第7話 『東国無双だと?……ただの純粋な物理法則(暴力)。計算外だな』

王都の「聖なる広場」に、静寂と、それを上回る激しい動揺が広がっていた。

千年の伝説たる聖剣カリバーンは、私の計算通り、物理的強度不足によってポキリと無残に折れ曲がり、ただの鉄屑として地面に転がっている。

「本日をもって、この『聖剣ビジネス』を廃止する」

私の冷徹な宣告に、呆然自失となる神官と、疑念に震える群衆。

私はそれ以上彼らを相手にすることなく、銀髪を翻して広場を去った。隣ではキノが「またしても世界の浪漫が……」と顔を押さえている。だが、王都の権力者たちが、自らの最大の利権と権威をへし折られて、そのまま私を帰すはずがなかった。


地響き。

背後の大通りから、猛烈な勢いで接近してくる「一騎」の影があった。それは、かつてのカツイエが連れてきたような、不合理な魔力の拍動ではない。ただ純粋に、巨大な質量が超高速で移動してくることによる、大気の悲鳴だ。

「三奈様、後ろから何かが来ます!」

キノが悲鳴を上げる。振り返るのとほぼ同時に、広場に続く大通りの石造りのアーチが、風圧だけで粉々に吹き飛んだ。

爆煙を割って、ゆっくりと馬から降り、歩を進めてくる男がいる。首に漆黒の数珠を巻き、身の丈ほどもある巨大な蜻螂(とんぼ)の意匠の長槍を、片手で無造作に携えた壮年の聖騎士。魔力は全く感じない。強化魔法の輝きすら纏っていない。

にもかかわらず、彼が一歩を踏み出すたびに、広場の強固な石畳が物理的な重量に耐えかねてクレーター状に陥没していく。


「あいつ、おかしいです……!」

キノが魔力測定の羊皮紙を抱えながら絶叫した。

「魔力反応が全くありません! 身体強化も、結界も、何一つ魔法の類を使っていないのに、歩くだけで大気が歪んでいます! 」

「……騒ぐな、キノ。記帳の邪魔だ」

私は白銀の算盤を構え、指先で銀髪を払う。 だが、その視線の先にある男の輪郭を完全に捉えた瞬間、私の胸の奥に、前世の関ヶ原で刻まれた最悪のトラウマ――どんなに精緻な布陣を敷こうとも、たった一振りの武力で全てを無に帰していく「あの男」の影が猛烈にフラッシュバックした。


男は不敵な笑みを浮かべ、蜻螂の槍をこちらへ向けた。

「我が名はタダカツ。王都の権威を汚し、至高の聖剣を破壊せし銀髪の監査官を縛営すべく参った。

……御託は不要。いざ、尋常に勝負」

「ふん。不躾な乱入者だな」

私は冷徹に、しかし内心の焦りを隠して算盤の珠を激しく叩いた。カツイエの時と同じだ。奴の存在の不条理を監査し、その場で資産凍結してやる。

パチパチパチパチ、と音速で算盤を弾き、奴の肉体スペックを脳内で数値化していく。

……だが。

「……な、に……?」 いくら算盤を弾いても、エラーコードが出ない。世界の修正が始まらない。

「計算が、合う……? ふざけるな……バグがないだと……!?」

「三奈様、どうしたんですか!?」

キノの声が遠く聞こえる。

私の脳内は驚愕で埋め尽くされていた。あの槍の重量、それを振り回す腕力、突進の加速度。すべてが熱力学、運動量保存の法則、およびニュートン力学(F=ma)に

……気味が悪いほど、合いすぎている。魔法による粉飾ではない。

奴はただ、血の滲むような鍛錬によって自らの肉体を極限まで追い込み、物理法則の許す限界ギリギリの出力を、生身で叩き出しているのだ。

「理屈など知らぬ!」

タダカツが再び地を蹴った。槍が音速を超え、私の眉間へと迫る。

「飯を食い、肉体を鍛え、重い槍を速く振る! ならば敵は死ぬ! これ以上の『道理』がこの世にあるか!」

蜻螂の槍が一振りされる。ただの腕力によって引き起こされた風圧が、広場の石畳を豪快に削り取り、背後の神殿の巨大な柱を真っ二つに叩き割った。不条理な魔法ではない。私の能力で「バグを消去」する対象が、どこにも存在しない。

