第十五部 第4章:女王の威風、あるいは北の聖地への道

1. 覇道の対峙


ブリタニア王権国、イライザ・エンガード女王による『ブリタニア四国連合王権国憲章』の発布。


この歴史的一歩を境に、ブリタニアという大地を覆っていた停滞の霧は晴れ、時代は猛烈な勢いで変貌の渦へと叩き込まれた。


翌日にはウルステア国王ヴァーウィン・ガレシアが、その三日後にはガレシア国王フェリス・ウルステアが、それぞれ焦燥と期待を孕んだ面持ちでロンデニールを訪れた。女王との個別会談は、表向きは和やかであったが、水面下では新体制における自国の立ち位置を確保せんとする、言葉の刃が飛び交う真剣勝負であった。


そして、発布から十二日後。


スカイウェール国王マルカム・スカイウェールが、執政官ヘンリー・ヨーク子爵と共にようやくロンデニールに姿を現した。


「――納得がいかんな、イライザ女王」


会談の場、マルカム王は着席するなり、苦々しげに言葉を吐き捨てた。


「貴殿がその『憲章』なる美辞麗句を並べていたまさにその日、我が国グラス・ガレスでは戦火が上がっていたのだ。鉄理の規矩騎士団という名の野獣に、我が領土は踏みにじられた。我々が被った有形無形の損害、その賠償を正式に請求させてもらう」


マルカムの訴えは、一見すれば正当なものに聞こえた。エンガードの騎士団が暴走し、隣国を攻めた事実は動かない。彼は尊大に胸を張り、女王を睨み据える。


「騎士団を『国賊』と呼ぼうが、実際に攻めてきたのはエンガードの軍勢だ。救援も支援もなかった。それが女王の唱える『憲章の精神』とやらか?」


イライザ女王は、その追及を柳に風と受け流し、超然とした態度で唇を開いた。


「まず、グラス・ガレスの戦いで命を落とした方々に対し、深い哀悼の意を表します。ですがマルカム王、一つ正しておきましょう」


彼女の瞳に、冷徹な理知の光が宿る。


「私が騎士団の暴走を黙認したかのような言い草ですが、では、彼らを追ってエンガードの正規軍を貴国に送り込めば満足でしたか? それこそが武力による領土侵犯、宣戦布告の誹りを受ける行為です。ゆえに私は、軍ではなくヨーク子爵を『執政官』として派遣した。実情を説明し、和解の道を探るために」


「屁理屈を! 実際に被害が出たのだ! 厳然たる事実だ!」


「……被害を受けたのは、貴方ではありません」


イライザの声が、一段と低く鋭くなった。


「な、何だと?」


「被害を被ったのは、辺境の街グラス・ガレス。そして、その防衛戦において、貴方――エディン・バーグ中央政府は一兵も出さず、傍観を決め込んでいたと報告を受けています。兵を集めはしたが、貴方の統治能力の欠如ゆえに軍はまとまらず、結局間に合わなかった。……いえ、貴方は戦場に出るのを恐れ、配下の者たちを死地に追いやり、自分は安全な城に引き籠もっていた。違いますか?」


「ぬ、ぬぅ……ッ!」


図星を突かれたマルカムは、喉を鳴らして絶句した。


「賠償については、既に現地の功労者であるゼン・ムッサーシ男爵と直接協議を進めています。王である貴方に口を出される筋合いはありません。……それと、私はヨークとは別に『影の執政官』も派遣していました。彼らが騎士団を撃退する決定打となったことも、既にご存知のはずでは?」


沈黙が場を支配する。マルカム王は不快そうに視線を泳がせた後、降参とばかりに両手を上げた。


「完敗ですな。……フン、この話はここまでにしましょう。それで『憲章』についてですが、我が国にはもう少し『利権』を回していただきたい。北の過酷な環境を考えれば、当然の配慮でしょう?」


