第29話 シスターだって人間だし ムカつけば十字架の代わりに鉄球だって振り回す

 事の始まりは、店長が、ふと思いついたように

投げかけた一言だった。


「そういえば、三人(明日美、リリス、ダリア)にまだ紹介してなかったね、うちの友好店。これから挨拶に行こうか。支度しな」


「……友好店? 店長、これまでそんな場所があるなんて一言も言ってなかったじゃない。でも、私たちの『Phantom』と親交があるということは、そこもきっと、一筋縄ではいかない非日常のフィールドに違いないわね」


 明日美はすぐさま私服に着替えると、鏡の前で

入念に髪を整え始めた。彼女の脳内では、教育者の卵としての思考がすでに都合よく飛躍し始めている。


(店長は他店のクオリティを見極めてこいと、

そういう意図を込めて私を誘ったのね! ええ、

そうに違いないわ! 私たちの気高さを、その店にもしっかりと刻み込んであげなさい、ということね!)


「店長、お待たせいたしました。さあ、その友好店とやらが、私の【女王の審美眼】に叶うだけの場所かどうか、案内してもらいましょう!」


「女王の審美眼? いや、向こうの店長に挨拶するだけなんだけど……まぁいいや。んじゃあ、行こうか」


 店長は明日美の発言をスルーして、軽い足取りで三人を先導し始めた。



 しばらく街を歩いていると、突如として荘厳な尖塔が視界に現れた。


「……教会、かしら?」


 明日美は思わず足を止め、目の前にそびえ立つ

建物を仰ぎ見た。ステンドグラスに反射する陽光、厳かな静寂を纏った佇まい。


 どこからどう見ても、これから自分たちが足を踏み入れるような場所には思えない。


「ここが本物の教会を改装してできた、シスター

喫茶『祈りの庭』だよ。入ろうか」


 店長が扉を開けた瞬間、その向こうに広がる清廉な空気に明日美は圧倒された。


 それと同時に、一人のスタッフが弾けるような

笑顔で駆け寄ってくる。


 清楚でありながら、愛らしいアレンジの加わったシスター服を身にまとっている。


「ようこそ! 祈りの庭へ! あっ、店長さん

お久しぶりです! こちらのお席にどうぞ!」


「カタリナ、久しぶりだね」


 内装は教会そのものだが、整然と並べられた木製のテーブルや、漂ってくる微かな紅茶の香りが、

ここが喫茶店であることを告げていた。


(純然たる聖域だわ……。なんて眩しい笑顔かしら。まるで穢れを知らない本物の聖職者を見ているようね)


 明日美は少し気恥ずかしくなりながらも、お節介

焼きな教育者の血を騒がせ、すっと息を整えた。


「いい、二人とも。彼女のあの淀みのない発声と、相手を包み込むような全肯定の笑顔。あれこそが、迷える子羊たちを瞬時に武装解除させる『聖母の慈愛』よ」


「私たちの『女王様オプション』で言えば、激しいお仕置きの後に与える『至高の飴』のフェーズに

極めて近いわ。しっかりと目に焼き付けておきなさい」


(至高の飴って何? 今までそんなのしてないでしょ)

(笑顔、苦手だから参考にしなきゃ……)


 リリスは心の中で冷ややかに突っ込み、ダリアは生真面目に小さく身震いした。


 明日美は優雅な動作で椅子に腰掛け、カタリナに向けて凛とした微笑みを返した。


「今、マリア様呼んできますね!」


「……マリア様、ね」


 その高潔な名前の響きに、明日美の胸の中で

対抗心が僅かに燃え上がる。


「いい? リリス、ダリア。これからお見えになるマリア様という方は、言うなればこの聖域の『絶対的支配者』よ」


「けれど、彼女が施すのは恐怖による支配ではなく、救済。これこそ、私たちが目指すべき『女王様オプション』の究極の完成形、すなわち【聖母型調教】の生きた教材よ」


「一言半句たりとも聞き漏らさないように、しっかりとその立ち振る舞いを観察しなさい」


「はいはい」

「……っ」


 呆れるリリスと、ただただ緊張するダリアの

前で、明日美は期待に瞳を爛々と輝かせた。


「Phantomの店長、久しぶりですね〜」


 奥から現れたのは、子供かと思うほど小柄で、

見るからにゆるい雰囲気を纏った女性だった。


「うちの新人3人連れてきたよ」


「はじめまして〜。祈りの庭の店長、マリアです〜」


「はじめまして。Phantomでリリスという源氏名でメイドをしております」


「ダ、ダリア……です……」


(……え?)


