第7話
「センリさん、もう彼らは、私の中にいないんですか?」
「いないね、わちきの義眼に全部取り込ませてもらったよ。あ、このフィッシュフライバーガーおいしいね」
五重塔の裏手にある石の丸椅子に座って、僕らはハンバーガーとポテトを食べながら談笑している。
泣き続ける金咲香織のそばに僕がいるのはいたたまれなかったので、曲がりなりにも女性であるセンリさんに任せて三人分の飲み物でも買いに行こうとしたら、その道中で携帯に連絡が入ってきて、お使いを頼まれたのだ。なので今食べている三人分のハンバーガーやらそれらは、僕のポケットマネーから出ている。
ちなみにセンリさんは携帯を持っていない。センリさんが「ジャンクフード食べたい」と言って、それを金咲香織の携帯を使って伝えてくれたわけだ。
お寺の境内でジャンクフードにありつく学生とロリ。ずいぶん罰当たりかもしれないが、五重塔を占拠している人間がいるぐらいに寂れてはいるので、咎めてくる人もいない。
けれど金咲香織だけは、僕が買ってきたハンバーガーをもらったあと、キョロキョロと辺りを見回したあとに恐る恐るありついていた。
かじりつく直前までおどおどしていたのに、食べ始めてからはどこか表情が楽しそうだった。
おいしくて幸せそうではなく、悪いことを楽しんでいそうな風に見えた。わりと真面目にお嬢様な節があるように感じるな。
ああ違う、お嬢ちゃまか。
「なんだか、ロリコン君がニヤニヤしていて気持ち悪いんですけど」
「仕方ないさ、わちきに殴られてにやついていた男なんだぜ? きっとただ話しているだけの女子を見て変な妄想をしているんだよ」
女子って。若者の中に混じればセンリさんほどの年齢であっても自称できるものなのか?
「こわ、センリさん気をつけた方が良いですよ。犯罪者予備軍がいつ覚醒して襲ってくるか分かりませんからね」
「その時は目潰しか、喉仏を押せば良い。人差し指と中指をキュッと立てて、ブスって刺せば、完成さ」
「なるほど、良いこと聞けました」
人の意識を奪って何を完成させるつもりなのか。標本か?
しかし金咲先輩も以前のような悪態を、自然と出している。やはり、この人は天然特有のナチュラルな表情でストレートに暴言を吐くぐらいが丁度良いように感じる。いやそれは僕が特殊な性癖を持っているからではなくて、自然体であることは素晴らしいという意味であって。
「あ、またにやついてる」
「カオリちゃん、男付き合いは君のことなら重々承知しているだろうけど、考えた方がいいよ? 下手に恩義とか義理で関わり続けると、向こうは勘違いするからね」
「こわ、やっぱり異性との友情は成立しないんですね」
「ひとつ折衷案がある。尻に敷く喜びを覚えさせたら、男は抵抗しなくなるよ」
「なるほど。センリさんのおかげで紫藤くんはその土壌がありそうですし、これからも良好な関係を築けそうですね」
尻に敷いている状況を『良好』と言える己の感性を疑わないのかツッコミたいところだったが、まあ男性嫌いの克服ならぬ練習台に僕を利用するというのなら、僕も心理学の実践を行うまでである。
共生関係、ビジネスライクだ。文句は言うまい。
「あ、そういえば巳扇さんのことなんですけども……」
「腐れ芋虫がどうかした?」
「その、やっぱりあれは付いていかない方が良かったんですよね……? その所為で、抑えていたものが出てきた感じですし……」
「……わちきは嘘は言えん。だから非常に不服で、今ここで喉と首と口を分離して言葉を出せない体にしたい欲求に駆られるのだけども、一応これでも仕事だから本当のことを言うね」
前置きの仕方が異常だし、センリさんの顔色がぐんぐん悪くなっているのも相まって、この世に巳扇藪蛇アレルギーでもあるのかと不安になるほどだ。
「あいつは、わちきがするはずだった呪いを緩める作業の順序を無視して、無理矢理引きちぎったんだ」
「や、やっぱり……」
「けれど、そのおかげでわちきはそれをする必要がなくなった」
「……え?」
「何重にもがんじがらめになった紐をほどくというのは、大変な作業量だ。九年間のうち八割が、そうなる予定だった。けれど純粋に、結び直しをするだけならいっそのこと、紐を切ってしまう方が早いだろう?」
