追放された補給係、辺境砦で食料も武器も城壁も一晩で作る 〜捨て砦を最強の市塞にしたら、俺を捨てた王都軍はもう補給が回らない〜

ジュテーム小村

第一章 北辺第八砦編 ――落城寸前の砦を、最強の前線拠点に変える

第1話 追放先の捨て砦、三日で落ちるはずだった

 補給が切れた軍隊は、三日で軍じゃなくなる。


 一日目は文句が出る。

 二日目は殴り合いになる。

 三日目には、誰かが倉庫を破って逃げる。


 だから補給官の仕事は、英雄より感謝されないくせに、失敗だけは絶対に許されない。


 そして今、その“失敗”の責任を、俺が押しつけられようとしていた。


「――以上だ。補給官カイル・ルーヴェン。お前を補給失敗の責任者として、更迭する」


 王都第三遠征団本部。


 冷えた会議室の中央で、俺は黙って帳簿を閉じた。


 数字は合っている。

 現物だけが消えている。


 小麦十七袋。塩肉二樽。矢束二百。治癒薬五十本。

 消えた先も知っていた。団長の取り巻きが使う私兵用の荷馬車と、王都郊外の別邸だ。


 だが、証拠として残るはずの封蝋印は、すでに改竄されている。


 会議卓の端に座る女――会計官リディアは、俺と目を合わせなかった。


 元婚約者だ。


 まあ、そういうことだ。


「異議申立ては」


 一応だけ聞く。


 すると団長レイス・ヴァルドは、肥えた指で机を叩き、鼻で笑った。


「あると思うのか? 倉庫番上がりの補給官ごときが」


 会議室に、乾いた笑いが広がる。


「お前の祝福は《野戦工房》だったな。荷物の整理と簡単な修繕しかできん外れ祝福だ。軍が温情で置いてやったのに、礼も言えんとは」


 外れ祝福。


 そう言われるたびに思う。


 倉庫で袋を縛らせて、車輪を直させて、破れた天幕を繕わせておいて、何を見た気になっているんだ、と。


《野戦工房》は、無から何かを作る祝福じゃない。

 だが、材料さえあれば、食料も武器も防壁も、その場で最適な形に組み替えられる。


 戦場では、かなり当たりだ。


 だからこそ、上は俺を倉庫に押し込めた。

 現場に出せば、何がどれだけ消えているか、一目でわかってしまうからだ。


「処分は北辺第八砦への転属だ」


 レイスが羊皮紙を放る。


「落城寸前の捨て砦だが、お前にはお似合いだろう。せいぜい石でも積んでろ」


 拾い上げた辞令には、王国北方防衛線・第八砦補給主任とあった。


 左遷、というより追放だ。


 冬の北辺。落城寸前。補給線は細い。

 そこで死ね、という意味でしかない。


 それでも俺は、薄く息を吐くだけで済ませた。


「辞令、拝受します」


「殊勝なものだな」


「未払い給金の手続きだけは、今日中にお願いします」


 会議室が少しだけ静かになった。


 レイスが眉をひそめる。


「まだ金の話か」


「生活の話です。母と妹の薬代がかかる」


 俺がそう言うと、リディアの肩がぴくりと揺れた。


 昔、何度も話した。妹は冬に咳をこじらせる。薬が切れると危ない、と。


 レイスはつまらなそうに手を振った。


「好きにしろ。北辺で野垂れ死ねば、来月分は浮く」


 会議は終わった。


 最後まで、誰一人として俺を見なかった。


 都合よく罪を着せる相手としては見ても、人間としては見ていない。


 王都ではそういう顔を、腐るほど見てきた。


 会議室を出ると、回廊の窓から灰色の空が見えた。

 春が近いはずなのに、妙に冷える。


 背後から足音がする。


 振り返らなくてもわかった。


「……カイル」


 リディアだ。


「ごめんなさい」


 謝るなら最初から印を売るな、と思ったが、口には出さない。


 時間の無駄だ。


「未払い分の手続き、止めるなよ」


