第十七幕 竜騎彗星

 夜闇の中、青く光り輝く地平線。二つの星が重なり一つとなった白き星。その光の先には、竜の杯の契約を打ち破った女騎士の姿があった。

 石鎚の一撃を受けた杯はその場で小刻みに震え始める。そしてその表面にひびが入り―――器は粉々に砕けた。その瞬間、溜め込んでいたものを吐き出すように、黒い光が一瞬にして全てを覆った。鼓膜を破るかのような悲鳴。強大なマナとエネルギーの波動があふれだす。

 「っ…く…これは…!!」

相殺を遥かに凌ぐその圧力にエトナは悶える。氷の剣は砕け散り炎が消える。その爆心地に最も近かったエトナは、その膨大な魔力とマナの激流に耐えられず……姿を消した。

 器が砕けエトナが消えてもなお、暴風とマナの乱流は収まることなく、中庭跡の瓦礫は吹き飛ばされ宙を舞った。杯からあふれ出る膨大なマナは、夜の闇を淡い蒼に染め上げる。

 杯の悲鳴が止まぬなか、突然大地が大きく揺れ始めた。城全体が轟音とともに震え、塔の壁にはひびが入る。

 オリエンタはレデを抱きかかえるように守っていたが、女騎士の瞳は閉じられていた。パンは望遠鏡を置き、肩を大きく揺らしながら呼吸をした。張りつめていた緊張が途切れる。途端にめまいと疲れがどっと押し寄せた。

 そのとき、傷だらけのレジストがパンのそばへと走ってきた。

「おい!今すぐ離れるぞ!もしかしたらこれは…――」

そのとき、再び大地を割るかのような地鳴りが辺りに響き、突如パンたちのいる地面がこれまでにない角度でグラッと揺れた。途端に強力な重力がその場にいる全員を襲った。

「っ……!」

地面にしがみつき、立っていることは不可能だった。悲鳴と轟音。その力と揺れに終わりはなかった。


 突然、杯の悲鳴が聞こえなくなった。同時にマナの乱流も、皆を襲っていた重力も消えた。

「はぁ…はぁ……」

 揺れを耐え凌いだレジストはゆっくりと起き上がる。その背中から石の欠片がはらはらと落ちる。立ち上がり、周りを見渡した。そしてその表情が一気に青ざめた。

「おい……まじか…」

 パンも先ほどの重力の余韻を受けながらも、ゆらゆらと立ち上がった。そして、レデに寄り添うオリエンタの無事を確認し、中庭跡の縁に佇んでいるレジストの方へと向かった。―――その光景にパンは目を見開いた。

 そこには城を取り囲んでいたはずの城壁はどこにもなく、あるのは限りなく広がる夜空、そして―――眼下に広がるパトリオン国と竜都。ところどころに浮かぶ雲。今、パンたちのいるボルティア城は地盤ごと空中へ浮き上がっていた。正確には、大地の局所的な隆起により城だけが押し上げられていた。地上と城の地盤を支えるのは、一本の細い大地の柱だけだった。

 「これは…レデの…。杯の中にある防衛本能が、宿主の内なる魔法を発動させたのか……。」

頭を抱え座り込むレジスト。その体にはほとんど魔力が残されていないことにパンは気づいた。

「飛び…おりますか…?」

「ばかやろう。どれだけ高いと思ってんだ。使えそうな魔法を持ってるハンブルクもキープも、向こうで倒れてる。あの星奴者相手にずっと踏ん張ってたんだ。無理もない。この状況を解決できるやつは…ここにはいねぇよ。」

 冷たい空気が肌に触る。そして…果てまで広がる夜空では、竜騎彗星が昇ろうとしていた。夜にも関わらず空全体がぼんやりと青く輝いていた。星がより一層強い光を放ち、頂点に浮かぶ純白の星はまるで母のように、新たな騎士の光を見守っている。