「そ、そうですね。でもそんなことできるんですか? その作業こそ、センリさんが危険視してた後遺症につながるんじゃ?」
「残念ながら、あいつの解呪の手腕は一級品だよ。わちきじゃあ足下にも及ばない。わちきは呪いを看破することはできても、手先が器用じゃないんだ」
そう言いながら見せつけるように指先をバラバラと動かすセンリさん。それを見て察したのか、顔色を曇らせる金咲香織。
「……センリさんは、全身が
「ほぼほぼ」
「あ、その……巳扇さんとはあまり仲良くないんですね?」
「顔も見たくないね」
センリさんはもぐもぐとハンバーガーを食べて、ストローをぎりりと噛みながらジンジャーエールを飲んでいる。
沈黙が流れる。妙にいたたまれない空気だった。仕方ない、ここは僕が助け船を出そう。
「センリさん、巳扇さんがやったことはあの録音データが言ってた通り、なんですか?」
「概ねそうだよ。あんな雑草刈りじゃあまたすぐ生えてくるっていうのにさ。リピーターばっかり増やす金の亡者だよ、本当に」
「商売人としては、正解なんでしょうけどね」
「はっ、あいつの性格が悪いだけだよ」
まったくもってその通り、とは言い切れないのがなんともな。
巳扇さんの流儀も、センリさんの流儀も、どちらも一長一短だとは思う。
どんな呪いの性質も看破できる陰陽師。
どんな呪いであっても引きはがせる呪解師。
二人が一緒になればあるいは、なんて考えたりはするが、口には出さないでおこう。
「一瞬、本当に一瞬だけ巳扇さんを疑ってしまったことが申し訳ないですね」
「疑った? なんでだい?」
「いや、金咲先輩の目から出た光が白っぽかったんで、もしかしてあの人が何かを仕掛けたのか、なんて思ってしまって」
「白? ソウゲンちゃんは白色に見えたのか?」
「……ん?」
どういう意味だ。
「そうか、やはり君の華魂は有象無象には一切屈しないということか。本当に、専門家として見て、というより専門家だからこそ、恐ろしいぐらいよ」
「あ、あの、センリさん?」
うんうんと感心するように頷きながら、そのあとにたりと笑みを浮かべて語りかけてきた。
「ソウゲンちゃん、あの時カオリちゃんの光を浴びた人間は、視力を失っている。いや、『盲目』になるというべきか。本来なら視界がなくなっているはずなんだよ。だけど君は、あの時それに一切屈しなかった」
「あ、でもそれはセンリさんの香水を飲んだから、だと思うんですけど……」
「あれは耐性をつける薬じゃないよ。香りを打ち消す薬であって、飲んだり浴びたりしたところで、カオリちゃんの本質的な『盲目』の呪いを止めるすべにはならない。ていうか、飲んだの?」
「まずかったですか?」
「数週間は人に避けられるんじゃないかな、人よけの加護だから」
「問題ないですね」
大学内でも特に親しい間柄の友人や知り合いがいるわけではい。しかしこれは孤独なわけではない、孤高なのである。僕はむしろ誇りに思っている。
センリさんには失笑されて、金咲先輩には可哀想なものを見る目を向けられた。悲しくなんてない。
センリさんは仕切り直すように咳払いして、続ける。
「まあだけど、君はあの場所においても、真髄を看破していた。というより、本質を己の魂が捉えていたんだ。わちきだって、あの時は目が頼りにならなくて、動くことすら難しかったからね」
だから。だから彼女は、自分の現れた牡丹の花からほとんど動こうとしなかったのか。
「わずかなタイムラグ、とでもいうのかな。体が慣れる時間を作るために、毒を分解できる酵素を生成するために、君の中にいる華魂は最初に、君が目を開けるのを阻止したのだと思うけど、どうかな」
「あ、確かに。最初はちょっと、目が開けられませんでした」
「やっぱりか。そんで、いざ目を開けてみれば、カオリちゃんの目から白色の光が見えたと」
「そうです」
「うーむ、それはわちきにだって判別できなかった。華魂を持つもの同士だから影響が薄かったのか、それともぶつかり合っていたのか。正直な話、華魂持ちの人間は前例が少なすぎてこれといった結論が出せない。元々、そこまで影響力が強くない銀木犀が、あそこまで暴走状態になることも不思議だし。けれど逆に、これはいい研究材料になる。これからもどうか仲良くしてあげなよ?」