 俺が言うと、彼女は息を呑んだ。


「そんなことを言うために、立ち止まったんじゃないわ」


「俺はそのために立ち止まった」


 顔を向けると、彼女は少しだけ唇を噛んだ。


 昔はその顔を見ると、何でも許せる気がした。

 今は、帳簿の染みを見るのと変わらない。


「レイス様につけば、家が助かるの」

「そうか」


「あなただってわかるでしょう。綺麗ごとじゃ生きられない」


「わかるよ」


 俺はうなずいた。


「だから、未払いを止めるなって言ってる」


 彼女は何も言えなくなった。


 そこで話は終わりだ。


 俺は礼儀として一礼だけして、その場を去った。


 恨みはある。


 だが、先にやることがある。


 生き残ることだ。


 そして、生き残ったあとで、きっちり回収する。


 金も。

 評価も。

 借りも。


 四日後。


 北辺第八砦は、想像していたより、ずっとひどかった。


 城壁はところどころ崩れ、見張り台は片方が傾いている。

 門扉には無理やり継ぎ当てた板が打ちつけられ、その板すら半分割れていた。


 砦の周囲には雪がまだ残っていたが、白さより先に見えたのは、薄い血の色だ。


 最近まで戦っていたらしい。


 荷馬車から降りた瞬間、冷たい風が外套の隙間を刺した。


 出迎えたのは、銀色の短髪を後ろで結んだ女騎士だった。槍を持ち、外套の下から覗く鎧には何本も傷が走っている。


「北辺第八砦副司令、セレナ・アルヴェインだ」


 声は低く、疲れている。


「王都はついに帳簿係しか寄越さなくなったのか」


 挨拶代わりの一言としては、だいぶ刺さる。


「補給主任のカイル・ルーヴェンです。帳簿係で悪ければ、食える帳簿でも書きますよ」


 言うと、彼女は一瞬だけ目を細めた。


 笑ったわけではない。

 値踏みされたのだ。


「冗談を言う元気はあるらしいな。いいことだ。ここでは腹が減ると、冗談も言えなくなる」


 案内された倉庫は、ほとんど空だった。


 乾いた小麦は残りわずか。しかも半分は湿気ている。

 塩漬け肉は黒ずみ、酒樽は底が見えていた。

 矢は足りない。槍は折れている。包帯も薬も足りない。


 兵の数は八十六。うち、負傷者が二十七。


 壁の補修材もない。


「三日以内に、赤牙族の先遣が来る」


 セレナは倉庫の柱にもたれたまま言った。


「下手をすれば明日だ。王都には三度、補給要請を出した。返ってきたのは、あんた一人だ」


 なるほど。捨てられている。


 俺だけじゃない。

 この砦ごとだ。


 兵たちの視線が痛い。


『なんで文官なんだ』

『飯は増えるのか』

『死ぬのか、俺たち』


 そういう目だ。


 嫌いじゃない。


 腹が減って、追い詰められて、それでも生きたい目は、王都の会議室にいた連中よりずっとましだ。


「確認したい」


 俺は倉庫の中を見回した。


「砦の中にある、壊れた荷車、折れた槍、崩れた石材、使えない鉄くず、魔物の死体。全部、処分せず残してますね」


 セレナが怪訝そうに眉を寄せる。


「ああ。捨てる余力もない」


「いい」


 俺はうなずいた。


「十分です」


「……何がだ?」


 俺は答えず、倉庫の床に手をついた。


 冷たい石の感触と一緒に、祝福が目を覚ます。


 視界の端に、淡い光の文字が浮かんだ。


《野戦工房》起動

 資材を認識します


 石材 六百十二

 木材 百八十四

 鉄材 八十七

 小麦(湿潤) 二十三

 塩 二

 魔狼肉 四十一

 革材 十五

 魔石(微小) 七


 構築可能

 ――兵糧鍋

 ――矢束

 ――簡易胸壁

 ――携帯盾

 ――止血布

 ――杭罠

 ――投槍器(簡易)


