第15話 給料日と市庭の夜、鍋と銀貨でみんなの顔色が変わる
奪った戦利品は、積んだままだと半分死んでいる。
門になり、
灯りになり、
銀貨になって、
ようやく人を満たす。
工兵荷車を奪って帰った翌朝、
南庭の空気は最初から熱かった。
昨日まで敵の盾車だった板が、
今は第二柵の内側へ立てかけられている。
弩車部材は分解され、
鉄帯と滑車と軸材にばらされ、
ベリクとロドがそれを前に唸っていた。
「補給主任」
ベリクが、厚い指で盾車の屋根板を叩く。
「これ、板はかなり良い。正面から矢を弾く前提で作ってある」
「だから門にします」
「……敵の盾車をか」
「ええ」
「好きだねえ」
「かなり」
ロドも横で車輪を回しながら言う。
「車輪もまだ生きてる。片輪が裂けたやつ以外は使えるぞ」
「では二台を柱に、残りを扉へ」
「嫌な市場だな」
「守る気満々なので」
「嫌いじゃねえ」
俺は南庭の正面へ立ち、靴先で線を引いた。
「ここが市庭門です」
「まだ南庭だろ」
ガレス軍曹が笑う。
「昼までには変わります」
「でけえこと言うな」
「生活がかかっているので」
《野戦工房》を流す。
盾車の屋根板が立ち上がる。
支え脚が噛み合い、
車輪が両側へ回り、
鉄帯が締まり、
弩車部材の滑車が上に収まる。
正面から見れば、厚い木の門だ。
だが中身は敵の攻城具そのもの。
左右の脇には、短い連弩架台を一基ずつ組む。
本格的な大弩じゃない。
だが、市場へ突っ込んでくる数人を止めるには十分だ。
さらに、門前に砂樽。
水桶。
火消し棒。
防火布。
敵の南庭破却図に描かれていた弱点へ、
全部そのまま厚くしていく。
ノイルが連弩架台を見上げて、目を丸くした。
「補給主任」
「何です」
「市場用の連弩って、本当にあったんですね」
「昨日言ったでしょう」
「言ってましたけど、冗談かと思ってました」
「仕事です」
「便利だなあ……」
兵たちが笑いながら杭を打つ。
いい。
戦利品が、目の前で"こっちの防衛"に変わるのは強い。
かなり強い。
その時、南庭の入口で、少しだけ不穏な声が上がった。
「えっ、高くないか?」
「今日は給金日なんだよ、多少は仕方ないだろ」
見ると、便箋と封筒を並べた小商人の机の前で、
若い兵が困った顔をしていた。
ノイルだ。
便箋を一枚持ったまま、眉を寄せている。
「どうしました」
俺が聞くと、ノイルは露骨にほっとした顔になった。
「補給主任。この紙束、昨日は銅貨一枚だったのに、今日は三枚だって」
「そりゃ給金日だからねえ」
商人が肩をすくめる。
「兵隊さんは銀貨持ってるんだろ?」
わかりやすい。
嫌いじゃない。
だが、初日にやられると面倒だ。
俺はその机の前へしゃがみ込み、
紙の質と束の厚みを見た。
安い紙だ。
昨日と同じ。
封筒も普通。
「ミレイユさん」
「はい」
呼ぶと、すぐ横にいた商人女が楽しそうに寄ってくる。
「価格札、いけますか」
「好きですよ、そういう仕事」
俺は掲示板へ新しい木札を掛けた。
給金日価格札
紙束 銅貨一枚
封筒 銅貨一枚
針糸 銅貨一枚
塩小袋 銅貨一枚
灯油小瓶 銅貨二枚
薬草束 銅貨三枚
その下に、もう一枚。
必需品は価格表示必須
高級品・嗜好品は自由価格
違反は出店料二倍
ざわめきが広がる。
紙売りの商人が顔をしかめた。
「そんなの、商売にならないよ」
「なります」
俺は即答した。
「必需品を安くして回転を上げる。代わりに嗜好品は自由にしていい。高い香油でも、綺麗な布でも、櫛でも、飾りでも好きに売ってください」