 背筋をピンと伸ばし、厳かな聖母を迎え入れる

準備をしていた明日美の思考が、完全にフリーズした。


 脳内で構築されていた威厳に満ちた高潔な

シスター長のイメージが、音を立てて崩壊していく。


「そんなにかしこまらなくていいですよ〜。

あ、そろそろ休憩しようかな〜」


「……まだ開店してから30分も経ってないです」


 カタリナがジト目を向けながら、すかさず口を

挟む。


「え〜、早く休みた〜い」


「そんなこと言ってないで仕事してください!」


「シスターカタリナは厳しいですね〜。では、ごゆっくり〜」


 緊張感の欠片もないやり取りをして、マリア店長は奥の部屋へと帰っていった。


 明日美のプライドは致命傷に近かった。平静を

装おうと必死に口元を震わせ、引きつった笑みを

浮かべながら、明日美は強引に言葉を絞り出した。


「ふ、ふん……なるほどね。あえてあのように

『無防備な少女』を演じることで、相手の警戒心を完全に解き、懐に入り込むという高等戦術かしら……?」


「さ、流石は店長のお友達だわ。一筋縄ではいかない風格を感じるじゃない?」


「さて、早く注文しないとね。私はビールで」

 空気を読まない店長がアルコールを注文する。


「店長、戻ったら勤務ですよ。普通にコーヒーにしてください。コーヒーを2つ」  


 リリスがすかさず、メニューを開きながら冷ややかに一蹴する。


 店長は口をとがらせ不満そうな表情をしている。


「わ、私は紅茶で……」


「私も紅茶を。……それと、スコーンをセットでお願いできるかしら?」


「かしこまりました。ではコーヒー2つに、紅茶が2つ、それとスコーンですね!」


 カタリナは楽しそうに注文を書き留め、弾むような足取りで奥へと戻っていった。


 明日美は気を取り直すと、机の上にそっと両肘を突き、指先を上品に組んで声を潜めた。


「……気づいたかしら、二人とも。……あれよ」


 何がなのか自分でも全く分かっていなかったが、明日美は自信満々に人差し指を立て、

さもすべてを見抜いているかのような口調で語り

出す。


「マリア様、一見すると、ただの気の抜けたシスターに見えるでしょう? でも、あれこそが『祈りの庭』を統べる者の、真の恐ろしさよ」


「訪れる者の警戒心を完璧に融解させ、こちらの

出方を無力化する……高度な精神防御マインドディフェンスの一種だわ、間違いないわ!」


「は?」

 珍妙な生き物を見るような目でリリスが明日美を見る。


「え……っと……」

 ダリアは明日美の機嫌を損ねない言葉を必死に

探している。


「ちょっと、リリス。何よその目は。ダリアも、

そんなに気を遣った顔をしなくていいわ。私は

ただ、論理的かつ実践的に解説しているだけよ」


「店長、友好店というからには皆さんこちらにはよく来るんですか?」


 リリスは明日美を完全に無視して店長に話しかけた。


「あぁ、あとここの自家製の野菜もよく持ってきてくれるよ」


「お野菜も育ててるんですね!」


 ダリアもここぞとばかりに目を輝かせ、全力で

リリスの後に続いた。


「ちょ……っ、ちょっと待ちなさい、リリス!

あなた、私の渾身のフィードバックを綺麗にスルーして何、お野菜トークを始めてるのよ!?」


 明日美は思わず立ち上がり、リリスに指を突きつけた。


「お待たせいたしました」


 優しい微笑みを浮かべながらテーブルに料理と

お茶を並べるのは、シスター・バルバラ。


 そのあまりにも神聖な微笑みに、明日美は毒気を抜かれた。


「あら……。ありがとうございます」


 去っていくバルバラの後ろ姿に、リリスが感心したように視線を向けた。


「皆さん、包容力があるというか、雰囲気ありますね」


「みんな、元シスターだからね」

 店長は自分の分のコーヒーを一口すすり、実にのんきな口調でさらりと爆弾を落とした。


(みんな、元シスター……!? 本物なの!?)