「……それは、スカイウェールという国家としての要望ですか? それとも、マルカム王、貴方個人の要望ですか?」


「あ、ああ、当然、国家としての要望に決まっているだろう」


「左様ですか。承知いたしました。では後日、スカイウェールの『民』の皆さんに直接何が必要かを確認し、優先順位をつけて逐次実現してまいります」


「……待て、何を言っている? 必要なものはこの私が答えると言っているのだ!」


「それは“貴方の希望”ですよね?」


イライザは冷ややかに微笑んだ。


「私は、スカイウェールの皆さんの声を聞くと言ったのです。なるべく公平で公正な方法を取らせていただきます。……王よ。権利を主張されるのであれば、それ相応の『義務』も生じる。お忘れなきよう」


マルカムの顔色が、屈辱で土色に変わる。


「マルカム王。利権とやらを何とお考えか知りませんが、我々は公僕です。民あっての為政者なのです。個人の私欲を差し挟む余地など、この連合には存在しません。……ご理解いただけましたか?」


女王は毅然と立ち上がった。


「詳細は、後日の四者合議にて。貴殿の要望エゴも、議題として上げさせていただきます。……失礼」


背筋を伸ばし、迷いのない足取りで去りゆく女王の背を、マルカム王は呆然と見送るしかなかった。


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2. 四阿あずまやの再会、頬の刻印


廊下の角で、枢密卿クロウリーが女王に寄り添うように近づいた。


「陛下、マルカム王の身辺、および本国の動向を今一度洗い直します。不穏な芽は早めに摘んでおくべきかと」


「お願いします。……それと、四者会議は二日後に。ペンドルトン内務卿に手配を」


「承知いたしました」


クロウリーが随員に目配せを送る。影のように控えていた手下たちが、音もなく夜の帳へと消えていく。


イライザが足早に廊下を進むと、曲がり角にヨーク子爵が立っていた。その表情には、どこか安堵と興奮が混じっている。


「陛下。彼らが……彼らが戻りました。中庭の四阿へ案内しております。グレヴィル軍務卿も既においでです」


「! 戻られたのですか! すぐに参ります!」


イライザの顔に、今日一番の輝きが灯った。格式ある歩みを忘れ、彼女は小走りに中庭へと向かう。


アルバ・ロンダ城の最奥、王室関係者しか立ち入らぬ静謐な中庭。その中央に佇む四阿には、グレヴィル軍務卿と、そして見紛うはずもない四人の姿があった。


ガーブ、シン、ハンス、そしてオットー。


「皆さん! ご無事で……本当になによりです!」


駆け込んだイライザは、荒事あらごとを潜り抜けてきた彼らの姿を認め、花が開くような笑顔を浮かべた。


「女王、今帰った」ガーブが眠そうに手を振る。


「久しぶりだね。元気そうだ」シンが不敵に笑う。


「……無事だ」ハンスが短く応え、オットーが恭しく礼をした。


イライザは居住まいを正し、一国の主としての顔を脱ぎ捨てて、心からの感謝を込めて深く一礼した。


「……本当に、ありがとうございました。皆さんの尽力がなければ、この『憲章』も夢のまた夢でした」


「よせよ、イライザ。国の頂点に立つ人間が、そう簡単に頭を下げるもんじゃない」


シンが困ったように眉を寄せ、苦言を呈する。


「それを貴方が言いますか? シン」


イライザはクスクスと笑い、ふと彼の顔を間近で見て、動きを止めた。


「シン、その頬の傷……」


彼の浅黒い肌に、真新しい一本の傷跡が刻まれていた。


「ああ、これか。別に戦場でしくじったわけじゃない」


シンは自嘲気味にその傷を指でなぞった。


「ダン・ネスで、ちょっとした『歓迎会』があってな。そこで少々、手痛い洗礼を受けただけだ」


「ダン・ネス……? インヴァ・ネスよりさらに北にある、ハイランダーの聖地。クリシュ・アランの深淵ですね?」


驚きを隠せないイライザは、身を乗り出すようにして問い詰める。


「一体、そこで何があったのですか? 教えてください。何が、貴方にそこまでの傷を負わせたのですか」


