第10話 図らずも出くわしてしまった。

 今日は久しぶりのルナリアへの出勤だった。


 実際は久しぶりなんて言うほどにはそんなに経っていないのだが、ここ数日間の出来事があまりにも濃かったせいか、制服に袖を通す感覚が少しだけ馴染まない。

 ほんの数日空いただけなのに、身体の動きが鈍い。


「……」


 頭の中には、午前中の会話が残っている。


『距離が分からない』

『私、こういうの初めてなんだよ』


 どう返せばよかったのか。今でもよく分からない。


「陽斗〜」


 後ろから、気の抜けた声。


「はいはい」

「何その顔」


 振り返ると、悩み顔の俺の表情とは対照的にうきうきした様子のひよりがトレーを持ったまま立っていた。


 そう、今日は彼女のルナリア初出勤日。

 緊張してるはずなのに、態度はいつも通りだ。


「なんかお客さんとして来るのと、店員として立つのじゃ気分が違うね」

「まあ、確かにそれは分かる」

「そうだよね、でも陽斗が一緒でよかった」


 にっと笑う。


「初日で知ってる人いるの、結構心強いからさ」

「ミサ先もいるだろ」

「それはそれ、これはこれ」


 言い切るあたりが、ひよりらしい。


「……ていうか」

「?」


 一歩距離を詰めてくる。


「陽斗さ」

「今、めっちゃ悩んでる顔してない?」

「え……俺ってそんな分かりやすい?」

「分かりやすい。びっくりするくらい」


 くすくす笑うが、目はしっかり俺を見ている。


「失恋?」

「違う!」

「即否定は怪しいって」


 からかう口調だけど、探る気配も混じっている。


「じゃあ、片想い?」

「……」

「はい、沈黙」


 楽しそうだ。


「まあいいや」

「でもさ」


 トレーを拭きながら続ける。


「人のことで悩んでるよね」

「……まあな」

「ほら」


 どうしてこんなに俺は分かりやすいのだろうか?


「大学の人?」

「うん」

「同い年?」

「多分な」

「だよね〜」


 その返事が、やけにあっさりしていた。


「……なんで分かるんだよ」

「分かるでしょ」


 肩をすくめて。


「だってさそういう顔するのだいたい、同じタイプの人のときなんだもん」


 そこで一瞬、言葉を選ぶ。


「あの子結構、真面目そうじゃん」


 名指しはしない。

 でも、はっきり伝わる。


「距離とかさ、ちゃんと考えてそう」


 胸が、少しだけ詰まる。


「だから悩んでるんでしょ?」

「……」

「図星か〜」


 満足そうに頷く。


「いやこれさ初日に言うのも何だけど」


 声を落としつつも、軽い。


「今、下手に動くと相手、余計混乱するやつだよね」


 完全に見透かされている。


「私はさ、混乱する前に踏み込むタイプだけどそれが正解とは思ってないし」


 その言葉は、意外と真面目だった。


「……ひよりは」

「ん?」

「怖くないのか、そういうの」


 少し考えて。


「怖いよ……そりゃあ関係壊すかもしれないし、嫌な思いさせちゃうかもしれない。そうやって考えることもある。でも」


 制服の袖を軽く引きながら言う。


「何もしないで後悔する方がもっと嫌じゃない?」

「……優柔不断だな俺」

「うん、知ってる」


 即答。


「でもさ」

「その優柔不断さがあの人を困らせてもいるってのはちょっと自覚した方がいいかもね」


 まっすぐな言葉だった。


「ほら、次のオーダー」

「あ、はい」


 逃げるようにカウンターへ戻る。


 その背中を見ながら、ひよりは小さく呟く。


「……やっぱ分かりやすいじゃんほんとに……てかなんで私が敵に塩を送んなきゃいけないのさ」


 



 オーダーの波が一段落して、店内が少し静かになったのもあり、俺は一息つく。


 ひよりの教育係を行いつつ店内業務も行う忙しさもあったせいか、自然と考えるタイミングがなかったが、先ほどまでと比べて気持ちは軽くなっている。

 彼女の言葉がストンと落ちたからだろうか……。

 

 何はともあれ、これなら今日は乗り切れそうだ。


「……よし」


 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、背後から声が飛んできた。


「復活した?」

「……見てたのかよ」

「バッチリ」


 ひよりがにっと笑う。

 トレーを持ったまま、いつの間にか隣に来ていた。その姿が初日とは思えないくらいに様になっている。


「なんかさ」

「さっきより顔、マシになった」

「そうか?」


「うん」

「悩んでる顔から、考えてる顔に変わった」


 よく見てるな、と思う。そして、少しだけ苦笑する。


「……ひよりのおかげ、かもな」

「え」


 一瞬だけ目を見開いて、それからすぐにご機嫌そうな表情になる。


「なにそれ急に素直じゃん」


 ひよりは、わざとらしく胸の前で腕を組んだ。


「じゃあさご褒美、もらっていい?」

「は?」

「冗談冗談」


 そう言いながらも、距離は縮まる。


「でもね陽斗がちゃんと考えようとしてるの嫌いじゃないよ」


 言い切る声は軽いのに、どこか本気の空気のようなものが混ざっている。


「それに」


 一拍置いて、続ける。


「考えた結果私の方が選ばれちゃう可能性も、あるわけでしょ?」


 意味ありげに笑う。

 普段の溌溂とした表情ではなくどこか大人っぽさを感じるようなその表情に思わずドキッとしてしまう。心臓によくない。


「……ひより」

「なに?」

「そういう言い方、ずるくないか」

「え〜?」


 首を傾げて、


「私は割と正直なだけだけど~? 好きって思う人の前で、嘘つけないタイプだし」


 ドキッとして、視線を逸らす。


「……からかってるだろ」

「半分はね」


 残り半分を言わないところが、余計に厄介だ。


「でも、ちゃんと向き合おうとしてる陽斗は……ちょっと魅力的だと思うよ」


 そんな言葉を向けられて、返す余裕はなかった。


 その時。カラン、とドアベルが鳴った。

 反射的に入口を見る。


 ——ルナだった。


 いつもより少しだけ背筋を伸ばして、午前中のころとは違って落ち着いた顔をしている。

 きっと、来るまでに何度も考えたのだろう。


 でも。


 タイミングが悪いことに彼女の視線が、真っ先に捉えたのは、俺と、ひよりが並んでいる光景だった。


「……」


 一瞬だけ、動きが止まる。


「……いらっしゃいませ」


 声に出した瞬間、自分でも分かるくらい硬かった。

 ルナは、ほんの一拍遅れて口を開く。


「……こんばんは」


 落ち着いた声。でも、視線はひよりから離れない。

 ひよりも、ルナに気づいた。


「え」

「あー……こんばんは」


 初めて見る、少しだけ警戒した笑顔。


「……こんばんは」


 ルナは軽く頭を下げて、それから、ひよりを見る。


「……初めてみますね。前から働いてましたっけ?」

「ううん、今日が初出勤」


 ひよりはそう言って、俺を見る。


「陽斗に、色々教えてもらってるところ」


 悪気がないのは分かる。

でも、その言い方が余計だった。


「……そうですか」


 ルナの声が、少しだけ低くなる。

「……席、いいですか」


 ようやく、それだけを口にした。


「はい、どうぞ」


 答えたのは、ひよりだった。


「奥、空いてますよ」


「……ありがとうございます」


 小さく頭を下げて、ルナは少し離れたテーブルを選んだ。

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