相貌失認を患い、顔が判別できないがゆえに、
薄情だと思われてきた。
そんな私は、そう見られることに慣れ、心を閉ざすことで、
その薄情さで誰も傷つけないようにしてきた。
ずっと傷つくことに耐えてきた私が、出会ったのは――あの優しい彼だった。
彼は違った。
私のような“普通ではない”存在に対し、
彼の好奇心は優しさで、
近づくことも優しさで、
冗談も優しさで、
寄り添うことも優しさに満ちていた。
けれど、そんな優しさが、私に不安を抱かせ始めた。
彼が私の生活に色を戻し、温もりと希望をくれたから。
閉じた心を開いて未来に踏み出したいと願う私に、
待っている幸せな生活を、もう頼らずにはいられなくさせてしまうから。
でも、これもいいことなのかもしれないね。
家族の顔すら思い出せない「相貌失認」を抱える主人公の白花。輪郭が曖昧な世界を生きる彼女ですが、クラスメイトの朝凪くんのことだけは、その声や足音、そして「ころ」と鳴るやさしい笑い声の『音』で確実に見つけることができます。本作は、他人の顔がわからないという孤独な葛藤を抱えながらも、たった一人だけ特別に響く「音」に惹かれていく少女の、静かで切ない日常を繊細に描き出しています。
視覚ではなく「聴覚」で恋心を描写する表現力が圧倒的で、深く心を揺さぶられます。騒がしい教室の中で朝凪くんの足音だけを拾い上げる場面の純粋さや、放課後の教室でついに自身の症状を打ち明ける瞬間の、ふっと「音が消える」という緊迫感と思わず息を呑むほどの心情描写が見事です。相手の顔が見えなくても、誰よりも深くその人を理解しようとする思いの強さに胸が温かくなります。繊細でやさしい、忘れられない恋の始まりに触れたいすべての人に強くおすすめしたい傑作です。