「俺も初めてだ。竜騎彗星をこの目で見るのは。この席を取るのに支払う代価が命ってのは…果たして高いのか、安いのか。」

「……。」

パンも体を休め、遠くの空を見つめる。空気中を漂うマナの質が変化し始める。

 そして―――一瞬、空全体が明るく輝いた。目を背けるほどの眩しい光は、すこしすると徐々に薄らいでいった。そのとき、地平線から一筋の彗星が空に向かって伸びていく。青と白が混ざり合った帯。空気が途端に洗練され、澄んだマナが辺りに充満する。垂直に昇るその光は、塵のような細かいきらめきを翼のように広げながら、高く、高く昇っていく……。


 粉々になった石の残骸が敷き詰められた中庭跡では、オリエンタがレデのそばで仰向けになっていた。

「ほんとうに……ほんとうに、よかったです。」

レデは眠るようにオリエンタの傍で倒れていたが、その心臓は確かに動いていた。

 ふとオリエンタが空を見上げると、天高く昇る竜騎彗星が目に映った。夜空は不思議な輝きを放ち、まばらに光る星々は騎士の凱旋を祝う国の民のように、彗星とその軌道を引き立てる。城の上部を覆うベールがかすかに揺らめく。それはこれまで見た景色の中で最も美しい光景だった。

「レデ副団長…見えていますか?……新たな騎士の誕生を……皆が祝っていますよ。」


 ピシッ。

 そのとき、岩の砕ける轟音とともに地面が再び傾き始めた。オリエンタはとっさにレデを抱える。横に置いてあった剣を再び手に持ち、飛んでくる瓦礫を払いのける。

 縁に座り、竜騎彗星を眺めていたパンとレジストも、再び起きた大きな揺れに体勢を崩した。振り落とされないように、姿勢を低くし石の突起をつかむ。

「おいおいおい…!」

巨大な城とその地盤を支えていた細く小さな大地の柱が、その巨体に耐えかね崩れ始めた。支えを失った城は、もう一度ぐらりと揺れると一気に地上へ落下し始めた。

 心臓が浮くような感覚。周囲の景色がぼやけ、風が耳元をかすめる。戦いの残骸が一斉に宙に浮く。

「っ……!このままだと…っ…みんな…死んじまうぞ!!」

 空気の動きが徐々に速くなる。重力は無情にも蒼き城を地に落とそうと力を加える。

 パンは吹き荒れる風の中、かすかに残る外廊下の残骸を伝い、オリエンタのもとに向かった。そこではオリエンタが地面に剣を突き立て、なんとかレデと自身の体を固定していた。小さな抵抗も束の間、皆の身体が浮き始める。

 城の加速は止まることなく続く。揺れる体。パンの脳裏にうさぎとラーコニアの姿が浮かび上がる。喪炎の災害から何度も味わった感覚。恐怖。しかし―――パンは胸の魔法石を強く握る。


 もう二度とあんな思いはしたくない。


 パンはとっさにある呪文を叫んだ。頭の中に駆け巡るあの日の記憶。空色の髪をした鳥のような少年と出会った日、共に竜都を巡り様々な場所で情報収集にいそしんだ日、バイデントの屋敷に乗り込みレジストを救出した日、そのときに初めて人を傷つけたあの感触、その少年が喪炎の被害者であることを知った日、空から落ちる少年を受け止めた日、ボルティア城の牢獄から助け出された日、強大な力を前にしても一歩も引かない少年を目にした日。…オリエンタ。その内なる魔法。


 「願い流れる川に映る 地を背にし再び羽ばたかん」


 光があたりを包む―――周囲の空気が、色が、マナが、パンと、そしてオリエンタの周りに集まる。パンの髪先と…そして胸に止めてある色を失った魔法石が光り始めた。淡い水色の光。同時にオリエンタの髪先も同じように輝きを帯び始めた。そして足についているポケット、その中にしまわれているものが布を透過して光り出す。それはオリエンタの効力を失った魔法石だった。