「……なるほど。貴様自身が、この世界における『正しい物理法則の結晶』というわけか」 迫り来る死線を前に、私は冷や汗が銀髪を伝うのを感じながら、しかし不敵に桃色の唇を歪めた。

「ならば、消去はできぬな。……面白い。仕様通りの存在ならば――仕様通りの限界値で、処理してやるまでだ」

私は逃げることなく、白銀の算盤を真っ直ぐに突き出した。 パチパチパチパチパチパチ! 珠の弾ける音が、タダカツの突進速度を上回る音速で鳴り響く。奴の突進の運動エネルギー、筋肉の収縮率、関節への負荷。バグがないなら、その「正しい物理の数式」を私の算盤で限界まで引き上げてやる。

「どれほど無双の英傑であっても、生身の人間が耐えられる『物理定数』には上限がある。貴様のその凄まじい運動エネルギー、貴様自身の肉体という帳簿は、本当に支えきれているのかな?」

私は算盤の珠をピシャリと強く鳴らし、天に掲げた。銀髪を激しくなびかせ、冷徹な美貌に「監査官」としての威圧が漲る。

「裏付けのない過剰な出力エネルギーは、組織を内側から崩壊させる不良債権と同じ。現実の物理限界を、今ここに突きつけてやる。……正当化せよ!」


【固有スキル:合理性の現実化(ロジカル・リアリティ)】


世界が、私の算盤の音に従ってタダカツの肉体に「適正な物理コスト」を強制計上した。

「ぬ、おおおおおっ!?」

突き出される寸前だった蜻螂の槍が、ピたりと停止した。 タダカツの全身の筋肉から、魔法の霧ではなく、純粋な摩擦熱による猛烈な「白煙」が噴き出す。彼の強靭な足元、石畳にめり込んだブーツが、自身の放った凄まじい踏み込みの反作用をそのまま肉体に返され、ビキビキと悲鳴を上げた。

「な、んだ……これは……!? 体が、重い……!?」

「言ったはずだ。バグのない純粋な物理法則だからこそ、私の再定義が100%牙を剥く。今の貴様の速度と質量をそのまま生身で扱えば、骨が砕け、筋肉が断裂する。それが『当たり前』の物理的収支だ。貴様は今まで、世界のシステムが緩かったから、どんぶり勘定で、その反作用を無視できていただけに過ぎん」


私は冷淡に、膝をつきかけたタダカツを見下ろした。 これだけの怪物、一筋縄ではいかぬ。だが、動揺し足を止めた今こそが好機だ。自由都市から私に同行させ、後方に待機させていたリソースを動かす。

「これより、当防衛戦の前提を再構築する! キノ! 即座に奴の進軍ルートの摩擦係数を計算しろ! 魔導師団、奴の足元に泥を投げろ! 限界を迎えた奴の運動ベクトルを強制変換させるのだ!」

「ひぇっ!? りょ、了解です! 奴の体重から地盤沈下コストを割り出します!」


広場の外縁で待機していた、あの熱力学を叩き込まれた魔導師たちが、私の指示に一斉に動き出す。

「魔導師団、熱力学の計算通りに泥を展開します!」

彼らが、今度は「正しい科学」の武器を手に、タダカツの足元へ正確に泥を滑り込ませる。

「おのれ……小細工を……っ!」

タダカツが吼える。凄まじい脚力での一歩。だが、私の指示で魔導師団が展開した泥は、ただの魔法の泥ではない。地面の凹凸を埋め、摩擦係数を限りなくゼロに近づけた『極限の潤滑油』だ。

どれほど無敵の踏み込みであろうと、作用させる反作用が地表になければ、運動ベクトルは前進ではなく「空回り」へと変換される。 ズザザザッ! と、タダカツの巨体がわずかにバランスを崩した。


「今だ! 第二段階へ移行! 奴の右45度から、質量300キログラムの鉄球を初速20メートル毎秒で射出せよ!」

広場の外縁、事前に配置させていた防衛用の大型投石機が一斉に鳴動した。空を切り裂き、巨大な鉄塊がタダカツへと肉薄する。通常の戦士なら絶望する質量兵器。だが、タダカツの眼に恐怖はない。

