第50話 毎晩の報告、全部本人に届いていた
さいたまダンジョンから市ヶ谷防衛省へ。
ダンジョン省の車は俺達を乗せて、夜の東京を走っていた。
黒須とミルはすっかり緩んだ表情をして、車のシートでスヤスヤと眠っている。
危険と隣り合わせのダンジョン探索なのに、いつの間にかそれがルーティン化していく毎日。
こんな油断している時にこそ、致命的な事故は起きる。
明日から、彼女たちには引き締め直しが必要かもしれない。
車は防衛省の敷地に入り、庁舎Kのエントランス近くで止まった。
黒須とミルはようやく目を覚まし、車から降りて大きく伸びをする。
「じゃ、また明日」
「あぁ」
庁舎Kのロビーで別れ、それぞれの部屋へと向かう。
自室の玄関を開けて中に入った瞬間、外部の音が完全に遮断され、不自然なほど静かになる。
「ふぅ」
重いブーツを脱ぎ、部屋に上がって深く脱力する。
ダンジョンの緊張で凝り固まった身体をストレッチしながら、ゆっくりとほぐしていく。
さいたまダンジョンに現れたマンティコア。
たぶん、黒須一人なら呆気なくやられてしまっていただろう。
ミルがいたとしても、マンティコアのような知能が高いトリッキーなモンスター相手だと、かなり厳しい筈だ。
一体と正面で交戦している間に、死角からサソリの毒針を打ち込まれて終わりだ。
「……人を育てるってのは、なかなか難しいな」
俺は壁に掛かった、エルフ・ルクレツィアの肖像画に向かって話し掛ける。
「異世界には、自分より上の存在が幾らでもいたし、ダンジョンの外の世界も常に危険で一杯だった。四六時中、神経を研ぎ澄まされていなければ、生き抜くことすら出来なかった……。しかし、日本は違う。ダンジョンでモンスターを何体か倒しただけで、自分のことを『最強になった』と錯覚してしまうんだ……」
絵の中のルクレがじっとこちらを見て、俺の愚痴を聞いているような気がする。
「命の確実な危機を感じるような理不尽な場面に遭遇すれば、黒須も変わるんだろうが……。本当に死んでしまっては元も子もない。なかなか、その塩梅の調整が難しい……」
静かな空間の中で、俺の低い声だけが響く。ここにいるのは俺だけなのだから当然だ。
「……ん?」
背中に、わずかに違和感が走った。
空気に混ざる、極めて微細な魔力。
日本というダンジョンの外の世界で、大気から直接魔力を感じることはあり得ない。
黒須の魔力とも違う、見知らぬ誰かの魔力。
キッチンの方からだ。
俺はスキル【感知】を発動し、五感を極限まで研ぎ澄ます。
シンク下の扉の向こうに……何かがいる……。
俺は【アイテムボックス】から短く鋭いナイフを取り出し、右手に構えて緻密な魔力を通す。
ゆっくりと左手を扉の取っ手に伸ばし、一気に開いた。
「……気のせいか……」
シンク下には何もいない。先程の魔力すら完全に消え失せている。
さっき感じたのは、ただの俺の気のせいだったのだろうか?
リビングに戻り、肖像画を見る。
「どうやら、俺自身も少し神経質になり過ぎているようだ」
絵の中のルクレは、否定も肯定もしない冷たい表情を浮かべたままだった。
#
――身体に直接電撃が走るような、強烈な悪寒。
俺の意識が一気に覚醒し、ベッドから勢いよく跳ね起きる。
灯りをつけたままの自室。見渡す限り、部屋の中に異変はない。
しかし、建物のどこかから強烈な魔力の波を感じる。
寝る前に感じた微細なものではない。隠すつもりすら全くない、圧倒的な力の奔流だ。
庁舎Kに『化け物』がいる。間違いない。
俺は【アイテムボックス】から異世界で使っていた本気の装備を取り出し、大急ぎで身に纏う。
古代龍や上位魔人と戦う時にのみ使用する、黒き重装甲の鎧と、禍々しい魔剣だ。
今回の相手の気配は、間違いなくそのクラスの怪物。
何故、現代日本のダンジョンの外にそんな化け物が? という疑問はあるが、今はそれどころじゃない。
やはり、寝る前にキッチンで感じた違和感は気のせいではなかったのだ。
覚悟を決めて、部屋の外に飛び出す。
【感知】を使うまでもなく、元凶の位置は肌がヒリつくほどハッキリと分かる。
俺は廊下を蹴り、女性職員が暮らしているフロアへと急ぐ。
信じられないほど強い魔力は……黒須の部屋から漏れ出していた。
愛用の魔剣に魔力を通し、静かに、そして確実に部屋の扉ごと空間を斬る。