 口元が、勝手に緩んだ。


 王都の倉庫より、よほどいい。


 ここには材料がある。

 しかも、使って文句を言う貴族がいない。


「副司令」


 俺は立ち上がった。


「兵を二十人、貸してください。力仕事ができるやつ。あと、大鍋を全部。火を起こせる者。見張りを増やして、一時間ごとに周囲を確認」


「何をする気だ」


「砦を立て直します」


 兵たちの間に、ざわめきが走る。


 誰かが笑った。

 無理もない。


 この有様を見て、そう言い切るやつは頭がおかしい。


 だがセレナだけは笑わなかった。


「一晩でか?」


「一晩で最低限。朝までに、食わせて、撃てて、隠れられるようにする」


「……できるのか」


「できます」


 俺は即答した。


 ここで迷うと、全員の心が折れる。


 セレナは数秒だけ俺を見つめ、それから振り返った。


「聞いたな! 全員動け! 倉庫裏の鉄くず、壊れた荷車、折れた槍、崩れた石材を集めろ! 鍋を出せ! 火を焚け! 口より手を動かせ!」


 副司令の怒号で、砦がようやく息を吹き返した。


 兵たちが走る。

 木材が積まれる。

 鉄くずが鳴る。

 鍋に水が張られ、火が入る。


 俺はその中央に立った。


「始める」


 まずは食料だ。


 湿った小麦。黒ずんだ塩肉。倉庫の隅に積まれていた魔狼の肉。

 本来なら捨てるしかない材料を、祝福の中で分解し、組み替える。


 形を失ったものが、最適な形へ戻る。


 鍋の上に淡い光が走った。


 次の瞬間。


 ふわり、と湯気の匂いが立ち上った。


 塩と肉の香り。

 空腹の胃を、暴力みたいに殴る匂いだ。


「なっ……」


 鍋の中では、ただの残飯だったはずの材料が、とろみのある熱い粥に変わっていた。肉も、食えるどころか、ちゃんと旨そうだ。


 兵の一人が、ごくりと喉を鳴らす。


 俺は木杓子で混ぜながら言った。


「腹が減ったまま死ぬのは禁止だ。先に食え」


「ほ、本当に食っていいのか……?」


「毒見なら俺が先にやる」


 ひと口すくって飲み込む。


 熱い。塩気は少し強い。だが十分だ。

 十分どころか、この状況ならごちそうだ。


「大丈夫だ。列を作れ」


 その瞬間、兵たちの目の色が変わった。


 さっきまで死んだ魚みたいだった顔が、湯気の前で人間に戻る。


 いい顔だ。


 次は矢だ。


 折れた槍の穂先。曲がった釘。壊れた荷車の金具。

 鉄を集め、木材を削り、束ね、組む。


《野戦工房》は鍛冶場ほど繊細じゃない。

 だが戦場で使う量産品なら、十分すぎる。


 光が走るたび、床に新しい矢束が積み上がった。


 一本、二本じゃない。十。二十。五十。


「嘘だろ……」


 見張りの兵が呆然と呟く。


「矢が……増えてる……」


「増やしてるんだよ」


 俺は短く答える。


「しゃべる暇があるなら、矢筒に詰めろ」


 兵たちが我に返り、走る。


 誰ももう、帳簿係とは言わなかった。


 石材も同じだ。


 崩れた胸壁の瓦礫を、使える形に組み替える。

 欠けた石は噛み合わせを整え、石灰代わりの結着材をまとめ、崩れていた壁の低い部分に新しい胸壁をせり上げる。


 まるで土が息をしているみたいに、砦が少しずつ形を取り戻していく。


 セレナが、ようやく息を吐いた。


「……王都は、こんな男を倉庫に閉じ込めていたのか」


「閉じ込めていたというか、見ないふりをしていたんでしょうね」


「どうして」


「俺がいると、消えた物資の量がよくわかるからですよ」


 セレナは何も言わなかった。


 だが、その横顔の温度が少しだけ変わったのはわかった。


 信頼まではいかない。

 だが、価値は認めた。


 それで十分だ。


 二時間後。


 兵たちは腹を満たし、矢筒は埋まり、崩れていた北壁には新しい胸壁が並んでいた。門前には杭罠。通路には携帯盾。止血布もまとめて置いた。


 あと少しで、夜明けまで持たせる最低限が揃う。


 そのとき、見張り台から鐘が鳴った。


 一回。

 二回。

 短く、鋭く。


 敵襲だ。


