弍話 海泡石/人間との誓約
「ルヴィーナ、あなたは私に似ている。六人の姉たちの誰よりも」
急に言われてびっくりする。髪の色も瞳の色も、神秘的な美貌も、アディアーヌさまとどこも似ていない、今までそう思ってたから。
「さっき言ったでしょ? 悪い人間に
アディ大叔母さまは目を細めて言う。
引っかいてやるとは言わなかったけど、ルヴィは思ったが年上の人魚姫の深い緑の目と目が合うと反論できない。
優しい光、優しいけれど少し悲しそう。
なぜ……ルヴィはアディアーヌ姫を見つめて疑う。
「ルヴィーナお前は真面目な子、なのに物好きで。心の奥では新しい冒険に憧れている」
ルヴィは思わず自分の胸に手を置いた。
――バレてる!
心臓がドキドキしてる。
思い当たることばかりで。
イルカと競争してストップがきかず、珊瑚に突っ込んだのを知られた?
マンボウのお腹をくすぐりまくったこと? 笑わせたら表情が変わるのかと思って。
やっぱりあれかも! チョウチンアンコウのメスの体からオスを取ってあげようとして、お父さまから大目玉を……註1
「お前も色々やっているのね」
大叔母さまの優しい目は何もかも見透かしてそう。ルヴィはさらにしゅんとする。
そうなのだ、年取った人魚はみんなそうだけど大叔母さまは魔法が得意でいらっしゃる。一族の若い娘のしでかしを水晶球にまるっと映しとっているのだろう。
ルヴィは抗弁を試みる。
「お…お言葉ですけど、おばさま。あたし人間になんか興味ないです。好きになんかならない。だって海の生物を捕まえて食べちゃうし。人間が汚染するからヒゲクジラが食べるオキアミも年々減ってきてる。白イルカのじじさまから聞きました、イルカの子を誘拐し体に変な小箱と線を取り付けたんですって! 箱からチクタク、赤と青の線からあやしい氣が……人魚とイルカで協力し合い子イルカの箱をはがし投げ捨てたらドーンと大きな音と水飛沫が上がったそうです。もし助けられなかったらどうなってたか? 人間どもは悪辣で非道で、残虐で悪食ってみんな怒ってますから!」
聞きかじった、人間の
「そうね、悪い人間もたくさんいるわ。悪い心を持つ人間はね。でも……海が広いように人間もたくさんいるのよ」
多様性という概念を理解するのに、ルヴィーナの
まずこの世界を、海と陸を乗せた星について学び、生き物と自然現象の関わりあいを理解しないと。ここは豊かなたくさんの命で満ちた世界。その関係は複雑で繊細で……。ひとつひとつみんな違っていて、みんな尊い宝物だと理解しなければならない。
海を治める人魚の王族たちは、十五歳になると例外なく海の上の世界をのぞいて、そこで人間が何をしているか見ておくことにした。自分たちと異質、でも海の上の世界で王のような顔をして振る舞う人間たちの実態を目にうつすのだ。
「あなたはお転婆さんだけど、心がまっすぐで、海の泡のように透明。他の者の話に耳を傾け、自分のことのように憤って心を痛めもする。だからこそ気をつけないといけません。あなたのお母さまも心配してるわ。悪い人間だけが心に翳や染みをつけるのではない。惹かれることなどない人間――そう思っていても、この世界に絶対なんてないのよ可愛いルヴィーナ、海の中にも海上にも、海の上陸の世界の人間たちにも絶対なんて決まりはないの」
「人間たちには絶対の誓約がない?」
ルヴィは大きく目を見開いた、母親譲りの海泡石のブルーの瞳を。
「お勉強しているのね、偉いわあなた」
アディさまの口は優美にもち上がったが、翡翠の瞳はちっとも笑っていなかった。「そうよ、人間たちは、自分たち同士でも誓約を守らないことがある。でもそれは心が悪いからだけじゃない。誓約――約束を破るつもりがなくても破らなければならないことがある。もしあなたと人間が約束を交わしても、その約束を人間は悪い心からではなくむしろあなたのために破ることがある。それが人間の世界にしばしば悲しみをもたらすのよ」
人間の誓約破りのお話は多様性より難しかった、ルヴィには。
魂が幼いからじゃない。人魚の世界にはそもそも嘘もお為ごかしも契約不履行もないからだ。それは人間の世界の物語。異質な心の者たちの、そんな奇妙な心の持ち主と関わり合う人魚なんて……
そこでルヴィはっとした。
「おばさまはそういう人間を知っているの? そんなに人間にお詳しいのは……」
無闇やたらと、小さな真珠貝に覆われた胸の奥がどきどきしてきて、それはもうただひたすら「知りたい、もっと知りたい。大人の人魚姫から人間についてもっと教えてほしい」渇望の色をおびていた。
それまで興味などなかった人間の実像が、大叔母アディアーヌの魂という水晶球を通し俄然気になりだしていた。
註1・・チョウチンアンコウの結婚とは? メスの十分の一の大きさのオスが噛みついて同化し寄生すること。オスはメスと血管が融合し目やヒレなどが退化し、精巣だけの機能になる。
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