価値を奪われた存在でしかない息子。
彼のその変化は、果たして外的な影響によるものなのか?
それとも彼自身の意志によるものなのか?
異様なのは嫁なのか?
それとも〝こうであるべき〟という観念に固執する語り手なのか?
本作は独白体という形式をとっており、意図的に客観性が排されている。
だが、その偏った視点こそが作品全体に強い構造的緊張をもたらしてもいるのだ。
まさにここに作者の構成の巧みさが表れていると言えるだろう。
物語の読了後に残るのは、明快な答えではない。
〝何であれ、こうであったのだとしたら嫌だ〟
そう感じさせる重い余韻である。
本作は、深い洞察と緻密な表現によって編み上げられた、偏見と独善、そして従属をめぐる優れた物語だ。
多くの方に、本作の不明瞭なまま静かに侵食してくる不快さを、一度味わってほしい。
そう思わずにはいられない作品である。