第2話 力自慢と吟遊詩人

カラン、と乾いたドアベルの音が、喧騒に紛れて消える。

 いらっしゃい、と声をかけるまでもない。今の時間は、どいつもこいつも中央のステージに釘付けだ。


ここは宿場町のはずれにある、なんてことない酒場だ。名前なんてのはどうでもいい。「いつもの場所」で通じる程度の、どこにでもある掃き溜めさ。だが、ここ数週間、うちの売り上げはいつもの三倍を超えている。


理由は単純。あそこに座っている優男――吟遊詩人のリュートが、極上の「肴」を運んでくるからだ。


「……そして勇者アリスの一行は、ついに『沈黙の回廊』を突破した。そこに待ち受けていたのは、魔王軍四天王が一人、漆黒の将軍……」


リュートの爪がつま弾く弦の音が、緊張感を孕んで空気を震わせる。客たちは息を呑み、エールを飲む手も止めている。

 五年前、この町から旅立った勇者一行。当時は「また威勢のいいガキが出ていった」なんて笑われていたもんだが、今や彼らは魔王の喉元、幹部たちの居城にまで迫っているらしい。


その最新の、それもまるで見てきたかのような詳細な武勇伝を、この詩人は語ってくれる。

 彼が来てからというもの、酒場は連日満員御礼。客は物語に酔い、喉を乾かしては追加の酒を注文する。俺は儲かる、彼は拍手と投げ銭と酒にありつける。

 まさに、これ以上ない「win-win」ってやつだ。


だが、世の中ってのは、景気のいいところに必ず水を差したがる馬鹿が現れるもんで。


「――けっ、湿っぽい歌だなぁ、おい!」


響いたのは、物語の余韻を台無しにする野卑な声だった。

 カウンターの端で、ジョッキを叩きつけたのはゴルドだ。この界隈では名の知れた高ランクの「重装騎士(タンク)」で、そのタフさと力自慢だけは本物だが……いかんせん、酒癖と性格が終わっている。


「おい、詩人! さっきから聞いてりゃ、勇者がどうだの魔王がどうだの。お前、その現場にいたわけでもねえだろうが。口先だけで飯が食えるんだから、気楽な商売だよなあ?」


酒場の空気が一気に冷え込む。客たちが舌打ちを漏らすが、ゴルドのあの巨体と、背中に背負った大盾、そして「金剛のゴルド」なんて二つ名を知っている連中は、誰も文句を言えない。


詩人の青年――名前は言わねえが、彼は歌を止め、困ったように眉を下げて笑った。


「おっしゃる通りです、旦那。私はただの語り部。剣も振るえなければ、盾で仲間を守ることもできない、非力な男ですよ」

「ハッ、自覚があるならマシだ! だがな、俺ぁ気に入らねえんだ。戦いもしねえ奴が、戦ってる奴のことを金に変えてるのがよ。おい、その細い指で俺の鎧を突いてみろ。へし折ってやるからよ」


やれやれ。俺はカウンターの下で、いざという時のための棍棒に手をかけた。ゴルドが暴れりゃ、店が壊れる。だが、あの詩人は慣れたもんで、さらりといなそうとしている。


「いえいえ、滅相もない。私の指なんて、旦那の立派な鎧に触れただけで粉々でしょう。それより、一杯いかがです? 勇者の好物だったという、西方の蒸留酒があるんですが」

「誤魔化すんじゃねえ!」


ゴルドが立ち上がった。椅子がガシャリと倒れる。

 あーあ、止まらなくなっちまった。ゴルドは酔った勢いで、詩人の胸ぐらを掴もうと太い腕を伸ばした。


――その時だった。


詩人は逃げなかった。避けるような大きな動作もしなかった。

 ただ、リュートを抱えたまま、ほんの少し、半歩だけ身体を斜めに開いたんだ。


次の瞬間、何が起きたのか、並の客には見えなかっただろう。

 ゴルドの巨体が、まるで自分から床に突っ込んでいくような勢いで、宙を舞った。

 いや、舞ったというより「ひっくり返った」という方が正しい。


ドゴォォォンッ!!


店全体が揺れるような衝撃音。

 床に叩きつけられたのは、当然、鎧を纏った大男の方だった。ゴルドは目を白黒させ、自分がなぜ床と親友になっているのか理解できないといった顔で呻いている。


「おっと……。失礼、旦那。足元にエールが零れていたようで。滑りやすいですから、お気をつけて」


詩人は、涼しい顔でそう言った。手元には、傷一つついていないリュート。

 俺はため息をついて、棍棒から手を離した。


馬鹿な奴だ、ゴルド。

 高ランクのタンクだか何だか知らねえが、経験の「質」が違うんだよ。

 俺は知っている。この詩人がこの街に現れた時、そのボロボロの外套の下に、勇者一行しか持っていないはずの「王家の加護」が刻まれた銀のブローチがあったのを。


彼は五年前、勇者と共に旅立ったはずの初期メンバーの一人だ。道中、怪我か何かで一線を退いたとは聞いていたが……勇者と共に死線を潜り抜けてきた男が、ただの「歌い手」なわけがないだろう。

 魔物の突進をいなす技術に比べりゃ、酔っ払いの大振りを転がすなんて、瞬きするより簡単だったに違いない。


静まり返った酒場で、詩人は再びリュートの弦を弾いた。

 今度は、先ほどまでの英雄譚とは違う、軽快でどこか小馬鹿にしたようなリズムだ。


「――♪ 力自慢の鋼の騎士~ 自慢の盾は床を叩く~ 勇者を語れば顔を真っ赤にし~ エールの海で平泳ぎ~♪」


客席から、ドッと笑いが起きた。

 一番の強者が一番の笑い者にされる。酒場において、これ以上の娯楽はない。

 ゴルドは真っ赤な顔をして立ち上がると、捨て台詞を吐く余裕もなく、逃げるように店を飛び出していった。


「……ふぅ。お騒がせしましたね、マスター」

「気にするな。あいつのツケは、今の歌の興行収入で相殺してやるよ」


俺がそう言うと、彼はいたずらっぽく笑って、また新しい曲を弾き始めた。

 これでしばらくは、ゴルドもこの店でデカい顔はできないだろう。店は平和になるし、詩人の評判はさらに上がる。客は面白いもんが見られたと喜んで、酒が進む。


やっぱり、win-winだ。


俺は新しいジョッキにエールを注ぎ、忙しなく動き回る。

 勇者が魔王を倒すまで、あとどれくらいだろうか。

 その結末を、特等席で聞けるってんなら、酒場の親父(マスター)って商売も、そう悪くない。


今夜の酒は、いつもより少しだけ、美味い気がした。 ---

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