第三章 灰脈地下兵站庫編 ――市塞主の俺、旧王軍の地下倉を開けて北辺街道の喉を握る
第21話 最初の通行税で井戸を掘り、旧王軍の地下倉をこじ開ける
権利は、紙のままだと半分軽い。
通行札になって、
税箱へ落ちて、
井戸と鍵に変わって、
ようやく腹の底まで落ちる。
第八市塞になった翌朝、
俺が最初にやったのは、
仮認可状を眺めることではなかった。
「通行札、いくらで切ります?」
ミレイユが、朝の帳簿箱を抱えたまま聞いてくる。
第八市塞の門前。
青銀の司令部旗の下に、
新しく作った簡易机が一つ。
その上には、クルト補給監が置いていった束が並んでいた。
北道通行仮札。
荷車通行札。
司令部認可の簡易印泥。
そして、小さな青銅の徽章。
第八市塞主仮徽。
車輪と槍と鍋。
その下に、小さく青銀の司令部紋。
悪くない。
かなりいい。
だが、見惚れている暇はない。
「荷車一台、銀貨一枚」
俺は言った。
「歩荷は銅貨三枚。市塞内で鍋と湯と護衛を使うなら追加」
「強気ですね」
「狼旗が引いたばかりの道を、安全札つきで通れるので」
「好きですよ、そういう値段」
「知っています」
ノイルが横で、まだ新しい看板板を抱えたまま聞いてくる。
「補給主任」
「何です」
「いや、市塞主」
「どっちでも」
「じゃあ両方で。補給主任市塞主、これ、本当に払う人います?」
「います」
「なんで」
「安全に値札がついたからです」
「便利ですね、その理屈」
「かなり当たるので」
俺は看板へ木札を掛けた。
北道通行札 一台 銀貨一枚
歩荷通行札 一人 銅貨三枚
市塞内鍋・湯・荷車置き場 別料金
鉱山調査依頼 要相談
最後の一枚を見て、
ミレイユが笑った。
「最後、かなり露骨ですね」
「調査権を取ったので」
「好きです」
「知っています」
その時、南道から小さな隊商が一つ来た。
荷車二台。
積み荷は塩袋と灰石鹸。
護衛は三人。
顔は疲れているが、
狼旗が引いたのを見て、すぐ道へ出た顔だ。
先頭の男が、門前の新しい看板を見上げる。
「ここが……第八市塞?」
「ええ」
俺は答えた。
「通行札を切りますか」
「本当に北道を通してくれるのか?」
「銀を払えば」
「野盗は」
「昨日までいた狼旗よりはましです」
「……通る」
男は少し迷ったあと、
銀貨二枚を置いた。
荷車二台分。
硬い音が、朝の机に落ちる。
好きだ。
かなり好きだ。
「第八市塞、最初の通行税ですね」
ミレイユが楽しそうに言う。
「ええ」
「どう使います」
「井戸です」
「夢がない」
「かなりありますよ」
俺はその銀貨二枚のうち一枚をその場で持ち上げ、
掲示板へ新しい木札を掛けた。
浅井戸掘り
日当 銅貨五枚
石出し 追加銅貨二枚
湧水確認 銀貨一枚
ざわめきが広がる。
避難民の中から、すぐに手が上がる。
元工兵。
掘削具持ちの下働き。
水桶運びに慣れた子どもたちまで、
目の色が変わった。
「補給主任!」
ノイルが元気よく言う。
「湧水確認って、最初に水出した人ですか?」
「ええ」
「すごい」
「かなり」
「俺、見たいです!」
「手伝ってください」
「はい!」
いい。
第八市塞の最初の税で、
まず井戸を掘る。
強い。
かなり強い。
その時、
第二柵の内側から、煤けた老人が一人、のそのそと出てきた。
背は低い。
肩は曲がっている。
だが、爪だけが妙に黒い。
石粉が染みついた手だ。
鉱夫だ。
「市塞主」
初めてそう呼ばれた。
嫌いじゃない。
「何です」
「灰脈旧鉱山の入口を掘る気なら、正面からはやめとけ」
「理由を」
「正面坑は昔に潰した。落盤もある。だが通気坑は生きてる」