 明日美は紅茶のカップを危うく落としそうになった。ただのコンセプトカフェの演技だと思っていた自分を恥じ、顔が一気にカッと赤くなる。


「き、聞いたかしら、二人とも……っ。彼女たちは『本物』よ……」


 明日美はガタガタとカップを震わせながら、

なぜかギラついた目で二人を睨みつけた。


「けれど、私たちの『女王様オプション』だって

負けてはいないわ! むしろ本物の神聖さを取り

込んでこそ、真の究極へと至るのよ!」


「リリス、ダリア。この教会の空気を一滴残らず

全身で吸収しなさい!」


 ――その時。


「やめてください!!」


 声がする方を見ると、明らかに酒の臭いをプンプンとさせた酔っ払い客が、カタリナに強引に絡んでいた。


「お酌くらいしてくれよぉ」

「すみません、そういったサービスはやっていないんです……」

「いいじゃないかよ、ほら!」


 無理やりカタリナの手を引っ張り、隣に座らせようとする男。


 カタリナはバランスを崩して大きく転倒し、

その拍子に近くの飾り棚にあった女神像が床に落ちた。


 ガシャーーーン!!!


 静かな教会の空気を切り裂くように、硬質な破壊音が響き渡る。


 床に転がり、無残に砕け散った白磁の女神像。


 明日美の正義感が爆発した。この不真面目な

酔っ払いをいかにして跪かせ、徹底的に調教して

やるか。


 完璧な説教のシナリオを胸に、明日美が息を吸い込んだ、まさにその瞬間のことだった。


「何してんだてめぇ!!」

 地鳴りのような怒号が轟いた。


(……えっ!?)


 呆気に取られて視線を向ければ、さっきまで物腰柔らかく、慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべていたはずのシスター・バルバラが、まるで般若のような凄まじい形相に変貌していた。


 そして、目にも留まらぬ速さで酔っ払い客へと

文字通り行ったのだ。


(……は? え? ちょっと待って……胸ぐら掴んだ ……!? シスターが……!?)


 目の前で繰り広げられるバイオレンスな光景に、明日美の思考は完全にフリーズした。


 掴み上げられた男もまた、あまりの出来事に言葉を失い、ただガタガタと震えることしかできない。


「シスタークララ! 奥からを持ってきなさい!! この男の血で女神様への不敬を償ってもらうわ!」


 しかし、クララは顔を青ざめさせて目に涙を浮かべ、完全にすくみ上がってしまっていた。


(ア、アレって何……!? 流血沙汰になったらこの店、明日から営業停止どころじゃ済まないわよ!?)


 ワタワタと宙を彷徨わせる明日美の手。


 そこへ騒ぎを聞きつけ、のんびりとした足取りで

マリア店長が姿を現した。


「何事ですか〜」


「マリア様! 安心してください! 女神像を割った、この者をすぐに血祭りに――」


「おちつきなさ〜い」


 ポカっ、と、マリアは持っていた儀式用の杖で軽くバルバラの頭をこづいた。あの暴走殺戮シスターが一瞬でオロオロと縮こまる。


 マリアはさらに、呆然とする酔っ払い客にも向き直った。


「あなたも〜、飲みすぎですよ〜」


 同じように杖で軽く頭を叩く。


「今日のところはお引き取り下さ~い」


 マリアの放つ独特の脱力オーラに完全に毒気を

抜かれた男は、気まずそうに会計を済ませると、

そそくさと店を出て行った。


「シスターカタリナ、大丈夫ですか〜」

「あっ、はい。すみません、女神像が……」


「大丈夫ですよ~。また飾ればいいんですから~」


 明日美は「ふぅ……」と、ようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。


(何はともあれ、最悪の事態にならなくて本当に

良かったわ……)


「あの、因みにバルバラさんが言っていた『アレ』ってなんですか……?」


 明日美は、まだ少し震えているクララに恐る恐る尋ねた。


「フ、フレイルです……」


「え? フレイル……?」


(フレイルって……あの、鉄球にトゲがたくさんついていて、鎖で振り回す、あの物騒極まりない鈍器のことよね……!?)


 明日美は自分の耳を疑った。シスターが武器を

常備しているなんて、どんな物騒な教会なのか。


(確信したわ。あの恐ろしい鉄球で物理的に

『粛清』しようとする、そんな危険人物を雇い入れないといけない、このお店……裏で何か恐ろしい

宗教的抗争に巻き込まれているに違いないわ!)


 彼女の瞳には、巨悪の陰謀からお店を救い出そうとする、正義のヒロインの光が宿っていた。


「んじゃ、そろそろ帰るか」


 店長のその一声に、明日美は完璧な一礼をシスター達に向けて施すと、謎の同情と決意に満ちた凛々しい微笑みを向けた。


「どうか安心してくださいね。あなたたちの『正しいマナー』とお店の平和は、この私がお守りいたします」


 最後まで何も噛み合わないまま、背筋をピンと

伸ばして去っていく「不憫な女王」を、シスターたちはきょとんとした顔で見送るのだった。

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