「……」
「それと、価格札を出した店は今日の出店料を銅貨二枚下げます」
「先に言えよ」
「今言いました」
周囲から笑いが起きた。
ミレイユがすぐに口を添える。
「初日の兵に嫌われる市場は、二日目で死にますよ。ここは寄せて囲う市場です」
「商人が言うなよ」
紙売りがぼやく。
「商人だから言うんです」
結局、紙売りは舌打ちしながらも銅貨一枚へ戻した。
ついでに、封筒も並べ直す。
ノイルが、ほっとした顔で紙束を抱えた。
「補給主任」
「何です」
「助かります」
「手紙を書くなら、最初の一行は短く」
「なんでです」
「読んだ相手が泣きやすいので」
「……そういうの、詳しいんですか」
「今考えました」
「すごいなあ」
その横で、別の若い兵がこっそり櫛を見ていた。
ガレスがそれを見つけて笑う。
「お前、櫛なんか買ってどうする」
「いや、ちょっと……」
「誰に見せる気だ」
「南庭に女の人もいるんで」
「ははっ!」
笑いが広がる。
悪くない。
銀貨を持った兵が、
紙を買い、
櫛を買い、
糸を買い、
少しだけ身なりを気にし始める。
こういうのは、
かなり効く。
昼前には、市庭門の形が見えてきた。
敵の盾車二台を左右へ立て、
中央に厚い扉板。
上には滑車で上げ下げできる簡易防火布。
脇には連弩架台。
さらに門前には、
荷車が一列に避難できるよう、車止めと誘導杭まで打つ。
ロドが、扉の回転を確かめながら鼻を鳴らした。
「悪くねえ」
「好きですか」
「かなり」
「では請求書を」
「おい」
ベリクは連弩架台の鉄帯を締め直しながら言う。
「これ、矢じゃなく短いボルトで撃つんだろ」
「そうです」
「何本いる」
「二百」
「今日中に百二十。残りは明日」
「かなり優秀ですね」
「前金を握ると、少しだけ速くなるんでな」
「知っています」
マルタたちはその脇で、乾燥棚から最初の豆煉餅を外していた。
まだ試作だが、形は悪くない。
「補給主任」
マルタが、一つを俺へ投げる。
「噛んでみな」
受け取って齧る。
固い。
だが、噛めば塩と豆が広がる。
悪くない。
かなり悪くない。
「兵糧としていけます」
「最初の百は砦優先だよ」
「そのあと三百、ロスタ商会へ」
「わかってるよ」
ミレイユが横から笑う。
「私の前金、ちゃんと覚えてるんですね」
「金は忘れません」
「好きですよ、そういう男」
昼過ぎ。
市庭門が立った。
敵の盾車で作った門。
その上へ、新しい板を掲げる。
第八市庭
三文字だけ。
だが、かなり強い。
セレナがその看板を見上げ、槍の石突きを鳴らした。
「聞け!」
南庭――いや、もう市庭だ。
兵も商人も職人も、一度手を止める。
「本日より、この場所を第八市庭とする! 鍋があり、湯があり、出店があり、仕事があり、銀が動く。ここはもう、砦の庭ではない。第八砦が守る市だ」
ざわめきが広がる。
セレナは続けた。
「第八市庭の出店札、価格札、保管札、夜市札。今後この場の裁定は、補給主任カイル・ルーヴェンの印をもって通す」
そこで、ミレイユが小さな包みを差し出した。
開ける。
中には、真鍮の小印が入っていた。
車輪。
槍。
鍋。
三つを重ねた簡素な意匠。
だが、妙にいい。
「市庭印です」
ミレイユが言う。
「ベリク親方に頼んで、弩車部材の真鍮片から作ってもらいました」
「早いですね」
「印がないと、責任者っぽく見えませんから」
「かなり好きです」
