この作品は太宰治賞の二次選考突破作品とのことですが、応募総数1890作の中の19作まで残った作品といえばそのレベルの高さが伝わるでしょうか。
日常的で、単純で、拗らせていて、気持ちが悪く、爽快な通学物語───あらすじにはこう紹介されていますが、ビューページを開けばまず一見お断りのごとくに改行なしの言葉の防壁が現れます。
しかしそれは壁ではなく、トンネルです。どうか恐れずにこの物語に潜り込んでみてほしいです。あらすじの意味はそこでわかります。これはどこまでも日常を謡った通学物語です。言葉で世界を追い続け、自己と世界の境界を問い続ける物語です。
小説家になれる可能性を見出され、高校生の関根は国語教師の佐枝の指導の元で日常を綴っていく。相鉄線の電車の中で見聞きした世界を文字に写し取っていく。
しかし関根少年の筆致は揺れ動く。時には正常という名の歪みに堕し、時には孤独の淵に立たされた心が言葉によって追い詰められ、輝きを得る。佐枝は関根にいう、「君の書く文章は素晴らしい純文学になり得ます」と。
しかしこの電車の行く先を関根は知らされていません。彼はただただ線路を走らされるのみです。退廃を許さない佐枝と普通に生きたい少年、彼らの旅がどこまで続くのか見届けみてください。
言葉の奔流に身を任せて、居心地悪き浮遊感にも似たこの胸のざわめきは唯一無二の読後感だと思います。
2003年生まれで、2025年芥川賞候補にもなった日比野コレコ氏と同じ系譜にも感じられましたが、日比野氏が固有名詞をふんだんに使用して“自己”と“世界”に明確な境界線を引いた上で内省を開放するスタイルと比較して、荒木様の作品はその境界を時には強固に防衛し、または原型留めなくなるまで融和し、自己の中に世界を取り込んでから再度、新たな境界線を再定義するというスタイルに思えます。
自己と世界を区切るその新しい境界線は、古い境界線と比べて位置も見た目もそこまで変わらないかもしれません。しかし純文学の書き手は、その数ミリの変化が人の心を大きく変えることを知ってか知らずか知っています。
たとえ線路の進行角度が直角90度から91度にずれたとしても、1000メートルも進めばその1度のズレはまったく違う駅に人を連れて行きます。当然、見る景色も変わりますし人の心も変わります。
ただひとついえるのは、行きの電車も帰りの電車も、必ずどこかの駅に着くために走っているということです。すべての物語には終わりがあります。関根少年の場合はどの駅に着いたのか、是非読まれてみてください。
作者様は間違いなく、次世代の純文学を担う方になると私は予感しています。
(PS.こう書くと私が佐枝みたいになるので、なんとも複雑な気持ちですが……汗。しかし応援させていただきたいです!)
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