Chapter.4
家の中が静かになったのは、あいつが出ていったあとだった。
最初はたいして気にしていなかった。どうせすぐ戻ってくると思っていたし、多少の反発くらいは年頃ならあるだろうと、軽く考えていた。
でも、帰ってこなかった。
連絡もないまま、時間だけが過ぎていく。
そのうち、嫁の様子も変わっていった。口数が減って、必要最低限のことしか話さなくなる。こっちから何か言っても、返事はあるが、それ以上は続かない。
違和感はあった。気づいていなかったわけじゃない。
ただ、見ないようにしていた。
ある日、唐突に聞かれた。
「他に、いるよね」
意味はすぐに分かった。
一瞬だけ、言葉に詰まる。
誤魔化そうと思えば、できたのかもしれない。でも、うまくやれる自信がなかった。
黙っている時間が、そのまま答えになる。
嫁はそれ以上何も聞かなかった。
怒鳴ることも、泣くこともなかった。ただ、小さく息を吐いて、それだけで終わらせた。
それが一番きつかった。
何も言われない方が、余計に逃げ場がなくなる。
「最低だね」
ぽつりと落とされた言葉だけが、やけに残る。
否定はできなかった。
分かっていたからだ。
よくないことくらい、最初から分かっていた。もっとちゃんとすべきだったのも分かっていた。でも、分かってることと変わることは、別の話だった。
結局、何も言い返せなかった。
その日を境に、家の空気は完全に変わった。
同じ場所にいるのに、別の空間みたいだった。
食事も別、会話もない。
目が合っても、すぐ逸らされる。
それでも家には帰っていた。
行く場所がないわけじゃないのに、なぜかそこに戻っていた。
理由はよく分からない。
ただ、ここで終わる気がしていた。
何が終わるのかも、はっきりしないまま。
家にいる時間が、少しずつ減っていった。
最初は意識していなかったが、気づけば外にいる方が楽になっていた。帰っても何もないし、何も起きない。静かすぎて、余計なことばかり考えてしまう。
外にいれば、それを考えなくて済む。
理由なんてそれで十分だった。
飲みに行く回数が増えた。誰といるかは、その時々で違う。昔からの知り合いもいれば、その場だけのやつもいる。正直、誰でもよかった。
女も同じだった。
特別な感情はなかった。ただ、そこにいるから使う。それだけだった。
終われば何も残らないし、何も持ち帰らない。名前すら覚えていないことも多かった。
それでも、やめようとは思わなかった。
むしろ、そっちの方が楽だった。
家に戻ると、空気は相変わらず冷たい。嫁は何も言わないし、こっちも何も言わない。その距離が、前よりもはっきりしている。
同じ屋根の下にいるのに、完全に別の生活だった。
たまに目が合うことはある。でも、その目にはもう何もない。
怒りも、期待も、諦めすら感じない。
ただ、無関心だけが残っている。
それが一番きついはずなのに、不思議と慣れていく。
人は、だいたいのことには慣れるらしい。
良くないことだと分かっていても、続けていればそれが普通になる。
それが、どれだけ歪んでいても。
ある日、久しぶりに一人で飲んでいた。
周りは騒がしいのに、自分の中だけ妙に静かだった。
ふと、昔のことを思い出す。
最初の子供が生まれたときのこと。
小さくて、何もできなくて、それでもちゃんと生きていた。
あのときは、ちゃんとしようと思っていたはずだった。
少なくとも、そのつもりではいた。
でも、気づいたら何もしていなかった。
途中でやめて、そのまま離れた。
理由はいくつもある気がするが、どれも言い訳にしかならない。
結局、自分で選んだだけだ。
分かっている。
全部、自分のせいだ。
それでも、今さら何かを変えようとは思わなかった。
思えなかった。
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