第十一幕 大切な存在
その日、青緑色の美しい瞳と冒険者のような服装をした少女は、ある依頼を解決するために小さな一軒家を訪れていた。その傍らにはもう、キープの付き添いはなかった。
「おや、ありがとうねぇ。」
腰の曲がった老婆がパンを迎え入れた。質素な一軒家に素朴な服装。老婆の手首には、朱色の魔法石がはめ込まれたリングをしていた。
彼女はラーコニアと名乗った。家の中は簡素な作りとなっており、二つほどの部屋とキッチン、リビングで構成されていた。小さな小物などもほとんど置いておらず、あるのは長机と椅子、そして小さな織機だった。
パンはこの家に来る途中に購入したグレースの実を老婆に渡した。これも依頼の一つだった。
「レンズで話は聞いてると思うけど、パンさんにはローブ作りの手伝いをしてほしいんだ。ある人に贈る物でね。とても時間のかかる作業だから、私の残り短い命がもつかどうか心配でね。ちょうど人手がほしかったんだよ。これから何日かかるかわからないけど、よろしくね。」
「はい。よろしくお願いします。」
ラーコニアが手を軽く振ると、部屋の隅に置いてあった織機が机の横まで移動した。
その織機の全長は子供の身長ほどあり、高さはパンのつま先から胸元辺りまであった。全体は木材でできた部品で構成されており、ところどころにきらめく固い物質が使われている。それは見る角度によってその色を変化させる。それは魔法石のような光を帯びている鉱石であった。
「じゃあ、始めようか。」
作業は決して簡単なものではなかった。不思議な織機をラーコニアが操作し、そこから出てきた布を設計書に従い、パンが整え形にする。はじめはもたつくことが多々あったが、そのうち布が生成されるスピードについていけるようになっていた。布の彩りは白地に夜空と星のような深い青と金の装飾、そして裏地はパンの瞳の色と同じ翠色で整えられていた。
途中休憩をはさみながら、数時間作業をして二人は一日を終えた。パンは作業の最中、ラーコニアの魔法石が絶えず光り続けていることに気づいたが、その疑問を口にすることはなかった。
それからパンは毎日ラーコニアの家を訪れ、ローブを仕立てていった。日がたつごとに形を成していく贈り物。それは村の人々がきているものとは違い、空に波打つ星のように小さな輝きを放っていった。
(星…)
休憩時間に、ローブを見つめていたパンの脳裏に浮かび上がるうさぎとの時間。輪の視界と呼称したその場所で、マナで作り上げられた夜空を見上げた思い出。織機に流れるマナと、ラーコニアに流れる弱々しいマナ。うさぎとの特訓から得られたマナ知覚。どこにいても、魔法と物事のすべてがうさぎに結びついた。
椅子に座って仕立て途中のローブを眺めていたパンに、ラーコニアは声をかけた。
「なにか…思い出したのかい?」
「え…?」
急に声をかけられ驚くパン。
「いや、ローブを長い時間眺めてるものだからね。実は私がこれを贈ろうとしている人も、同じような顔をするときがあってね。心ここにあらずって感じでね。結局、原因はなんでもないささいなことだったけれど。」
そういうとラーコニアはふふっと笑った。
「話してごらん。気が楽になるかもしれないよ?」
老婆はゆっくりとパンの横に座った。その深く優しい茶色の目は、パンの考えを見透かしているようだった。
「なんか、その…私の心が読まれているみたいですね。」
「そうかい?人間の心を読むなんて、竜都にいるキュベレー様でもできないさ。それだけ人間ってのは複雑で不格好で、非合理的なものだからねぇ。」
その言葉を聞いたパンは一息つくと、うさぎとの出会いから今日にいたるまでのいきさつを話した。あのビジョンを見た日から、いまだにうさぎに会いにいけないことも。
「それで…私のことを知っていながら、初めて会ったかのようにふるまって、過去を明かそうとしない。私は…『不安』を…感じました。私が関わってきたものが全て、もし偽りだったら…私はほんとうにこの世界に存在しているのか、それを……考えてしまいます。」
パンはそこで少し言葉を切り、再び話し始める。初めは弱々しい声が、徐々に彼女の知らない心を形作ってゆく。
「隠し事ばかりのうさぎに、私は会いに行くことができませんでした。会いたい…けど、会いたくない…この気持ちが何なのか…わかりません。あの森の近くまで足を運んでも、最後の一歩を踏み出すことができませんでした。もう一度会っても、私が見てきたことは全て虚構で、私はどこで生きているのか分からなくなってしまうかもしれない。けど、うさぎに会わないと…おなじくらい…苦しい。私は、どうするべきなのでしょうか…。」
