第20話雨の夜に、零れた過去
雨は一向に弱まる気配がなかった。
雷が遠くで低く鳴り、窓ガラスを激しく叩く音が、まるで外の世界が二人を閉じ込めようとしているように響いていた。
停電で真っ暗になった部屋は、スマホの小さなライトだけが頼りだった。
白雪さんは俺の隣に座り直したものの、雷が鳴るたびにびくっと肩を震わせ、俺の袖を軽く握ったまま離そうとしなかった。
俺は彼女の震える指を感じながら、できるだけ穏やかな声で言った。
「白雪さん……怖いなら、もっと近くにいてもいいよ。
雷が止むまで、こうして話してようか」
白雪さんは小さく頷いた。
ライトの淡い光の中で、彼女の瞳が少し潤んでいるのが見えた。
「……佐藤くん。
私、暗いところと雷が……昔から苦手で……」
彼女の声は、いつもより少し低く、掠れていた。
その言葉の端に、普段は聞こえないような重い響きがあった。
俺は黙って彼女の横顔を見つめた。
白雪さんはしばらく雨音を聞きながら、指を俺の袖に絡めたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……私、中学2年生の頃……心の声が聞こえる男の子に、すごく傷つけられたことがあるの」
その一言で、部屋の空気が少し変わった。
白雪さんの脳内ノイズが、いつもの銀河のような激しさではなく、暗く重い色に変わっていくのがはっきりと感じられた。
『#%&*!——(……話すの、初めて……佐藤くんにだけは、知ってほしい……でも怖い……あの時の声が、まだ頭の中に残ってる……)』
彼女は深呼吸を一つしてから、静かに続けた。
「その子の名前は……今はもう忘れた。
クラスで『神様の声』って自称して、自分の能力をみんなに自慢してた。
他人の本音を全部暴いて、弱い人をからかったり、秘密をバラしたりして……クラス全体を恐怖で支配してた。
私は最初、ただ静かにしてた。
自分の心の声は絶対に漏らさないように、ずっと無音でいられたから……彼にも『お前は無音だ』って興味を持たれなかった。
でも、ある日……」
白雪さんの指が、俺の袖を少し強く握った。
「彼が、私の秘密を暴こうとしたの。
私は当時、お母さんが重い病気で入院してて、毎日病院に通ってた。
家ではお父さんと二人で看病して、夜中まで病院のベンチで寝たり……すごく辛かった。
誰にも言いたくなかった。
でも彼は、私の心の声が聞こえないことに苛立って、わざと私を追い詰めた。
放課後、誰もいない教室に連れていかれて……『お前は何も考えてないフリしてるけど、本当は寂しいんだろ?』って、笑いながら言われた。
そして、私の頭の中に無理やり自分の声を流し込んできた」
白雪さんの息が、少し荒くなった。
「『お前の母親、死ぬかもな』
『お前は一人ぼっちだ』
『誰も本当のことを教えてくれない』
『お前が無音なのは、ただの逃げだ』……
彼の声が、頭の中でぐるぐる回って、止まらなかった。
私はその時、初めて自分の心の声を封じる方法を必死で探した。
全部、全部、押し込めて、押し込めて……
『無音』になることでしか、自分を守れなかった」
雷がまた大きく鳴った。
白雪さんはびくっと体を震わせ、俺の袖を握る手にさらに力を込めた。
「……その後、彼は毎日私を狙うようになった。
廊下ですれ違うたびに『今日も無音か? 母親の容態はどうだ?』って、わざと声に出して言ってきた。
クラスメイトの前で、私の家庭のことを匂わせたり……
私は耐えきれなくなって、学校を休むようになった。
お母さんの病状も悪化して……結局、その子が転校するまで、ずっと無音で過ごした。
それ以来、私は自分の心の声を絶対に漏らさないって決めたの。
誰にも本音を知られたくない。
知られたら、またあの時のように、頭の中を汚される気がして……怖かった」
白雪さんはそこで一度言葉を切り、スマホのライトの光の中で俺の目を見つめた。
彼女の瞳に、雨の光が映っていた。
「だから、佐藤くんが最初に私の隣に来た時……
『無音』だって気づいて、ただ安心した。
私は、ただのシェルターとして使われるだけでいいと思ってた。
でも、佐藤くんは違った。
私の静けさを欲しがってくれただけじゃなくて……
私のノイズが漏れ始めた時も、嫌がらずに受け止めてくれた。
だから……少しずつ、抑えきれなくなってきたの。
この部屋で、佐藤くんと一緒にいると……
昔のトラウマが、ちょっとだけ遠く感じる」
白雪さんの指が、俺の手にそっと絡まった。
「……佐藤くん。
私の過去、知って……嫌じゃない?
私、ずっと無音でいたくて……でも、あなたの隣にいると、無音じゃいられなくなって……」
俺は彼女の手を、優しく握り返した。
「嫌じゃないよ。
むしろ、教えてくれてありがとう。
白雪さんが、そんな過去を抱えてたなんて……知らなかった。
でも、今の君は、ちゃんとここにいる。
俺の隣で、うるさいノイズをいっぱい出してる。
それが、俺にとっては一番大事なんだ」
白雪さんの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
でも、それは悲しい涙じゃなかった。
彼女の脳内ノイズが、暗い色から、温かく光る色に変わっていくのがはっきりと感じられた。
『#%&*!——(佐藤くん……私の過去を知って……受け止めてくれた……嬉しい……この想い、もっと佐藤くんに伝えたい……でもまだ、言葉にするのは怖い……でも、今日は少しだけ、近づけた気がする……)』
外の雨はまだ激しく降り続いていた。
雷も時折光る。
でも、部屋の中は停電の暗闇の中で、二人だけの温かい空間になっていた。
白雪さんが、俺の肩にそっと頭を預けてきた。
「……佐藤くん。
雨が止むまで……ここにいても、いいですか?」
「もちろん。
ずっと、ここにいよう」
二人は暗い部屋で、雨音を聞きながら、静かに寄り添っていた。
白雪さんの過去のトラウマは、今日初めて少しだけ、俺に明かされた。
それでも、彼女のノイズはまだ熱く、俺の頭の中で響き続けていた。
テストが終わった後の、新しい一歩。
それは、静かで、優しくて、少しだけ勇気のいるものだった。
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