初めての帰省②
「ちょっ、何なんですか!?」
一瞬のうちに、僕の全身は分厚い布のようなものに包み込まれていた。視界は完全に遮られ、まともに身動きも取れない。
「麻袋です」
「それに詰められた理由を聞いてるんですが!?」
「物理的に視認されない方法を選択しました」 「余計目立ちません!?」
外から聞こえる声は、いつも通り落ち着き払っている。たぶん、あの無表情のままなんだろう。
「こちらは問題ありません。いつでもいけます」
「こっちは問題しかないんですけど!?」
抗議しても、持ち上げられる感覚が返ってくるだけだった。
「わっ、ちょ、ちょっと!?」
どうやら誰かに担がれているらしい。揺れる視界もなければ、どこをどう進んでいるのかも分からない。ただ運ばれていくだけの状態というのは、思っていた以上に落ち着かないものだった。
何をしたって無駄なのだと悟り、僕はようやく抵抗をやめた。
そのまましばらく運ばれ――
どさり、と床に降ろされた。
「……着きました」
袋の口が解かれ、光が差し込む。思わず目を細めながら顔を上げると、そこは広い部屋の中央だった。
埃一つ無い床。重厚な装飾。無駄に広い空間。
そして、その正面の豪奢な椅子には一人の男が座っている。
「……アルトか」
低く、よく通る声。そして、蓄えられた髭と恰幅のいい体からは、威厳のようなものを感じる。
その声に、僕の背筋が自然と伸びた。
「……はい」
視線を向けられただけで、空気が張りつめるのが分かる。そして、直感的に理解した。
この人が――ヴァルディウス家当主。
レオニード・フォン・ヴァルディウス。
「久しいな」
その声には、懐かしさも感情もほとんど含まれていなかった。ただ、確認するような響きだけがある。
僕は、何と返していいか分からず、曖昧に頷くことしかできなかった。
「まず、結論から伝える」
間を置かず、言葉が続く。彼からは、有無を言わせぬ圧力を感じる。
「お前の双子の弟、エルトは死んだ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「病だ。先日、息を引き取った。この事実を知っているのは、領内でも極少数だけだ」
淡々とした説明。それだけで終わる。
弟の顔は、はっきりとは思い出せない。それでも――胸の奥に、何かが引っかかるような感覚が残った。
「……そう、ですか」
自分でも驚くほど、平坦な声が出た。
「そこで、お前に役目を与える」
視線がわずかに鋭くなる。
「エルトの代わりを務めろ」
「……代わり、ですか?」
「影武者だ」
あまりにも簡潔だった。
「内外に対し、エルトは生きていると示す必要がある。あの子はそれほどまでに影響力があるのでな。そのためにお前を使う。幸い、才能と違ってお前の顔は弟にそっくりだからな」
(……使う、ときたか)
その物言いが、妙に耳に残る。
「拒否権はない。これはヴァルディウス家の決定だ」
「そんな、急に言われても……」
「もう一度言う。お前に拒否権はない」
静かな圧力だった。怒鳴られているわけでも、脅されているわけでもない。それなのに、逆らえる気がまったくしない。
頭の中に、グレイ家での生活が浮かぶ。
「……で、でも」
何か言わなければいけない気がした。でも、言葉が出てこない。
「しばらくの間、お前はエルトとして振る舞え。余計なことはするな」
「……はい」
「後日、我が息子エルトが病を克服したと民衆に発表する。それまでは大人しくしていろ」
短く、必要なことだけを告げる。
「以上だ。今日はお前の部屋で休め。今後のことは追って連絡する」
「……僕の部屋? すいません、それはどこに」
「? ……エルトの部屋に決まっているだろう?」
不思議そうな顔をして、男は続ける。
「お前はもうエルトなのだからな」
その言葉には、迷いがなかった。
まるで最初からそうだったかのように、当たり前のこととして扱っている。
「……分かりました」
気づけば、そう答えていた。
納得したわけじゃない。ただ、流されるように。
「エルミナ」
「はい」
「今まで同様、エルトのことは任せたぞ」
「かしこまりました」
淡々としたやり取りのまま、僕はその場を後にした。
廊下を歩きながら、エルミナが口を開く。
「申し訳ございません、アルト様」
「……いや、エルミナさんにも立場がありますから。しょうがないですよ」
「ありがとうございます。……では、改めてになりますが。アルト様は、これよりエルト様として振る舞っていただきます」
「それなんですけど……。そもそも、会ったこともない人に成れって言われても、良くわからないといいますか」
「まあ、そうですね。ふむ。エルト様を一言でいうなら……クソ野郎ですね」
「ブッ!!」
突然の罵倒に思わず吹き出す。
「顔立ちはアルト様と瓜二つですが、甘やかされて育ったせいでしょう。内面はまるで別人です」
「そ、そうなんですか?」
「はい。すぐに暴力を振るう、ワガママが尽きない、口が悪い、野菜を食べない、御召し物を一人では着れない。他には……」
まるで、雨後の筍の用にエルトの悪口が芽吹いていく。
「僕、そんな人にならないといけないんですか?」
「大丈夫です。アルト様の主な役割は、主に顔見せ。その後のことはレオニード様にもお考えがあるようですし」
スタスタと前を歩きながらエルミナは続ける。
「ですが、最低限エルト様として振る舞えるよう、彼のことをよく知る人物と情報の共有をしておいてもらいます」
「よく知る人物?」
「はい。エルト様の婚約者である女性です」
「こ、婚約者!?」
まさか弟に婚約者がいたとは。十六歳になってもほとんど女性と交流がなかった僕とは、まさに雲泥の差だ。
「さ、アルト様。こちらです。ただいま彼女にはエルト様のお部屋でお待ちいただいております」
衝撃の事実にフリーズする僕を尻目に、彼女は豪華な扉を指差した。
「お待たせしました、ノエル様。アルト様……いえ、エルト様をお連れしました」
軽くドアをノックすると、エルミナは部屋の中の人物に呼び掛けた。それに応じるように扉がゆっくりと開かれる。
「あ、あの~……」
そういって恐る恐る顔を出したのは、貴族の婚約者というイメージとはあまりにかけ離れた少女だった。
年齢は僕よりもいくらか下に見える。
茶色の髪を大きな三つ編みにまとめ、小柄な体を少し縮こまらせている。垂れ目で、どこかおどおどした印象だ。
「ど、どうもはじめまして。僕は……」
「ヒッ! すいません! すいません!! 今すぐ肩をお揉みします! あ、それとも靴を舐めましょうか? そうです! そうしましょう!!」
それが彼女、ノエルとのファーストコンタクトだった。
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