第8話「価値の場所」
黒崎に連れてこられたのは、駅裏の雑居ビルだった。
看板のない、金属の扉。普通なら、目にも留めずに通り過ぎる。黒崎が端末をかざすと、鈍い音がしてロックが外れた。
「ここだ」
地下へ続く階段を降りるほど、空気が変わっていった。ざわめき。人の気配。けれど、どこか温度が低い。
最後の段を降りた瞬間、視界が開けた。
広い。地下とは思えないほど、広い。
テーブルが延々と並び、その上に、色とりどりの結晶が置かれていた。人。人。人。値踏みする視線と、交渉の声と、笑い声。
「……この前、街角で見たのと違うな」
「あれは出店だ。ここが本店」
黒崎は歩きながら言った。
「表の市場。これでも行儀のいいほうだぜ。もっと奥に、裏がある」
行儀のいいほう。
その言葉の意味を確かめるように、俺は並んだテーブルを見ていった。
C《晩酌の灯》。B《推しの声》。C《午前三時の通販》。B《母の期待》。
一つ一つに、値札がついていた。
足が、あるテーブルの前で止まった。
透明な、静かな光の結晶。
B《沈黙の頁》。
――読書依存。
俺が三日かけて、あの人の根っこが自分で開くのを待って、ようやく受け取ったのと、同じ種類の結晶が。
値札をつけて、無造作に、置かれていた。
「……売ってるのか。これを」
「だからそう言ってんだろ」
黒崎は、興味なさそうに答えた。
「資源だ、それ」
「資源……」
テーブルの店主が、俺の視線に気づいて、営業用の笑顔を作った。
「お、兄さん、お目が高いね。読書系は堅実だよ。派手さはないけど思考補助は需要が安定してる。――今なら状態のいい『思い出』も入ってるよ」
「……思い出?」
「そ。眠った奴から採れた記憶依存。これがまた売れるんだ」
店主は、奥の小箱から淡い桜色の結晶を出して、指先で転がした。
「眠った奴の家族がさ、一番高く買うんだよ。『依存アイテム』って言うと嫌がるけどね、『思い出』って名前つけると、倍で売れる。中身は同じなのにな」
店主は笑った。
冗談のつもりらしかった。
周りの誰も、その言葉に振り向きもしなかった。ここでは、それは冗談ですらない。ただの、商売の知恵だった。
「行くぞ、無臭」
黒崎が、俺の肩を押した。
◆
人混みの中心に、ひときわ大きなざわめきがあった。
「あ」
声のほうが先に、こっちを見つけた。
「例外くん、こんなとこで会うんだ」
白石美月だった。今日は自撮り棒を持っていない。代わりに、テーブルを挟んで数人のプレイヤーと何かを交渉していた。手元には結晶ではなく、端末が一つ。
「……何を売ってるんだ」
「情報。どこの誰が、何ランクを持ってて、どのくらい防御が固いか。――アイテムより、こっちのほうが利幅いいんだよね」
白石はにっこり笑った。
「相変わらずうるせぇ商売してんな、お前」
黒崎が口を挟んだ。
白石がゆっくり振り返る。
「あれ、直人じゃん。まだ手動で稼いでるの?」
「お前みてぇに人の弱みを右から左に流す趣味がねぇんだよ」
「えー? 需要と供給だよ。私が売らなくても、誰かが売るし」
「その言い草が気に食わねぇって言ってんだ」
「はいはい」
軽く受け流して、白石は俺を見た。
「……で? 例外くんは、なんでここに」
「Sアイテムの、場所を探してる」
「へえ」
白石の目が、すっと細くなった。営業の目だ。
「その情報、高いよ?」
「教えてやる必要ねぇよ。連れてくのは俺だ」
黒崎が言った。
白石が、わずかに眉を上げた。
「……直人が、案内?」
二人の間に、一瞬、妙な間が流れた。
そのとき、近くのテーブルから声が聞こえた。
「――なあ、そっちの入荷見たか? ファーム産だってよ」
「マジ? やっぱ安定供給は違うな。天然モノは当たり外れが激しくてよ」
「A確定らしいぜ。癒着直前で止めてあるんだと。いい仕事するわ」
癒着直前で、止めてある。
その言葉が、頭の中で、昨日の路地に繋がった。黒い画面に微笑み続けていた人。もう引き抜けない根っこ。Sは、癒着の寸前からしか生まれない――
「……ファームって、何だ」
俺は黒崎を見た。
黒崎は、ほんの少しだけ、視線を逸らした。
初めて見る仕草だった。
一拍、間があってから。
「……行くか」
短く、言った。
「それがお前の探してる、『悩まなくて済む方法』の正体だ」
白石が、俺と黒崎を交互に見た。
「……何の話?」
黒崎は答えずに、市場の奥へ歩き出した。
光の届かない、さらに深い場所へ。
俺は、その背中を追った。
――依存は、救うものだと思っていた。
このときまでは、まだ。
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