第5話:惣菜パックのプラスチック容器と、情緒的コストの相関
多論家の子供部屋。時刻は夕食時。
机の上には、近所のスーパーで半額シールが貼られていた「鶏の唐揚げ(5個入り)」が、透明なプラスチックパックのまま鎮座している。
空気清浄機の「ニオイセンサー」が、わずかに反応して回転数を上げた。
「……いいよね、これ」
兄の承(すすむ)が、パックの蓋をパカッと小気味よい音を立てて開け、そのまま割り箸を差し込む。
「この、製造ラインから家庭の胃袋まで最短距離で繋がるダイレクト感。余計な装飾を排し、機能美だけを追求したプラスチックの箱。皿に移し替えるという『虚礼』を省いたこの潔さを、俺は現代の合理的選択として全肯定したい」
「……いや、意味ないだろ」
弟の否(いなむ)は、自分の分の唐揚げを、あえて真っ白な陶器の小皿に一つずつ丁寧に盛り付けながら、冷徹に言い放った。
「兄さんは、単に『洗浄』というサンクコストを恐れている臆病者に過ぎない。統計によれば、食事の満足度は視覚情報が8割を占める。プラスチックの反射光と、半額シールの粘着剤が視界に入る状態で、まともな味覚評価ができるはずがない。効率が悪すぎる」
「分かってないな、否。視覚情報なら、俺の脳内で既に『高級料亭の器』にレンダリング済みだ」
承が唐揚げを一つ口に放り込み、咀嚼しながらスマホを AirDrop で飛ばす。画面には、AR(拡張現実)でパックの上に豪華な絵皿が重畳された合成写真が映し出されていた。
「デジタルで補完すれば、皿を洗う水道代も、洗剤による環境負荷も、君が皿を運ぶ際に発生する転倒リスクもすべてゼロだ。この『精神的な皿洗い』こそが、ニートに許された最高知性の食事形態だと思わないか?」
「……ただの脳内のバグを、テクノロジーで正当化しているだけだな」
否はタブレットを操作し、「陶器とプラスチックにおける熱伝導率と油分の凝固速度」の比較データを提示した。
「見てみろ。プラスチック容器は熱を逃がしやすく、かつ油分が容器表面に残留しやすい。そのまま食べれば、兄さんの舌は『プラスチックに付着した冷えた脂』を不必要に感知することになる。一方、温めた陶器は余熱を保持し、素材のポテンシャルを最大化する。10秒の盛り付け作業で得られる味覚の複利を計算すれば、兄さんのやり方は圧倒的な損失だ」
「損失じゃない、自由だよ! 俺は皿という『概念』に縛られたくないんだ! 食べ終わったら蓋を閉じてゴミ箱へ。この潔い幕引きこそが、多論家のライフスタイルにふさわしいスマートな演出だろ!」
「……美学がないな。それはただの『野生』への退行だ」
否がさらに早口になり、画面上の「洗剤の界面活性剤による洗浄効率」の数式を激しくスクロールする。
承もスマホを突きつけ、「ミニマリストにおける所有物の削減効果」という怪しいブログ記事で応戦する。
「パックのままでいい!」
「皿を使えと言っているんだ!」
二人のデバイスがパックの真上で交差し、互いのバックライトが唐揚げを不自然に照らし出した、その時。
*ガチャリ*
部屋のドアが無慈悲に開いた。
「あんたたち、いつまで唐揚げで揉めてんの。ほら、お味噌汁。こぼさないように飲みなさいよ」
母親が、二人の机のわずかな隙間に、それぞれお揃いの「キャラクター物のプラスチック製お椀」を無造作に置いた。
「……あ、お母さん。これ、昨日の残りの味噌汁?」
「そうよ。文句あるなら自分で作りなさい」
母親が去った後、二人の視線は、議論の対象だった「唐揚げのパック」から、目の前の「絶妙にダサいプラスチックのお椀」へと移った。
「……否。これ、お皿に移し替える手間、省けたね」
「……いや、お椀というデバイスが供給された時点で、僕の盛り付け理論は一時的に保留される。……というか、母さんの洗い物が増えるだけだ。論理的に見て、僕たちが口を出す領域ではない」
二人は無言で、ダサいお椀を手に取った。
静まり返った部屋に、味噌汁を啜る音と、空気清浄機の規則正しい駆動音だけが混ざり合っていった。
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