「でしょう?」
セレナがその印を俺へ渡す。
「持て」
「副司令」
「市庭を回す男には、札を通す印がいる」
「重いですね」
「責任だからな」
「嫌いじゃありません」
印を握る。
いい。
かなりいい。
第八市庭印。
ただの補給官じゃない。
この場所を回す男の印だ。
ノイルが、思わず声を上げた。
「補給主任、めっちゃ偉くなってません!?」
「少しだけです」
「印持ってますよ!」
「見ればわかります」
「すごいなあ!」
兵たちが笑い、
商人たちも半分呆れた顔で拍手をした。
そこへ、ミレイユがすかさず次を置く。
「夜市、やりましょう」
「早いですね」
「灯りをつけると、人は財布が緩みます」
「好きです、そういう話」
「知っています」
彼女は荷馬車から灯油樽と吊り灯りを下ろさせた。
「夜市札、一店銀貨一枚。灯り代込み。中央通りは二枚」
俺は即答する。
「高い」
「夜ですから」
「中央通り二枚、脇道一枚、火気厳禁区域は半額」
「……好きですよ、そういう修正」
「払いますか」
「払います」
商人たちが一斉にざわつく。
「夜も売るのか?」
「兵は夜のほうが財布を開くぞ」
「鍋の匂いもあるしな」
「場所押さえろ!」
銅貨と銀貨がまた税箱へ落ちる。
好きだ。
かなり好きだ。
俺は掲示板へ、さらに木札を足した。
夜市札 脇道 銀貨一枚
夜市札 中央通り 銀貨二枚
夜番手当 銀貨一枚
工事手当 銅貨五枚
工兵荷車襲撃成功賞 参加者銀貨一枚追加
そこへ、もう一つ。
市庭開設祝い
今夜は豆鍋一杯追加
兵たちがどっと湧いた。
「補給主任!」
「何です」
「豆増えるんですか!?」
「増えます」
「好きです!」
「知っています」
いい。
強さだけじゃない。
鍋と銀貨がつくと、
人は露骨に元気になる。
夕方には、第八市庭が完全に別の顔になった。
灯りが下がる。
布が風を受ける。
鍛冶火床が赤くなる。
乾燥棚の横で、マルタが豆煉餅を小皿で売り始める。
油売りは灯芯を並べ、
紙売りは価格札をちゃんと出し、
布売りは「夜の市用」と言って少し良い端切れを前へ出した。
兵たちが銀貨を持って歩く。
糸を買う。
塩を買う。
封筒を買う。
櫛を買う。
髭剃り用の小刃まで売れ始める。
ガレスが、髭剃り刃を手にした若い槍兵を見て笑った。
「お前、本気でモテる気だな」
「だ、だって、市庭に女の人いるんで」
「戦う前からそこか」
「生きてるうちにやれること、やったほうがいいかなって」
「それは正しい」
俺が言う。
「臭い兵より、ちゃんと洗ってる兵のほうが選ばれます」
「補給主任まで言うんですか!?」
「かなり大事です」
「ですよね!」
周囲がまた笑った。
いい。
勝ちたい。
得したい。
モテたい。
尊敬されたい。
全部、否定しないほうが強い。
その横で、俺は工事手当と襲撃成功賞を配っていく。
ベリクへ銀貨二枚。
ロドへ銀貨二枚。
マルタへ前金分とは別に、試作品納品で銀貨一枚。
ノイルたち夜番へ銀貨一枚。
子どもの水桶運びには銅貨二枚ずつ。
手当が配られるたび、顔が変わる。
避難民だった顔が、
働く顔になる。
兵の顔が、
守る顔になる。
商人の顔が、
ここへ居つく顔になる。
強い。
こういうのは本当に強い。
市庭の中央では、ミレイユの両替机が大繁盛していた。
「送金、こっち! 封蝋あり、控えあり! 夜便は手数料銅貨一枚増し!」
ノイルが、ようやく手紙を書き終えて持ってくる。
「補給主任」
「何です」
