Chapter1 魔王は、召喚先の世界の魔王を倒してくれと頼まれる②

 ホーリアナの言葉を威圧感のある低音が遮った。

 ハッとして振り返ったホーリアナの視線を追って、ヴァルトロスも声がした方に目を向ける。広大な空間の最奥、段差を上がった先に設えられた玉座に重々しく腰を据えた初老の男が、鈍色の輝き放つ双眸をヴァルトロスへと向けていた。

 身にまとうのは目が眩むほど豪奢な紅基調の衣装と厚い外套。そして白く染まった頭に戴くのは黄金色に輝く王冠。痩せぎすな身体に反して並々ならぬ意志の力と生命力とを感じさせる面立ちの男の正体を、ヴァルトロスとてわからないはずはなかった。


「レドルド・テレスティノア国王陛下……!」


 ホーリアナの言葉がそれを証明した。やはり玉座に座す男はこの人間族の国を治める王だった。いままでずっと立っていたこの場所は王宮の謁見の間だったのだ。


「異世界召喚術式の実行ご苦労だった、神愛信教十二大司教ホーリアナ・セイントシトラスよ。流石は『女神の子』と呼ばれるに相応しい加護の力よ。そなたのおかげで無事召喚は成った」

「も、もったいないお言葉です陛下……っ!」


 十二大司教なる大層な肩書きを持つホーリアナですらたちまち恐縮する様が、レドルド王から発せられる威厳と威圧感とをより確かなものにする。

 恭しく頭を垂れたホーリアナを一瞥し、改めて古剣のごとき鋭い灰眼がヴァルトロスを見た。


「まずは我らが切実なる祈りに応えてこのテレスティノア神創王国へ降り立ちし者よ。王としてこの国に生きる民らを代表して感謝を述べよう」

「礼などいらん。そもそも俺は貴様たちの祈りに応えてなどいない。一方的に召喚されたのだ。早く望みとやらを言え」


 一国の王を前にしても尊大な態度を貫くヴァルトロスを見て狼狽えるホーリアナだったが、当のレドルド王は怒りを露わにすることはなかった。


「そうだな。端的に言えば、そなたにはこの世界──オルタニカを救ってほしいのだ」

「世界を救ってほしい、だと?」


 レドルド王は豊かな髭をたくわえた顎を小さく引いた。


「そうだ。いまこの世界は危機に瀕している。悪逆非道たる魔族国家──大魔帝国の大侵略によってな」

「大魔帝国……」


 安直で独創性に欠ける国名だ、俺ならもっとマシな名前をつけるのだがな、と思うヴァルトロスだった。

 しかしそんなヴァルトロスの内心など知らずにレドルド王は話を続ける。


「大魔帝国は、かつてはベルドモート連合王国という名の魔族連合国家だった。奴ら魔族は魔法を得意とした種族であり、確かに利己的で血の気の多い種族ではあったが、しかし連合国家であることから異なる王を戴く同族同士で常に睨みを利かせている状態であったゆえ、近隣国家との小競り合い程度はあったものの大規模な侵略行為などは永らく起きていなかったのだ。……しかし、いまから約十五年前、状況は一変した」


 元々しわの多かったレドルド王の眉間により深いしわが刻まれた。


「突如として現れたひとりの強大な魔族によって、ベルドモート連合王国は一瞬にして崩壊した。すべての魔族がたったひとりの魔族に服従することとなり、そやつを絶対君主とする統一独裁帝国へと変貌を遂げたのだ。それが現・大魔帝国だ。そして十年前を境に、大魔帝国は大陸全土への大規模侵略を開始した。個々の戦闘力が高い魔族が統率された軍隊と化したのだ。その脅威はまさしく世界を危機に陥れるものだった。次々に近隣諸国は滅ぼされ、いまや侵攻の魔の手は遠く離れたこのテレスティノア神創王国にすらも届こうとしている」


 ヴァルトロスはレドルド王の言わんとしていることを察した。


「つまり貴様は、この俺に大魔帝国を──大魔帝国統率の要である支配者の魔族を討てと言うのだな」

「そのとおりだ」とレドルド王は目顔で頷いた。


 ヴァルトロスは「ふん」と鼻を鳴らした。

 それは無力な人間に対する嘲りだった。


「強きは栄え、弱きは淘汰される。当然といえば当然の成り行きだと思うが」

「そんな……っ!」ホーリアナが愕然とした表情で声を上げた。「あなたは元いた世界でも邪悪な敵と戦い、人々を救っていらっしゃったのでは……?」

「俺はくだらない争いに終止符を打っただけだ。滅びるべき弱者を生かしてやるために戦っていたのではない」

「……っ!」


 にべもないヴァルトロスの言葉にたまらず身を乗り出すホーリアナ。しかし彼女を制したのはレドルド王だった。


「待て、ホーリアナ」

 鋭い視線でホーリアナに身を引かせ、レドルド王はヴァルトロスを見た。

「弱者は滅びてしかるべきか。手厳しいな。しかし道理やもしれん」


 不安げな表情をたたえるホーリアナ。神愛信教聖職者たちも同様の表情を浮かべながらレドルド王とヴァルトロスの視線の交差を見つめている。

 幾許かの沈黙。

 ……やがてレドルド王は、王冠を戴くその頭をヴァルトロスに向かってゆっくりと垂れた。


「だが、それでも我々に力を貸してほしい、召喚に応ぜし者よ。そなたは女神アイレリアがこの国に遺した召喚魔法陣によって導かれた存在。女神の伝承によれば、この国が危機に瀕したとき、導きに応じた者が必ずや危機を退けるだろうと伝わっている。ゆえにそなたには、きっと我らを救うだけの力があるはずなのだ」