老人は、腰から古い木札を出した。
灰脈坑夫札。
色褪せているが、まだ読める。
「名前を」
「ハルン。昔は灰脈の坑夫頭だった」
「今は」
「焼かれて逃げてきた爺だ」
「何が欲しい」
「寝床はもうある。湯も使った。あとは、銀貨一枚と、孫の飯」
「高いですね」
「地下兵站庫の入口まで連れてくなら安い」
一拍だけ沈黙。
それから、俺は銀貨を一枚出した。
机の上へ置く。
ハルンの目が、わずかに揺れた。
「前金です」
「……即か」
「第八市塞は、入口のわかる爺を逃がすのが嫌いなので」
「嫌な男だな」
「知っています」
「好きだ」
「ありがとうございます」
セレナが横で、少し呆れたように笑う。
「もう行くのか」
「今日です」
俺は答える。
「準備回が一番鈍るので」
「嫌な言い方だな」
「かなり本気です」
ガレスが槍を肩に担ぐ。
「人数は」
「少数で。副司令、軍曹、ノイル、ハルン、あとヘルムとベルン」
「元私兵組か」
「ええ。掘削具と油の扱いがわかるので」
「好きだな、買った戦力を使うの」
「生活がかかっているので」
「知ってる」
昼前。
俺たちは六人と一人で、灰脈旧鉱山へ向かった。
第八市塞から北西。
崩れた石切り場のさらに先。
灰色の地肌が剥き出しの斜面に、
古い坑道の口が、半分潰れたまま開いている。
正面坑は、確かに死んでいた。
崩れた梁。
埋もれたレール。
それでも、入口まわりだけは妙に新しい足跡がついている。
「……誰か来てますね」
俺が言うと、
ハルンが顔をしかめた。
「来るだろうよ。鉱山と倉は、焼けた村より金の匂いがする」
セレナが足跡を見た。
「三人か」
「ええ」
「レイスの残りか」
「たぶん、欲の早い連中です」
正面坑の脇には、
新しい梃子棒の跡があった。
誰かが崩れた石をどかそうとしたらしい。
「正面は捨てて、上へ」
ハルンが顎で示す。
崩れた斜面の上。
潅木の陰に、細い裂け目みたいな穴があった。
人一人がやっと通れるかどうか。
乾いた風が、そこから少しだけ流れている。
いい。
かなりいい。
「通気坑だ」
ハルンが言う。
「昔の換気道。狭いが、奥で作業道につながる」
「落ちますか」
「半分は」
「嫌ですね」
「でも一番早い」
ノイルが顔を引きつらせた。
「補給主任」
「何です」
「俺、今ちょっとだけ、市庭のほうが好きです」
「知っています」
「なんで山入るたび狭いとこ行くんですか」
「近道だからです」
「嫌な補給主任だなあ……」
「褒め言葉として受け取ります」
通気坑は狭かった。
先頭をハルン。
次に俺。
その後ろをセレナ。
ノイル。
ヘルムとベルン。
最後尾にガレス。
途中、木の支えは腐り、
足元の石は動く。
だが、風は確かにある。
死んだ穴じゃない。
「止まれ」
ハルンが急に手を上げた。
前方に、わずかな灯り。
誰かいる。
息を殺して進む。
やがて通気坑が少し広がり、
その先に、錆びた鉄格子の裏側が見えた。
作業道だ。
そして、格子の向こうでは、
三人の男がこちらに背を向けていた。
レイスの残りだ。
革鎧はばらばら。
だが腰の印紐が第三遠征団のものだ。
一人は梃子棒。
一人は灯り。
もう一人は、古い青銅扉の錠前を叩いていた。
「おい、本当に開くんだろうな」
「うるせえ。工兵長が"倉の前室"って言ってたんだ」
「中に塩と油があるなら、南で銀になる」
「鉄もだ。団長のやつらが下がる前に――」
十分だ。
俺はセレナへ目で合図する。
彼女は静かに頷いた。
【《野戦工房》起動】
【資材を認識します】
【錆格子】
【古鎖】
【作業梁】