さらりと、研究のためにお友達関係を続けろと言われたが、まあいつものことである。
隣で聞いていた金咲先輩も、口に手を当ててひっそりと笑っていた。きっと、これがセンリさんなりの気遣いというのが理解できたのだろう。
こうして、金咲香織に憑いていた華呪、「金鱗の宝惑」ならぬ「銀月桂金」とそれを取り巻いた問題はすべて消え去った。
といっても、消えたのは金木犀の華呪であって、銀木犀の華魂はいまだに彼女の中に残っている。
あくまでセンリさんがほどいたのは呪いであり、魂まで抜き取ったわけではない。
しかし、華呪に気に入られる以前はさほど生活に困っていなかったようなので、これからは普通の人間として暮らしていくのだろう。
今までたくさんの女の子に囲まれていた生活には戻れないが、その寂しさはきっとどこかで忘れることができると信じて、僕はアフターケアを欠かさないようにしようと思う。
彼女は依頼人であり、僕は仲介人だ。
定期的な予後診療はセンリさんに任せるとして、とりあえずこれからの方針を僕は後輩ながら、ひとつだけ提案をしておいた。
「一度、ご家族に会いに行ってみたらどうですか?」と。
それに対して、金咲先輩は一瞬むずがゆそうな表情を浮かべたが、数秒後には腑に落ちたように、「いいね」と言って笑った。
呪いのあるなしに関係なく、これまで抱え続けていた誤解を解く、というわけでもないが、改めて会ってみれば違う感想を抱けるのではないかと思ったからだ。
そういった意味では、金咲香織は知っている人間となってしまった。
メリットもあるが、デメリットの方が多い。知らなくていいことを知ってしまったのだから、可哀そうだとも思う。
まさか弟と父親に男色の気があるなんて、ではない。怪異の存在を知ってしまったことが、だ。
むしろそれを知っても、彼女は距離を置く道を選ばず、歩み寄ってみようと考えたから、僕の提案を受け入れたのだろう。
その選択が、少しでも良い道につながる分岐点になることを祈って、僕はまたいつもの日常へ戻ろうと思う。
彼女の報告をセンリさんと一緒に、五重塔でのんべんだらりと待ち続けよう。
といっても、今回の件は残念ながら金咲先輩の一存で「報酬はいりません」と言われたので、僕も借金返済のしの字もかすれずに終わったから、また一千万円の借金地獄に戻るだけだったのだが。
* * *
数週間後。
金咲香織が、息を切らしながら境内を突き進んで、僕らの元へ来た。
百メートルを全力疾走してきたかのように、ただごとではない雰囲気だった。
「どうしたんだいカオリちゃん。そんなに慌てて会いに来るなんて、わちきに惚れたのかい?」
「せ、せん、センリさん……けほっ」
「あーはいはい落ち着きな。ほらほら深呼吸」
「あ、はいっ……」
「ひっひっふー」
「そ、それはラマーズ法……」
ぜえはあと肩を揺らして彼女は深呼吸を始める。途中でセンリさんのガヤに影響を受けて、「ひっ……こぉぉ」と別のバトル漫画みたいな呼吸法になっていたが、概ね一分程度で落ち着いた。
「んで? 何かあった? 再発でもした?」
「わ、私は問題ありません」
「ほう、それは良かったね」
「あの……」
「ん?」
「こんなこと言いふらすのは、家族としてどうなのかなとも思うんですが。でもなんだか、どうしても他人事じゃない気がしているんです……!」
家族。
金咲香織は、家族と言った。つい先日までは、その家族から離れて暮らしていたはずで、今になって気遣っているというのはどういうことだろうか。
もしかすると、僕の提案通り会ってきて、すぐ和解できたという良い知らせなのかもしれないが、それにしてはなんだか焦りすぎな気がする。
「あの、弟がっ……」
彼女は言いかけて、一瞬ためらうように飲み込んだが、決心したのか大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「弟が、
マンカ・イセンリ アオカラ @caeruleum0729
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