閑話 疾風 ―新九郎―
あいつは最初から変わったやつだったんだよ。
あ、ハルトっていうやつなんだけど。
出会いは、ここから山を一つ越えた向こう。どこかの畑の端だった。父ちゃんに頼まれた使いの帰り道でさ。
畦道の先で、妙な光景を見たんだ。
野武士に囲まれた農夫を、どこからともなく現れた男が助けていた。折れた槍の柄を片手に、三人相手に立っていた。
突きが出る瞬間、槍が消えた。
消える、というのは比喩じゃない。本当に見えなくなった。次に目で追いついたときにはもう、相手の体に届いていた。
間合いがどこにあったのか、考えがそこまで辿り着くころには、もう全部終わってたんだよ。
見た瞬間、俺の足が動いていた。考えるより先に駆け寄っていたんだ。
疾風だ、と思った。他に言葉がなかったな。
変な服着てたんだよ、あいつ。南蛮の服って、あんなのなんだろうか。帯も打袴もないのに、ちゃんと着てるのが不思議でさ。
それからしばらく、ハルトはうちに居候した。
飯の食い方は普通だった。茶碗の持ち方も箸の使い方も、ちゃんとしてた。そこだけは少し悔しかったな。
農作業はからっきしだった。鍬の持ち方から教えなきゃいけなかったし、水の汲み方すら知らなかった。桶の持ち手を逆にしてひっくり返したときは、さすがに笑ったよ。
もちろん、足軽の暮らしも、城の作法も、当たり前のことを何一つ知らなかった。本当にどこから来たんだこいつ、と何度か思ったよ。
まあいいか、とも思ったけど。
聞いても「遠いところ」としか言わないのはわかってたし、飯を一緒に食える奴が一人増えたくらいで、別に困ることもなかったしな。
ただ、剣術だけは違った。
「使える」というより、あの動きを持っている奴だと、最初からわかっていたんだ。
だから、秀吉様に連れていかれたとき、なんとなく予感していた。これはたぶん、そういうことになる、というやつだって。
案の定だったよ。
御前試合で、あいつは信長様の前でも、あのときと同じ動きをした。
木刀を渡されて、一度だけ素振りをして、あとは弾いて突くだけ。余計な型も、飾りもない。
相手の家臣が「消えた」と言っていた。俺にも、やっぱり見えなかった。
信長様が「面白い」と言ったんだ。
その瞬間、満足したよ。
こいつのことを、俺は最初に見た。あの畑の端で、誰よりも先に。
それだけのことだろ。それだけのことなのに、なんか、誇らしかった。
自分が強くなったわけでも、褒められたわけでもないのに。おかしな話だと思ったよ。まあいいか、で済ませたけど。
一緒に足軽になることになった。
戦が近い、と信長様は言っていた。怖い、と思った。
思ったけど、口には出さなかった。死ななきゃ勝ちだ。そういうもんだ。足軽が戦に行く。それが普通だろ。
訓練場で、ハルトが刀を振っていた。
踏み込みが浅い。腰が遅れる。辰蔵さんに「腕じゃない」と言われながら、また振る。
あの疾風が、か。俺の方がまだましかな、とひとり言のつもりで言ったら、
「そうかもしれない」
と、笑いながら即答された。
俺も笑うしかなかったよ。
こいつは、できないことをできないと、さらりと認める。
でも、それで納得してるわけじゃない気もするんだよな。
刀は振れない。なのに、突きは、あの疾風になる。
あいつは最初から変わったやつだった。普通じゃない。
──まず、半歩下がる。戦うためだ。
まあ、そういうもんか。
*
新九郎は竹の皮を開いて、飴を一つ口に放り込んだ。
口の中で、甘さがゆっくり広がった。
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