 落下する城の中で、光と光がぶつかり合い結ばれ、そしてさらに大きな光となる。溢れ出るマナの流れと記憶。

「オリエンタ!!」

パンの叫びに振り向くオリエンタ。その体に再び流れ始めるマナ。魔法。しかしオリエンタの心の中の思いは変わらずただ一つだけだった。―――皆を助ける。

 不思議と、パンとオリエンタはお互いの考えを理解できた。まるで同じ脳、同じ体を共有しているかのように。

 皆の体が浮き始める。城の速度は限界に達していた。とっさにオリエンタは呪文を唱える。パンの唱えたものと同じ。長い間、無縁だったはずのその魔法は、なぜかずっとそばにあったかのような馴染みと温かみがあった。


 「願い流れる川に映る 地を背にし再び羽ばたかん」


 ただひたすらに失い続けることしかできなかった騎士の魔法は、またたく間に巨大な風と不思議なベールを生み出し、城を覆った。


 ゆっくりと、確実に城の速度が落ちていた。揺れが収まり、風が空を切る音が止む。静けさを取り戻した中庭跡。その上空には、青色の光を纏ったオリエンタが浮かんでいた。羽を模したぼろぼろのマントが揺らめき、その髪はオリエンタの周囲のマナの流れによってなびいている。パンはレデを支えながら、オリエンタとその背後にある数本の大きな塔を眺めた。そして、全てが収まった原因に気づいた。

 翼―――巨大なベールの翼が城の両端から生えていた。翼を構成する七色の光は大気を掴み、ゆっくりと羽ばたき下降していく。ボルティア城の周囲を漂っていた青白いベールと融合し、不思議な輝きを放つ半透明の翼。

 中庭跡の中央で宙に浮かびながら魔法の制御をするオリエンタ。その周囲には先ほどの淡い光を纏っていた。そのとき、突然パンの足元が崩れ始めた。

「え…」

 レデとエトナの戦闘は、すでに消えようのない傷と大きなひずみを地盤に与えていた。がらがらと砕ける音とともに、パンと、そしてその横に倒れていたレデも空に投げ出された。少し離れた位置にいたレジストの姿が徐々に遠くなる。空を切る音が再び耳を圧迫する。

 パンはとっさにレデを守るように抱きかかえた。何をしても地面に激突すれば二人とも命がないことは分かっていた。しかしとっさに体が動いた。


「―――!」

 

 そのとき、硬い何かがパンの背中にぶつかった。不思議と全身に伝わる衝撃はほとんどなかった。パンは白い地面のような固い表面を転がりながら、片手で近くの突起をつかみなんとか勢いを殺した。

「はぁはぁ…」

呼吸を整え、抱えていたレデをそっと横に寝かせる。体を起き上がらせて周囲を見渡すと、自分がまだ空にいることを確認できた。そして…その真横を翼を持った城がゆっくりと降下している。城の背後には竜騎彗星とその軌跡が輝いていた。

「ここは……」

 滑らかな純白の表面に金と青に輝く線、魚のような尾ひれと背びれ、構造の中心には青緑に光る巨大な水晶体。

 「アストラヌス……!」

悠然と空を泳ぐ鯨の形をした飛行船。カーストラ街に墜落した巨大な遺物が今、パンたちを乗せて城と共に降下を始めた。


 その夜の出来事は、伝説として永遠に語り継がれることになる。騎士の日も終わりを迎えようとするころ、ボルティア城で何十もの爆発音が響いた。それから数十分後、城は大きな揺れと共に空へと昇っていった。国民は騎士と兵士に見守られながら、その情景をただ見つめていた。

 そのときちょうど、二つの白き星が重なり、時代の始まりを告げる竜騎彗星が空に昇った。八十四星年に一度見られる貴重な天体現象。国と城の異変に不安と恐怖を抱きながらも、人々は空を見上げ想いを馳せた。そのうち、城を雲の上のその果てまで運んだ細い地の柱は、やがて崩れ去った。

 そして、竜騎彗星がその帯を広げ頂点に達しようとしたとき、上空から巨大な七色に輝く翼を持ったボルティア城と、その周りを飛ぶ白鯨がゆっくりと姿を現した。誰の魔法なのか、自然現象なのか、竜騎彗星の力なのか。その真相は誰も知ることはなかった。

 それからボルティア城は、その両側に七色のベールで形作られた翼を広げ続けた。それはいつまでも消えることはなかった。






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