第3.5話 孤崎 透の至福のひととき

制作部屋のドアを閉め、鍵をかける。


 この三メートル四方の空間だけが、世界で唯一、俺に「安全」を保障してくれる。


 制服を脱ぎ捨て、除菌シートで指の先まで念入りに拭き取る。学校という場所で付着した、あのドロドロとした嘘や打算を、物理的に剥ぎ取る儀式だ。




「……さて」




デスクのライトを点ける。


 白光の下で鈍く光るのは、昨日から組み始めたHGUCの『メッサーMO1型』。


 俺は、神手ゴッド・ハンドの究極ニッパーを手に取った。


 


 プラスチックのゲートを切り離す、わずかな手応え。


 パチン、という乾いた音。


 


 ——最高だ。


 


 人間と違って、彼らは「期待」を裏切らない。


 パーツ同士の噛み合わせ、関節の可動域、パーツの裏側にまで施されたモールド。


 そこにあるのは、一貫した論理ロジックと、作り手の「純粋な意図」だけだ。


 


「ここを少し削って、ダメージを表現するか……」


 


 鉄ヤスリを動かし、ビーム跡や衝突による傷跡を表現していく。


 無機質なプラスチックの粉が舞う。


 もし、人間もこうして「ヤスリ」をかけて、その笑顔の裏に隠されたどす黒いエゴや、計算高い打算を削り落とすことができたら、どんなに楽だろうか。


 


 ……ふと、内田 茜の顔が浮かんだ。


 模型店で、白フタを手に取っていたあの姿。


 


「……いや、あり得ない」


 


 思考を打ち消すように、究極ニッパーを強く握る。


 彼女が本当にプラモを愛しているのか、それとも俺に近づくための「衣装」としてそれを選んだのか。


 答えは一つだ。後者に決まっている。


 


 女は、自分を「演じ、共感する」生命体だ。


 中学の時のあいつだって、あんなに幸せそうに笑いながら、裏では俺を『下請けくん』と呼んでいた。


 塗装が剥がれたあとの、腐り果てた下地。


 それが、俺が知ってしまった「人間の正体」だ。


 


 だが、手元のメッサーは違う。


 こいつは、専用の左肩パーツも相まって映画に出てきたそのままだ。


 光を当てれば、その造形美を正しく反射する。


 


 机の隅に置いてある『ポケット六法』が目に入る。


 論理の極致である法律と、構造の極致であるメカ。


 この二つだけが、俺の壊れた世界を支える両翼だった。


 


 一晩かけて、一体を完成させる。


 達成感と共に訪れるのは、一時の静寂。


 


「……これでいい。明日もまた、俺は俺のままで」


 


 スマホの画面に、また通知が届く。


 斉木雫からだろうか。あるいは別の誰かか。


 


 俺は画面を見ることもなく、電源を落とした。


 


 至福のひとときは終わった。


 


 明日、また「加速」する絶望の戦場に向かうために、俺は目を閉じた。

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