ゆっくりとこちらに倒れてくる分厚い扉を音も立てずに【アイテムボックス】に仕舞い、俺はそのまま黒須の部屋に踏み込んだ。
視界に入ってきたのは、日本の防衛省の敷地内とは到底思えない、酷く禍々しい光景だった。
薄い寝巻き姿の黒須が、数多の太い触手に手足と胴体を捕らえられ、部屋の中空に磔にされるように浮かんでいる。
触手は不気味な粘液を滴らせながらヌラヌラと這うように蠢き、その内部を通る無数の血管を不気味に赤く明滅させていた。
四肢をキツく戒められた黒須が必死にもがくが、触手が蠢く度に寝巻きは無残にはだけ、柔らかな肌が空気に晒されていく。
黒須を捉えていたのは、異世界の魔の領域にのみ生息する「ドレインローパー」。
獲物の体内に魔力の管を打ち込み、時間をかけて魔力を全て吸収し、その後には生命の生気までをも一滴残らず奪い尽くす凶悪な魔物だ。
襲われた者は抗う力を完全に失いながら、ただ極限の恐怖と辱めに包まれ、死を待つしかない。
「……た、すけて……タダ、シ……」
黒須は既に抵抗する力を奪われ、光を失った虚ろな目をしていた。
俺は――静かに、構えていた魔剣をアイテムボックスに仕舞った。
助けに来てくれた筈の俺が武器を納める様子を見て、黒須の顔がさらに深い絶望に染まる。
「……えっ、どうして……」
俺はまるで異界化してしまったような寝室をズカズカと進み、宙に浮く黒須の近くに寄る。
床には、抵抗しようとした神獣ミルがボロ雑巾のように転がされていた。
あの神獣をこんな一瞬で無力化するなんて、飛んでもない奴だ。
しかし、黒須を締め上げるドレインローパーは、真横に立つ俺を見ても一切の敵意を示さない。
それはそうだろう。
俺は、このモンスターを召喚した奴を知っている。
それも、知っているというか、知り過ぎているというか……。
「おい、そこにいるんだろ。隠れてないで出てこい」
一瞬、部屋の空気が微かに揺らぐ。
俺の声を聞いて、思わず反応してしまったように。
「そこだな」
部屋の隅。不自然な光の屈折。
まるで、光学迷彩のマントで身を隠しているような空間の歪み。
「……なんだ、もうバレてしまったか。流石は私のタダシだな」
もう聞くことはないと思っていた、凛と澄んだ美しい声。
何もなかった空間の歪みが解け、突然そこに現れたのは、流れるような金糸の髪に、宝石のような翡翠の瞳をもつ、絶世のエルフの美女だった。
「なんで、地球のこんな所にいるんだ? ルクレ」
俺が呆れたようにそう呼ぶと、ルクレが一瞬、不満げにムッとする。
「違うであろう! そこは『会いたかった』と抱きしめる場面であろうが、タダシ! 本当に、昔から女心が分かっておらぬ!」
「……あぁ、そうだな。会えてうれしいよ。ルクレ」
俺がそう言い直すと、パァ……とルクレの美しい顔がひまわりのように明るくなり、そのままこちらに向かって飛んでくる。
ルクレは俺の首に愛おしそうに腕をまわし、ぐっとその豊満な身を寄せてきた。
「このゴツい鎧が邪魔じゃ」
そう文句を言いながら、ルクレは俺の冷たい鎧の胸当てに嬉しそうに頬ずりをする。
「……それより、いつまで黒須とドレインローパーを遊ばせておくつもりだ?」
すぐ横では、一体何が起きているのか全く理解できず、ポカンと口を開けたまま触手に弄ばれ続けている黒須が宙に浮いている。
「わぁは、肖像画越しにタダシの言葉を聞いていたからな。タダシとわぁの仲を馬鹿にした、この軟弱な小娘にはちょっとしたお仕置きが必要じゃと思って用意してやったのだ。このまま三日ほど放置する」
「いや、それは流石にやりすぎだ。本当に死ぬぞ」
「むぅ。じゃあ、あと一日」
俺の言葉など一切聞く耳を持たないルクレをなんとか宥めすかし、彼女が召喚したドレインローパーから黒須がようやく解放されたのは、空がすっかり白んだ後のことだった。
解放された黒須は床にへたり込んだまま、俺とルクレを交互に見比べ、長い沈黙の後に口を開いた。
「……タダシ、説明して」
「俺もよく分かってない」
これは多分、大きな動きの前触れだ。
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ここで一区切り! フォローと評価、よろしくお願いいたします!
作品と関係ないですが、本日は私の誕生日です! 祝って!!
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