「笑止! その程度の質量、我が筋肉の出力で叩き伏せるのみ!」

タダカツは体勢を崩しながらも、身の丈を超える蜻螂の槍を豪快に薙ぎ払った。ギィィィィィン!!! 鼓膜を破壊せんばかりの金属音が響き渡る。

……驚くべきことに、奴は本当に、ただの腕力だけで300キロの鉄球を真っ二つに叩き割ってみせたのだ。

「ひ、ひええええ! 鉄球が割れましたよ三奈様! 怪物です!」

キノが悲鳴を上げる。だが、私の桃色の唇は冷徹に弧を描いた。

「慌てるな、キノ。すべては計算通りだ」


ガキィ、と。鉄球を叩き割った直後、タダカツの右腕から、嫌な鈍い音が響いた。奴の顔が、初めて苦悶に歪む。

「……ぐ、あ……っ!? 腕が……!?」

「言ったはずだ、タダカツ。貴様は確かに300キロの鉄球を叩き割る『筋力』を持っている。だが、それを生身で実行した時、貴様の右腕にかかる『衝撃の反作用』はどこへ行く? ――答えは、貴様自身の骨と関節だ」

魔法による衝撃吸収を一切使わず、生身の物理スペックだけで戦うということは、敵に与えたエネルギーと同じだけの負荷を、自らの肉体でダイレクトに決済するということだ。いくら強靭な肉体であっても、人間という器の減価償却、つまり限界寿命だな、それを今の激突で一瞬にして引き上げてやった。

「さらに畳み掛けろ! エネルギー保存の法則を証明するぞ! 魔導師団、奴の周囲の『大気の比熱』を操作! 奴が放った今の運動エネルギーを、すべて『熱』に変換して周囲へ還元しろ!」

「は、はいっ! 運動エネルギーを熱にコンバートします!」 魔導師たちが算盤の数字を叫びながら、一斉に呪文を紡ぐ。

タダカツの周囲の大気が、一瞬にして陽炎のように激しく歪んだ。 ドォォォン! と、奴を中心に爆発的な熱風が吹き荒れる。タダカツ自身が鉄球を叩き割るために放った凄まじい運動エネルギーが、そのまま数百度の「熱」へと姿を変え、彼自身の肉体を全方位から包み込んだのだ。

「が、はっ……あ、熱い……っ!? 物理攻撃ではないのか……!?」

「物理現象と熱は、本質的に等価なのだよ。貴様が暴れれば暴れるほど、そのエネルギーは熱となって貴様自身を蒸し焼きにする……これで、貴様の体温は42度を超えたな」

タダカツの意識が混濁し、あれほど鋭かった蜻螂の槍の先が、ガタガタと大きく震え出す。勝敗は決した。

「タダカツ。貴様は確かに『東国無双』、一対一なら世界最強の物理法則だ」 私は白銀の算盤をピシャリと閉じ、懐に収めた。 「だが、どれほど個人のスペックが高かろうと、組織的に管理された『システム』の前には、ただの過大投資された不良資産に過ぎん。……大人しく、その過剰な出力を凍結されるがいい」

「おの、れ……我が、武が……システム、など、に……」

タダカツは血走った眼で私を睨みつけ、もう一歩、執念で足を進めようとしたが――。

すでに限界を迎えていた膝の骨が自重に耐えかねて悲鳴を上げ、ドサリと、その巨体が強固な石畳へと崩れ落ちた。完全に意識を失い、白煙を上げながら沈黙する東国無双。


「……ふぅ。監査完了、だな」

私は銀髪をふっと息で撥ね上げ、冷や汗を拭った。前世のトラウマを、今度こそこの手で、ロジックで乗り越えてみせたのだ。

「み、三奈様ぁぁ! 本当にあの化け物を倒しちゃいましたよ!?」

キノが涙目で駆け寄ってくる。

「騒ぐなキノ。すぐにタダカツの身柄を拘束しろ。魔法の使えないこれほどの純粋な物理資産、ここで腐らせるには惜しい。我が監査局の『物理セキュリティ部門』として、減価償却が終わるまで徹底的に働いてもらう」

私は気絶したタダカツを見下ろし、不敵に微笑んだ。王都の利権である聖剣ビジネスを潰し、その最大の刺客すらも我が組織に組み込んだのだ。

「さあ、……次の監査対象へ向かうぞ」

銀髪の監査官・三奈の勝利宣言が、崩壊した王都の広場に、冷徹に響き渡った。

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