「報告!」


 セレナが叫ぶ。


 見張りの若い兵が、半ば滑るように階段を駆け下りてきた。


「魔狼です! 西の林から六、いや八! 匂いに引かれたかと!」


 兵たちの顔がまた強張る。


 この砦の今までなら、夜襲の魔狼だけで半壊していただろう。


 だが、今は違う。


「副司令」


 俺は新しく組んだ携帯盾を持ち上げた。


「正門前に三枚。槍兵はその後ろ。弓兵は胸壁から。近づく前に二射、杭を越えたやつだけ槍で止める」


「お前は?」


「俺も前に出ます」


 セレナが目を見開く。


「補給官だろうが」


「補給官です。だから、ここで欠けた穴は俺が埋める」


 言って、俺は門前へ走った。


 夜の冷気を裂くように、獣の唸り声が近づく。


 黒い影が雪を蹴り、林から飛び出した。

 魔狼。腹をすかせた目だ。人の匂いと鍋の匂いに釣られてきた。


 一匹目が杭罠に踏み込み、悲鳴を上げる。

 二匹目、三匹目。胸壁の上から矢が飛び、喉と目に刺さる。


 だが、群れの先頭にいた大きな一匹だけは止まらなかった。


 灰色じゃない。黒い。


 群れ長だ。


 杭を飛び越え、盾ごと前列を吹き飛ばそうと突っ込んでくる。


「来るぞ!」


 誰かが叫ぶ。


 俺は地面に手をついた。


《野戦工房》――簡易投槍器、構築。


 足元の壊れた車軸と鉄くずが組み上がり、膝丈の発射架台が生まれる。そこへ即席の短槍を差し込む。


 群れ長が跳んだ。


 その瞬間、俺は引き金代わりの縄を引いた。


 鈍い音と共に、短槍が一直線に飛ぶ。


 黒い魔狼の胸を貫いた。


 勢いを殺しきれなかった巨体が、門前の石畳を滑り、俺の足元で止まる。熱い血が飛んだ。


 一瞬、静寂。


 それから、砦の上で誰かが叫んだ。


「やった!」


 続けて歓声が上がる。


 残った魔狼は怯んだところを矢で射抜かれ、槍で仕留められた。


 戦いは、あっけなく終わった。


 前線に立っていた兵が、信じられないものを見る顔で俺を見る。


 門の上から降りてきたセレナも、しばらく何も言わなかった。


 やがて彼女は、黒い魔狼の死体と、即席の投槍器と、俺の顔を順に見て、小さく笑った。


 初めてだった。


「訂正する、カイル補給主任」


「何をです」


「帳簿係しか来なかった、という認識をだ。王都は、ようやく一人だけまともな人材を寄越したらしい」


 それはたぶん、この砦で聞ける最大級の賛辞だった。


 悪くない。


 そのとき、また見張り台から声が飛ぶ。


 今度は、さっきとは違う。


 怯えと焦りが混じった声だ。


「灯り! 西に灯り多数! 赤牙族です! 本隊、来ます!」


 歓声が、一瞬で消えた。


 兵たちが夜の外へ目を向ける。


 闇の向こう。林の切れ目のさらに先。

 確かに、小さな火がいくつも揺れていた。


 一つや二つじゃない。


 列になっている。


 セレナが低く呟く。


「最悪だ……予定より半日早い」


「いえ」


 俺は黒い魔狼の死体を見下ろした。


 新しい材料が増えている。

 魔石も、骨も、革も取れる。


 壁の補強はまだできる。

 矢も増やせる。

 投槍器も、もう三台は作れる。


 そして何より、兵の腹は満ちた。

 今の勝ちを見たせいで、目も死んでいない。


 最悪どころか、間に合う。


「ちょうどいいです」


「……何がだ」


 セレナが聞く。


 俺は西の灯りを見ながら、静かに答えた。


「次の材料が、自分から来てくれる」


 風が吹いた。


 北辺の砦は、まだ寒い。


 だが、俺の指先には、もう勝ち筋の熱があった。


 今夜のうちに壁を二重にする。

 矢を三百束。兵糧を三日分。投槍器を増設。門前に罠を追加。


 俺を捨てた王都軍は、まだ知らない。


 落城寸前の第八砦が、今夜から王国でいちばん厄介な前線拠点に変わることを。


 そして、そこにいる補給係が――

 ただ荷物を数えるだけの男じゃないことを。

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