【残置鉤】
【木柄 少量】
【構築可能】
【――格子留め外し】
【――落鎖】
【――短鉤槍】
「ノイル」
「はい」
「三つ数えたら、灯りを落としてください」
「わかりました」
「軍曹、格子が開いたら右」
「おう」
「副司令、左」
「ああ」
一。
二。
三。
ノイルが小石を投げた。
灯りの男が、反射でそちらを見る。
その瞬間、
俺は錆格子へ手をついた。
【格子留め外し、構築】
錆びた留め金が、内側から外れる。
格子が、音を殺すようにわずかに浮いた。
セレナとガレスが滑り出る。
速い。
左の男の首へ、槍が当たる前に止まる。
右の男は、ガレスに梃子棒ごと壁へ押しつけられた。
最後の一人――青銅扉を叩いていたやつだけが、
慌てて腰の短剣を抜く。
遅い。
俺は格子から半歩出て、
壁の残置鉤と木柄をその場で短鉤槍へ組む。
男がこちらへ踏み込む。
だが足場は狭い。
俺は正面から受けない。
壁に肩を預け、短鉤槍を男の手首へ絡めて引く。
短剣が飛ぶ。
そのまま膝を蹴る。
崩れたところへ、ノイルが背後から灯りを奪った。
「ひっ」
「静かに」
俺は言う。
「倉の前室、好きですか?」
「……っ」
「俺もです」
三人とも制圧。
好きだ。
かなり好きだ。
ベルンが、第三遠征団印の入った工具袋を拾いながら笑った。
「補給主任」
「何です」
「こういう残りカス、使い道あります?」
「あります」
「どんな」
「工具袋と情報です」
「嫌な男だな」
「知っています」
ハルンは、その間に青銅扉のほうを見ていた。
「これだ」
「前室ですか」
「たぶんな。昔の灰脈は、正面倉を守る前に"乾き倉"へ通す作りだった」
扉は大きくない。
だが、分厚い。
青銅製。
中央に、古い王軍の補給紋。
その下に文字。
第一前室
塩・灯油・乾物・予備鉄
最高だ。
かなり最高だ。
「開きますか」
俺が聞く。
ハルンは顎を撫でた。
「普通なら無理だ」
「普通じゃないなら」
「……少しだけある」
男たちが持っていた梃子棒。
残っていた鎖。
古い滑車。
そして、第三遠征団の工具袋。
材料は十分だ。
《野戦工房》を流す。
梃子棒が組み合い、
滑車が噛み、
古鎖が締まり、
扉の蝶番へ力がかかる。
ヘルムが目を丸くした。
「……こいつ、地下でもやるのか」
「補給官なので」
「便利すぎるだろ」
「かなり」
ガレスが押し、
セレナが槍の石突きで支え、
ハルンが噛み合わせを指示する。
「そこで止めろ! 半歩! 次は下だ!」
「わかっています!」
ノイルが息を切らしながら答える。
ごん、と重い音。
次の瞬間、
青銅扉が、ほんの少しだけ開いた。
乾いた、冷たい空気が流れてくる。
油と塩の匂いが混じっていた。
本物だ。
「開いた」
ノイルが呟く。
「開きました」
俺が答える。
「知っています」
扉を押し広げる。
中は暗い。
だが、死んでいない。
棚。
樽。
箱。
鉄帯で巻かれた木箱。
壁際に並ぶ油壺。
塩袋。
乾燥豆の樽。
そして、予備鉄の束。
ほとんどそのままだ。
「……残ってやがった」
ハルンの声が、少しだけ震えた。
ベリクがここにいたら泣くだろう。
マルタも叫ぶ。
ロドなら車輪より先に鉄を数える。
好きな物ばかりだ。
かなり好きだ。
「補給主任!」
ノイルが、棚の一角を指さす。
「これ、札です!」
近づく。
木箱の中には、
青銅の小札が何十枚も並んでいた。
旧北辺街道通行札。
一枚ごとに、王軍補給紋が刻まれている。
さらに、その下の引き出しには、
古い街道図。
北辺の支道。
井戸位置。
旧兵站庫の分岐線。
そして最後に、