 さらに深々と頭を下げて、レドルド王は切々とした声音でヴァルトロスに請うた。


「だから頼む。どうかこのテレスティノア神創王国を、オルタニカを救ってくれないか。──異世界から召喚された勇者として、この世界に破滅をもたらさんとする魔王を討ち倒してはくれないだろうか」


 ついにヴァルトロスに提示された、人間たちの望み。ユルグヘニアに帰るためのたったひとつの道標。

 それはあろうことか、ついさっき屠ったばかりの勇者と同じ立場になって、さらには召喚先の世界において自身と同じ魔王を討つことだった。

 レドルド・テレスティノア国王はもちろん、ホーリアナや有象無象の聖職者たちも知る由などない。目の前の男が別の世界の魔王である、などということは。


「……魔王、だと?」

 呟くようにヴァルトロスは問う。

「貴様はいま、この世界で大魔帝国なる独裁国家を創って大陸を侵略しつつあるという魔族のことを魔王と言ったな? それはそいつ自らがそう名乗っているのか?」


 顔を上げたレドルド王は、鋭く凍てついたヴァルトロスの眼差しにたじろぎつつも頷いた。


「あ、ああ。奴は自分のことを大魔帝国の支配者にしてすべての魔族の頂点に立つ者……魔王だと言っている」


 いっそう鋭利さを増すヴァルトロスの眼光。たちまち渇いたレドルド王の喉をごくりと唾液が落ちていく。

 張り詰めた緊張。

 やがてそれを打ち破ったのは、ほかならぬヴァルトロス自身だった。


「……ふざけるなよ」


 聞き取れないほどの小声でぽつりと呟くヴァルトロス。

 レドルド王やホーリアナたちが怪訝そうに小さく首を傾げると、次の瞬間、ヴァルトロスの双眸が勢いよく見開かれた。


「ふざけるなよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 怒号とともに噴出した漆黒の魔力が王宮内に吹き荒れ、豪奢な宮壁を彩る大窓に嵌め込まれたガラスのことごとくが砕け散る。たまらず顔を覆いながら、レドルド王たちは目の当たりにした強大な魔力に驚愕と戦慄の表情を浮かべた。


「な、なんという強大な魔力だ……? これほどのものは見たことがない……っ!」

「これが異世界から召喚された勇者様のお力……!」

「このお方であれば、凶悪なる魔王をも討ち滅ぼせるに違いない……っ!」

「し、しかしこの勇者様の魔力、なんか禍々しくはないか……? 漆黒に染まった魔力など、まるで魔王のそれのようでは……?」

「なにを言っているんだ! 勇者様は異世界の住人だぞ、我々の常識で判断してはならない……!」

「そ、それもそうか……! きっとあちらの世界ではこの漆黒の魔力こそ勇者たる者の証なのだろうな……! なんだかそう思って見ると、恐ろしいというよりもカッコよく思えてきたな……!」

「だがなにに対して勇者様は怒っておられるのだ……?」


 めいめいが畏怖の眼差しを向けるなか、やがて王宮全体を震撼させていた魔力噴出が終息する。

 冷静さを取り戻したヴァルトロスは、呆気にとられるレドルド王を見据えた。


「……魔王など、許されん」

「……はい?」


 きょとんとするレドルド王。

 するとヴァルトロスの目が再びくわっと開かれた。


「魔王の存在など、到底許されるはずがないだろう!」


 ヴァルトロスの怒号に、聞いていた者たち全員が顔をハッとさせた。魔王という呼称を聞いた途端、その瞳に明確に宿った怒り。

 それはまさに勇者の眼差し──。

 しかし当のヴァルトロスの本心はと言えば。


「どんな世界であろうと」

(俺以外に)

「魔王が存在してはならない!」

(俺こそが唯一無二の本物だというのに魔王の名を騙るなど)

「世界に混乱をもたらす存在だ……!」

(そのような傲岸不遜にして厚顔無恥たる愚かな贋物は)

「一刻も早く排除せねば……!」


 と、自分以外に魔王を自称する存在がいることに激昂しているだけなのだったが、レドルド王やホーリアナほか周囲の人々にはわかるはずもなく。


「と、ということは……?」期待を孕んだレドルド王の眼差し。

「ひょっとして……?」希望を孕んだホーリアナの眼差し。

「もしかして……?」切望を孕んだ聖職者たちの眼差し。


 それらを一身に受け止めて、ヴァルトロスは決意みなぎる双眸を正面に座すレドルド王へと突きつける。

 いまやヴァルトロスの胸中には、たとえ何者に阻まれようともそれらすべてを薙ぎ払って突き進むだけの確固たる意志が宿っていた。

 微塵の迷いもなき語調でヴァルトロスは断言した。


「いいだろう。貴様たちの望みを聞き入れてやる。恥知らずにも魔王を名乗る愚か者を、この俺──ヴァルトロス・ヘルデナ・アーベンヘインが討ち滅ぼしてやろうではないか」

「うおおおおおおおおおおおおお!」


 聖職者たちが歓声を上げた。


「勇者ヴァルトロス・ヘルデナ・アーベンヘイン様万歳いいいいいいいいいいいっ!」


 王宮全体に響き渡るほどの大歓声のなか、レドルド王は安堵の表情を浮かべ、ホーリアナは胸の前で手を組み敬慕の眼差しをヴァルトロスに向ける。

 ゆえに誰の耳にも「……いや、俺は勇者ではなく魔王なのだが」というヴァルトロスの言葉は届いていなかった。

 とにもかくにも、かくして異世界オルタニカに召喚された魔王ヴァルトロス・ヘルデナ・アーベンヘインは、召喚先の世界で勇者となったのだった。

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