「最初の一行、"まだ死んでません"にしました」
「かなりいいです」
「次の行で銀貨二枚入れたって書きました」
「最高ですね」
「俺もそう思います!」
若い兵は、本当に嬉しそうだった。
セレナはその様子を、少し離れたところから見ていた。
槍を持ち、夜番の配置を確認しながらも、
市庭の灯りを何度も見ている。
「副司令」
俺が声をかける。
「何だ」
「どうです」
「嫌いじゃない」
「半分ですか」
「かなりだ」
彼女は少しだけ笑って、市庭門へ視線を向けた。
「敵の盾車で作った門の内側で、兵が櫛を買ってる。変な景色だ」
「好きでしょう」
「否定しない」
夜が深くなる。
第八市庭の最初の夜市は、予想以上にうまくいった。
鍋の売れ行き。
紙の売れ行き。
油の回転。
糸と針の追加注文。
マルタの豆煉餅は最初の五十が売り切れた。
ベリクは鍛冶場で、その売上の一部をすぐ鉄へ変えると言い出した。
税箱は重い。
かなり重い。
主室へ戻って数えると、
昼から夜までの市庭売上関連だけで、
銀貨三十五枚、銅貨二百十六。
工兵長の手当袋から回した襲撃成功賞を払っても、
まだかなり残る。
「これで何買います」
ミレイユが、帳簿箱を抱えたまま主室へ入ってくる。
「次は常設の浴場札ですか? それとも市庭専用倉庫?」
「浅井戸が先です」
「生活ですね」
「かなり」
「好きですよ、そういう順番」
セレナも遅れて入る。
「夜番は回った。第二柵も静かだ」
「良かった」
「お前は?」
「税箱が重いので、かなり良いです」
「そういう顔をしてる」
悪くない。
かなり悪くない。
第八市庭。
市庭門。
市庭印。
夜市札。
手当袋。
櫛を買う兵。
鍋を売る避難民。
仕事を得た職人。
寄ってきた幸福を、
ちゃんと形にできている。
その時だった。
主室の外から、見張り台の声が裂ける。
「西の尾根! 灯り多数!」
三人同時に顔を上げる。
次いで、二度目の声。
「狼旗! 狼旗、六! さらに後続あり!」
空気が、一気に冷えた。
セレナが槍を取る。
俺も立つ。
ミレイユは帳簿箱を抱えたまま、顔だけが引き締まった。
壁の上へ駆け上がる。
西の夜の向こう。
尾根筋に、灯りが長く連なっていた。
一つや二つじゃない。
十。
二十。
その先も、まだ続く。
風に乗って、黒い旗が見えた。
狼の印。
先頭だけじゃない。
後続にもある。
工兵火。
荷車。
私兵。
王都弩兵らしい長箱まで混じる。
レイス本隊だ。
しかも、思っていたより早い。
ノイルが壁の上で、思わず息を呑んだ。
「補給主任……」
「ええ」
「めっちゃ来てます」
「見ればわかります」
西の闇の向こうで、灯りの列がゆっくり止まる。
まだ攻めては来ない。
だが、見ている。
第八市庭の灯りを。
新しい門を。
人の気配を。
鍋の湯気を。
全部を。
セレナが低く言った。
「……来たな」
「ええ」
俺は市庭門の上にかかった新しい看板を振り返った。
第八市庭。
今夜、初めて灯りをつけたばかりの場所だ。
だからこそ、壊しに来る。
だったら――
「副司令」
「何だ」
「ちょうどいいです」
「何が」
「市庭の最初の夜に、一番大きい客が来た」
セレナが呆れたように笑う。
「嫌な男だな」
「知っています」
西の尾根に、狼旗が六つ、並んでいた。
第八市庭の夜は、
その灯りを消す気満々の本隊を相手に、
ここから本番に入る。
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