一番奥の壁へ打ち付けられた鉄板図。
灰脈主幹庫案内図。
前室。
中層倉。
主幹庫。
地下水路。
西尾根裏抜け。
北街道連結。
西尾根裏抜け。
俺の指がそこで止まる。
今までレイス本隊が陣を敷いていた西尾根。
その裏へ、地下から抜ける線が描いてある。
最高だ。
かなり最高だ。
セレナが図を覗き込み、目を細めた。
「……これ、尾根の裏へ出るのか」
「ええ」
「つまり」
「地上の包囲線を、地下から抜けられる」
「嫌な補給官だな」
「褒め言葉として受け取ります」
さらに図の下には、
もう一つの表記があった。
主幹庫 封鎖中
開放には主補給印または青銅通行印が必要
俺は木箱の中の青銅通行札を一枚持ち上げた。
軽い。
だが、かなり重い意味がある。
「……鍵ですね」
「ただの通行札じゃないのか?」
ノイルが聞く。
「昔は"通る権利"が、そのまま倉を開ける権利でもあったんでしょう」
「すごいな」
「かなり」
ベルンが、扉の奥を見て唾を飲み込む。
「これ全部、市塞に持ち帰れるのか」
「前室の分は」
「主幹庫は?」
「次です」
俺は鉄板図を壁から外した。
重い。
だが、嫌なほど嬉しい。
「副司令」
「何だ」
「今日はここまでで十分です」
「珍しいな」
「前室だけで、塩、灯油、乾燥豆、予備鉄、旧通行札、街道図、地下案内図です」
「……確かに十分だ」
「かなり」
ハルンが、青銅通行札を見て低く笑った。
「爺の銀貨一枚、安かったろ」
「かなり」
「じゃあ次は二枚だ」
「検討します」
「好きだ」
「知っています」
帰り荷は重かった。
だが、重いほうがいい。
塩袋。
灯油壺。
乾燥豆樽。
予備鉄。
工具箱。
旧通行札。
街道図。
案内鉄板。
全部、こっちの自由度へ変わる。
しかも西尾根の裏抜けまで見つかった。
悪くないどころじゃない。
かなりいい。
第八市塞へ戻った時、
南庭――いや、市庭はまだ明るかった。
ミレイユが、荷を見た瞬間に目を細める。
「補給主任」
「何です」
「その顔、かなり当たりを引いた顔ですね」
「知っています」
「何が出ました」
「塩、灯油、豆、鉄、旧通行札、街道図、地下水路、尾根裏抜け」
「……好きです」
「かなり」
「私もです」
ベリクが予備鉄の束へ飛びつく。
ロドは油壺を抱える。
マルタは乾燥豆樽を見て、鍋杓子を振り上げた。
「補給主任! 豆が増えた!」
「知っています」
「最高だね!」
「かなり」
ノイルは、青銅通行札を掲げて叫ぶ。
「見てください! 昔の通行札です!」
「静かに」
俺は言う。
「数えにくいので」
「ですよね!」
笑いが広がる。
いい。
地下から持って帰った荷で、
市塞の空気がまた一段、太くなる。
セレナが主室の机へ鉄板図を置いた。
西尾根裏抜け。
北街道連結。
地下水路。
主幹庫。
全部、次の勝ち筋だ。
俺は青銅通行札を一枚、机の上で転がした。
軽い音がした。
「副司令」
「何だ」
「砦の次は市塞でした」
「ええ」
「その次は街道だと思っていました」
「違うのか」
「半分だけ」
俺は鉄板図の主幹庫を指した。
「街道の前に、地下倉庫です」
「欲張りだな」
「生活がかかっているので」
「知ってる」
市塞の灯りの向こうで、
鍋がまた一つ火にかかった。
悪くない。
かなり悪くない。
第八市塞は、地上だけで回り始めたわけじゃない。
その足元にまで、
まだ金と物資と抜け道が眠っている。
だったら次は、
その主幹庫をこじ開けて、
本当に"北辺の喉"を握る番だった。
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