第26話 時空の綻び、あるいは灰色の残響


学術都市ノウス、私立清秋学院初等部。

その図書室の最奥に位置する「特別待機室」は、放課後の穏やかな日差しに包まれていた。本来は備品室だったその場所は、今では巨大な白狼・京創きょうそうを囲んで、サンリ、小雪、鏡想きょうそうたちが集う放課後の憩いの場となっている。


しかし、今日のその場所には、本来そこにいるはずのない「年長者」の姿があった。


「へぇ……こいつは驚いた。これほど高密度のマナを安定して維持している個体、初めて拝ませてもらいましたわ」

青いショートヘアを無造作に揺らし、制服の上に電子部品やボルトが詰め込まれた多機能ベストを羽織った高等部の少女――時待ときまちルーカが、床に胡坐をかいて京創を熱心に観察していた。


「……ルーカさん、でしたっけ。高等部の人が、どうしてわざわざ初等部まで来てるんですか」


黒咲サンリは、手元の本から目を離さずに、呆れたような声をかけた。ルーカは「あっし」という独特の一人称を使いながら、ニヤリと笑う。


「まあそう言うなって、サンリの旦那。あっしはただ、ノウスで一番『面白いノイズ』を探してただけなんですわ」

ルーカが自慢げに指し示したのは、自身の腰に取り付けられた、歯車と基板が複雑に組み合わさったベルトデバイス――『時空跳躍機クロノ・スライダー』だった。


「ルーカさん、それ何ですか? 歯車が勝手に回ってて、キラキラしてます!」

小雪が好奇心に瞳を輝かせて覗き込むと、隣に座っていた鏡想も、興味深そうに身を乗り出した。

「時間移動ができる機械……って言ってましたよね」


「そう! 指定した座標と時間軸へ『転送!移動』できる……っていう寸法。……おっと、ここの同期が少し甘いな。ちょっと失礼」

ルーカがピンセットを取り出し、ベルト中央に埋め込まれたクリスタルの端を軽く突いた。


その刹那――。

チッ、という小さな金属音が、嫌な予感を伴って部屋に響いた。

「――え? 嘘、過負荷オーバーロード!? まだ起動スイッチは押してな……っ、全員伏せろ!!」

ルーカの悲鳴に近い絶叫。


次の瞬間、ベルトのクリスタルが制御不能なほどの白光を放ち、空間そのものを内側から食い破るように膨れ上がった。


「小雪! 鏡想! 離れるな!!」

サンリが咄嗟に二人の腕を掴んだが、その直後、世界は真っ白な虚無へと塗り潰された。頬を叩く、砂混じりの冷たく乾いた風の音で、サンリは意識を取り戻した。


「……っ、げほっ……がはっ……!!」

肺に溜まった砂塵を吐き出しながら、サンリはゆっくりと身を起こした。

視界に入ってきたのは、一面の「灰色」の世界だった。

太陽の光は厚い鉛色の雲に遮られ、不気味に濁っている。


「……サンリくん。ここ、どこ……? 学校じゃないよ……」

隣で小雪が、震える声でサンリの服の裾をぎゅっと握りしめた。


「大丈夫だよ、小雪ちゃん。……でも、サンリくん。ルーカさんは? どこにもいないよ」

鏡想が周囲を必死に見渡すが、瓦礫の山のどこにも、あの青い髪の少女の姿はなかった。


『……皆様、お怪我はありませんか。……どうやら、随分と無作法な場所に放り出されたようですわね』

背後で、京創が低い姿勢を保ったまま周囲を鋭く睨みつけていた。その気品ある声には、隠しきれない警戒の色が混じっている。


サンリは立ち上がり、呆然と周囲を眺めた。

そこには、見覚えのある「ノウス」の面影が僅かに残っていた。だが、それは無残に崩れ落ちた残骸だった。

街の象徴だったヘリオスタワーは、中ほどから無残に折れ曲がり、錆びついた鉄骨を晒している。アスファルトの隙間からは見たこともない赤黒い植物が血管のように這い出していた。


「……こんな世界が、あっていいはずがない」

サンリは瓦礫の下から拾い上げた、数十年先の日付が刻まれた看板を、無言で投げ捨てた。生存者の気配は全くない。ただ、風が瓦礫を叩く乾いた音だけが響く中、不自然な「音」が混じり始めた。


ギギ……ッ、ガシャン。


『……来ますわ。不吉な「鉄」と「硝煙」の匂いですわね』

京創が牙を剥き、喉の奥で低く唸った。

瓦礫の山の向こうから、逆関節の脚部で不気味に跳躍し、こちらへと肉薄してくる影。


それは、紫色の髪をなびかせた少女――その全身を、異形の魔導装甲が覆っていた。

装甲の隙間から覗く、生気のない少女の瞳。

その右目だけが青白いディスプレイとなって淡く発光し、サンリたちを「障害」として捉えた。

「対象……確認。障害物と判断。……排除を開始する」


「……っ、来るぞ!」

サンリが叫ぶのと同時に、少女――L-01が右腕のライフルを振り上げた。

回避の動作すら許さない、物理法則を置き去りにした超加速。


ドォォォォォン!!

着弾の衝撃でサンリの体が吹き飛ぶ。

(……なんだ、この魔力の流れは!? 読めない……どころか、筋道さえ見えない!)


黒咲家の「魔術師殺し」としての本能が、激しく警鐘を鳴らす。

目の前の敵が纏っているのは、術式でも異能でもない。

ただの、暴力という名の「法則」そのものだった。


未来という名の絶望の中で、時を奪われた少年たちの逃げ場のない戦いが、否応なく始まった。

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