ラーコニアは、話し終えたパンを優しい表情で見つめる。小さき少女が抱く苦悩は老婆にとってとても身近で、親しみのあるものだった。
「うさぎさんは…パンさんにとって大切な人なんだね。」
パンの瞳が大きく揺らぎ、そしてうつむく。その手で握っているマントが、微かにきらめきを放っていた。
「大切な人…」
「そう、自分にとって失いたくない存在。嘘であってほしくないと思う存在。ずっとそばにいてほしいと感じる存在。」
パンの頭の中をこれまでの記憶が駆け巡る。万有の森に迷い込み、マナ生命体に襲われそうになったところを助けるうさぎ。様々な魔法を見せてくれるうさぎ。魔力を持った危険な遺跡や動物からパンを守るうさぎ。マナの流れをお互いに感じ取ったあの時間。
「人生の中でそう何度も訪れることのない出会い。だから人は、まるで宝物のようにその時間を過ごす。忘れることのできない者と共にね。もしかしたら…忘れたくないから、大切に思うのかもしれないわね。」
ラーコニアは天井につるされたランプに手を向けた。老婆の手首のリングに取り付けられた魔法石が弱々しく赤色の光を発する。するとランプが灯り始めた。いつの間にか暗くなっていた部屋はランプに照らされ、外でもうすでに日が沈もうとしていたことを知らせていた。
「それが献身。その奇跡がいつ終わるかわからないから、終わってほしくないから、悔いのないように過ごすんだよ。」
パンがあの日見た星空のような輝きを放つローブが一瞬きらめく。
「『献身』…」
それから数日後、パンとラーコニアの作業は終盤にさしかかり、マントは最後の仕上げのみの状態になった。しかしパンは、あることに気づいていた。
「ラーコニアさん、あなたのマナの流れが…ほとんど感知できない…。休まないといけません…弱ってる…。」
その日の作業が終わったとき、パンはラーコニアを問いただした。パンの声はとても静かで、とても震えていた。
「おや、マナの循環を…知覚してたんだねぇ。そうだろうとは…思ってたけど。」
ラーコニアの見た目も、前より弱々しく、初めてパンと会ったときよりもさらに腰を曲げて低い姿勢になっていた。その声も顔も、疲れをにじませていた。
パンは椅子から立ち上がろうとしてふらつくラーコニアをとっさに支えた。
「ラーコニアさん。この織機を少し見させてもらっても良いでしょうか?」
「ふふ、……ばれたのなら仕方ない。どうぞ。」
そういうと、ラーコニアは先ほどまでパンの座っていた椅子に腰をおろした。
「失礼します。」
布のこすれる音。カチッという音と共に空中に浮く望遠鏡と、浮かび上がる複数枚のレンズ。その先にはラーコニアの織機。
「観測…。」
レンズの紋様が徐々に変化し、見るものに必要な情報を与える。そして―――レンズは消え、望遠鏡はパンの手の中に収まった。
「これは…この織機は…」
「使用者の命を使い、特別な魔力として織り込む機械。」
ラーコニアが静かに言葉を引き継いだ。その声ははっきりと、二人だけの部屋に響いた。
「これが私の最後の献身。私の大切な人のために、このローブを最後まで織りあげる。私の命を使ってね。そうすれば、この布は魔法の出力を助け、魔力を提供し、未来にわたってその者を守り続ける。」
パンはラーコニアの目を見つめた。パンの心に、以前感じた感情が再びよみがえる。ラーコニアとの短い時間がパンにそうさせる。それは彼女の知らない生きた証。
「ラーコニアさん…私は…貴方に死んでほしくない…。」
ラーコニアは笑顔を返した。
「ありがとう。私にそう言ってくれる人たちは、もうほとんどいなくなってしまったから…、久しぶりにその言葉を聞けてうれしいよ。だけど私も…これを贈る人に死んでほしくないと思ってるんだ。」
傾いた陽光が室内を照らし出す。
「何より、パンさんがそう言ってくれるのがうれしいんだよ。」
うつむくパン。オレンジ色に焼けた光は、パンの瞳を逃がしはしなかった。
誰かのために何かを成すということに、合理性と存在の証以外の意味を何も見いだせなかった少女は今、小さくラーコニアに歩み寄り言葉を紡ぐ。
「ラーコニアさんの…依頼を…献身を最後まで見届けます。」
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