第26話:レセプション
骸市の権力者たちは、狂喜していた。季節が二つ程変わり、貴島聖の『光』を浴びた彼らは、慢性的な首の痛みや、過去の罪悪感からくる不眠から完全に解放されていた。
「素晴らしい。 徹夜で三日連続の会議をこなしても、微塵も疲れを感じない!」
「背中に羽が生えたようだ。俺の脳は今、神と同じ処理速度を手に入れているぞ!」
彼らは痛みというリミッターを外され、かつてないほどの圧倒的な業績を叩き出し始めた。
だが、その『無痛の狂騒』が続くにつれ、彼らの肉体は確実に、そして静かに悲鳴を上げ始めていた。
痛みとは、本来、これ以上肉体を酷使すれば壊れるという『脳からの警告』だ。
貴島のオーバーストレッチによってそのアラームの配線を完全に焼き切られた彼らは、肉体の限界を超えても気づくことができない。
ある大手ゼネコンの会長は、痛みを感じないまま歩き続けた結果、膝の軟骨が無くなり、骨同士をぶつける変形性膝関節になっていた。
ある市議会議員は、交感神経が常に100%で稼働し続けているため、安静時でも心拍数が180を超え、突然鼻から大量の血を噴き出すようになった。
「貴島先生。確かに痛みはない。だが、私の手はなぜこんなに震えているんだ? なぜ、尿に血が混じる?」
「昨夜、階段から落ちたらしいんだが……骨が見えるほど肉が裂けているのに、全く痛くないんだ。……先生、私は本当に大丈夫なのか? このまま突然、心臓が止まるんじゃないのか!?」
骸市の裏側で、権力者たちの間に『死の恐怖』が急速に蔓延し始めた。
彼らは絶好調でありながら、自らの肉体が物理的に崩壊していく様を目の当たりにし、パニックに陥ったのだ。
この予期せぬクレームの嵐に、最も焦りを覚えたのは貴島自身だった。
「愚かな。私の光で精神を浄化してやったというのに、あの豚どもは、自らの脆弱な肉体の器に適合できない己の未熟さを棚に上げている」
彼はギリッと奥歯を噛み締めながらも、自分の『絶対的な治療』が疑われ始めている現実に、臨床家としての強烈な屈辱と焦燥感を募らせていた。
そして、このVIPたちの『死の恐怖』と、貴島の『焦り』。
その両方を最も冷酷に計算し、ビジネスとして刈り取りに動いたのが、スザキ・インテリジェンスの須崎社長だった。
スザキ本社ビルの最上階。
極秘で開催されたシークレット・レセプションの会場には、血走った眼で異常な汗を流す、骸市の権力者たちが集められていた。
彼らの表情には、異常な高揚感と、いつ死ぬか分からないという極限の恐怖が入り混じっている。
「皆様。本日はスザキ・インテリジェンスが提供する新たなVIP専用医療コンシェルジュ・サービス、『イージス・システム』の発表にご足労いただき、感謝いたします」
深紅のドレスに身を包んだ須崎が、壇上で優雅に微笑む。彼女の後ろには、純白のスーツを着て不機嫌そうに目を伏せる貴島と、黒のスーツを着た私が立ち並んでいる。
「皆様は今、貴島先生の『光』によって、人生で最高のパフォーマンスを発揮されていることでしょう。しかし、最高のF1マシンには、エンジンが焼き切れないための『最強のブレーキ』が必要不可欠です」
須崎が合図をすると、黒服のスタッフたちが、ベルベットのクッションに乗せられた小さな漆黒のチタン製パッチを配り始めた。
「それは『アトラス・ピン』。山仲先生の治療哲学である『冷却と収縮』を、24時間自動で行うデバイスです」
須崎の言葉に、会場がどよめいた。
「皆様は今、交感神経が極限まで暴走しています。このデバイスを首の付け根に貼るだけで、皆様を『極上の休息状態』へと誘います」
疑心暗鬼と恐怖に苛まれていた一人のVIPが、震える手でそのパッチを手に取り、自らの首の盆の窪へと貼り付けた。
――その瞬間だった。
パッチから放たれた微弱な信号が、彼の脳幹に『休息』の指令を叩き込む。
適度な冷たい刺激が、数週間、極限の緊張状態で張り詰めていた血管をフワッと弛緩させ、暴走していた心拍数が一気に正常値へと落ちついた。
彼はまるで、砂漠で数日ぶりに水を飲んだかのような、あるいは極上の麻薬を打たれたかのような至福の吐息を漏らし、その場で膝から崩れ落ちた。
「あぁ…休まる。身体が…」
男のその姿を見て、他の権力者たちの理性が完全に吹き飛んだ。
「私にも! それを早く、俺の首にも貼ってくれ!!」
「いくらでも払う! だから早く俺も休ませてくれぇっ!!」
先を争うようにして、醜い豚たちが自ら進んで『首輪』を嵌め合い、安堵の涙を流している。
私はシャンパングラスを傾けながら、その光景を冷徹に眺めていた。
人間は嘘をつくが、自律神経は嘘をつけない。このパッチを貼ったが最後、彼らの心拍、血圧、ストレス値といったすべての生体データは、スザキのメインサーバーに24時間ハッキングされることになる。
須崎は「死の恐怖」という最強のセールスポイントを利用し、見事に骸市のトップたちを完全な医療奴隷へと仕立て上げたのだ。
「……忌々しい」
不意に、隣に立つ貴島が、黄金の瞳にどす黒い憎悪を宿して呻いた。
「なぜ私の絶対の光に、お前のような悪魔が必要なのだ。……私の光は完璧だ。患者の肉体が脆弱なだけで、私の治療には何のエラーもない!」
ギリッ、と。手を握る。
彼にとって、VIPたちが冷却システムに依存して安堵する姿は何よりも耐え難い屈辱だったのだ。
「お前の光は、ただのアドレナリンの過剰分泌だ。いずれエンジンは焼き切れる」
私は貴島を一瞥もせずに吐き捨てた。
「このシステムに依存しなければ、お前の患者は全員死ぬ。……せいぜい、パッチの管理下で、大人しく光を出し続けていることだな」
この夜の私の冷徹な宣告が、貴島の中に巣食っていた『狂信』を完全に臨界点へと達させたことに、私はまだ気づいていなかった。
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