シンは一つ、深くため息をつき、空を見上げた。


「ああ……実は、ちょっとばかり困ったことになってな」


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3. 聖地への隠密行、チクチクする視線


話は、グラス・ガレスを離れたあの日まで遡る。


インヴァ・ネスにて、ハイランダー最強の部族『クリシュ・アラン』の長の一人、カハル・“テツザン”・マク・ネルと死闘を繰り広げた翌日のことだ。


俺たち四人と、テツザン、そしてサク・マク・ドウンらを含む七人の一行は、さらなる北を目指して歩み出した。


目的地は『ダン・ネス』。


インヴァ・ネスから北へ五十キロ。地図にも載らぬような峻険な山道を辿る、過酷な隠密行だ。道は切り立った崖の縁を走り、雲を突くような尾根を曲がりくねって続いている。


常人ならば一歩進むごとに命を削るような難路だが、俺たちも、そして獣のような体力を持つハイランダーたちも、二日間でその道を踏破した。


だが、ダン・ネスまであと数キロという地点で、肌を刺すような「異変」が起きた。


「……なんか、チクチクするー」


ガーブが、不快そうに首筋を擦りながら呟いた。


「気づいたか」テツザンがニヤリと口角を上げる。


「気づかない方がどうかしてるぜ」


俺は周囲の針葉樹林に視線を投げた。


「これだけ執念深い『殺気』の視線を、全方位から浴びせられりゃあな」


「ふむ、これほど近づくまで気づかぬとは、まだまだ未熟よ。儂が直々に鍛え直してやらねばならんの」


テツザンがわざとらしく溜息をつくが、ガーブは即座にそれを否定した。


「違う。そっちじゃない」


彼女は、前方の霧が漂う尾根の先を指差した。


「あそこ。……あそこからの気配、すっごく重い」


俺とハンスは顔を見合わせ、同様に不敵な笑みを浮かべた。


「なるほどな。テツザンさんと同じ『格』の気配が、あそこに二つ……いや、もっとか。潜んでやがる」


「ほう?」テツザンの目が面白そうに細まる。「あれが分かるか。大陸の傭兵も、伊達ではないというわけか」


監視の目が増えていることはうに察知していたが、集落の間近に控える者の気配は別格だった。クリシュ・アランを統べる三人の長、その残りの二人がそこにいる。


ガーブの顔を見れば、恐怖どころか「強者」との邂逅を予感して楽しげですらあった。彼女の歩みが、自然と速くなっていく。


やがて最後の険しい坂を登りきると、そこに『それ』は現れた。


ダン・ネス。


五十軒ほどの簡素な石造りの建物が、頑丈な木の柵で囲われただけの小さな村だ。


しかし、その空気は暴力的なまでの静謐に満ちていた。


村の中を進む俺たちに、老若男女、すべての村人の視線が突き刺さる。


一見すれば平和な村だが、その目はどれも鋭く、獲物を品定めする猟師のそれだ。サク・マク・ドウンら随員は途中で別れ、俺たちはテツザンの先導で村の奥へと向かう。


敵意、興味、あるいは値踏み。


刺さるような視線の中を、俺たちは広場を横切り、最も奥にある巨大な石造りの建物へと足を踏み入れた。


テツザンが重厚な扉を無造作に押し開ける。


中には、テツザンと同年代か、それ以上の歳を重ねたであろう二人の老人が、床に直接胡坐あぐらをかいて座っていた。


「今帰った。面白い獲物……いや、大陸の傭兵どもを連れてきたぞ」


テツザンが豪快に笑い、二人を紹介する。


「フィンガーン・“ハヤテ”・ドゥーガルと、ローカン・“ムシン”・オ・ブライアン。儂と同じ、クリシュ・アランを統べる三人の長だ」


老いさらばえた姿に見えるが、その双眸から放たれる気迫は、千の兵を屠ってきた修羅のそれであった。


「こ奴らが、我らクリシュ・アランの力を借りたいと言っておる」


さて。この化け物どもが、果たして素直に俺たちの話を聞いてくれるかどうか。


俺はこれから始まる「交渉」――あるいは「殺し合い」に備えて、深く息を吐いた。

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