第6話 ホワイトオパールと、大伯父の手紙
手紙の紙は、思っていたよりも新しかった。
つまり大伯父は、本当に最後の時期にこれを書いたのだ。
私はビーと並んでソファへ座り、ゆっくりと読み始めた。
親愛なるNへ。
もしこの手紙を君が読んでいるのなら、私はずいぶん上機嫌で負けたことになる。
なにしろ、君がいつこの別荘へ来るのかも分からず、来たとして書斎でどの本を手に取るのかも分からず、さらに言えば、謎を解く気分でいてくれるかどうかさえ定かでないのだから。
それでも私は賭けてみた。君はきっと、いずれまた“観察すること”を愛するだろうと。
君が子どもの頃、この館で一緒に過ごした時間は、私にとってもかけがえのないものだった。
君が眉間に皺を寄せて考え込み、答えに辿り着いた瞬間だけぱっと顔を輝かせる、その様子を見るのが私はたまらなく好きだった。
君はたいへん賢く、そして優しい子だった。
大人になった今も、そうでいてくれたら嬉しい。
医者には、あまり長くはないと言われている。
だからこれは、おそらく私がこの別荘に滞在する最後の冬になる。
君に会えないまま終わる可能性のほうが高いだろう。
それでも、何か一つだけ残したかった。
君がいつか本当に大人になって、大切な人とこの館を訪れた時にだけ届くものを。
箱の中の指輪は、ホワイトオパールだ。
私は昔から、あの石が好きだった。
白く静かな石の中に、見る角度によって小さな虹が宿る。
希望、純真、そして安らぎ。
そうした言葉を託される石だと聞く。
どうかこれを、君自身と、君が心から大切に思う人へ。
もし君に、そういう人がいるなら。
もし君が、その人の隣で穏やかに笑えるようになっているなら。
その時はどうか、遠慮なく持っていきなさい。
私はそれを、とても嬉しく思うだろう。
最後に。
シャーロック・ホームズは、観察と推理だけの人ではない。
彼は稀に、とても深い友情と敬意を示す。
私は、人生の最後に残す遊びとして、そのことを君に思い出してほしかった。
知性と優しさのどちらか一方では、
人は誰かを本当に大切にはできない。
どうか、どちらも失わずに生きなさい。
君の大伯父より。
読み終えたあと、私はしばらく手紙を閉じることができなかった。
視界が滲んでいた。
泣くつもりはなかったのに、気づくと涙が頬を伝っている。
子どもの頃の冬の午後。
書斎の匂い。
大伯父の笑い声。
「観察したまえ、N」と言う声。
それらが一気に押し寄せてきて、胸の内側を静かに満たしていく。
「N⋯」
ビーが、そっと私の手へ触れた。
私はようやく息を吐いた。
そして手紙を膝の上に置き、隣の彼女を見る。
ビーも泣きそうな顔をしていた。
「…ずるいねっ⋯?」
私はかすれた声で言った。
「最後にこんなの、ずるいっ⋯」
ビーは頷いた。
「うん。すごく、やさしい人だったのね」
「うん」
「会えなかったのが、ほんとうに残念」
私は涙を拭って、少し笑った。
「たぶん大伯父、ビーのことすごく気に入ったと思う」
「だといいな」
「絶対そう。だってこれ、もう完全に“君が大切な人と来るなら渡しなさい”ってやつだから」
その言葉に、ビーは少し頬を赤くした。
泣きそうだった顔に、今度は照れが混じる。
私は指輪の箱を見た。
ホワイトオパールが二つ。
白い石の奥に、ひそやかな虹が灯っている。
希望。
純真。
安らぎ。
その石言葉が、今だけは不思議なくらい大伯父にも、ビーにも似合う気がした。
「…ねえ、ビー」
「うん?」
「これっ⋯」
私は箱を持ち上げた。
「受け取ってくれる?」
ビーは目を見開いた。
ほんの一瞬、呼吸が止まったみたいに動きをなくして、それからゆっくりと頷く。
「うんっ⋯」
その声は、小さかったけれど、とてもはっきりしていた。
私は箱から一つを取り出した。
ホワイトオパールは冷たく、けれど触れた先からすぐに体温へなじむ。
「左手、貸して」
ビーはおずおずと手を差し出した。
その指先がわずかに震えている。
私も同じだった。
指輪をはめる。
細い指に、白い石がよく映える。
ビーは何も言わず、その手元を見つめた。
やがて、泣きそうに笑う。
「……きれい」
「うん⋯」
「すごく、嬉しいっ⋯」
私はもう一つを自分の指にはめた。
二人の手を並べる。
同じ石が、違う光を返している。
「大伯父、たぶんいま、すごく上機嫌だろうね」
「賭けに勝ったんだものね」
「うん」
そのあと、ビーは静かに私へ寄りかかってきた。
私は彼女の肩を抱き、しばらく何も言わなかった。
言葉にすると少し安くなる気がしたのだ。
こういう時は、ただ触れているほうがいい。
けれど夕方が夜へ変わり、暖炉の火がまた部屋を赤く染め始めた頃、私は指輪をはめた彼女の手を取って、そっと口づけた。
「…愛してるっ⋯」
今度は、囁きではなく、はっきり言った。
ビーは顔を上げた。
その瞳には、涙と光が同時に揺れていた。
「私もっ⋯」
その返事だけで、私は十分だった。
でも十分なのに、まだ足りなくて、私は彼女へ口づけた。
泣いたあとの口づけは、なぜかひどく甘い。
優しさと欲しさが、いつもより密接に混ざっている。
ビーの指先が、私の服をきゅっと握る。
指輪が、かすかに硬い感触で私の手に触れた。
大伯父の最後のゲームは、ただの宝探しではなかった。
それはたぶん、“大人になった私”へ向けた祝福だったのだ。
そう思うと、胸の奥のどこかで、長く凍っていたものが静かに溶ける気がした。
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