第九幕 感謝の証

 魔法の名残でうさぎと合わない時間は、街でキープとともに人々の困りごとを解決していく毎日を送った。長期休暇中であるにもかかわらず、依頼をこなそうとするパンの姿にキープは少し困り果てていた。


 それから数日がたった頃。カーストラでのある朝、ラムダレンズに一つの依頼が届き、パンとキープはその依頼を解決しに出かけた。外は比較的暖かい気温にもかかわらず、濃い霧がパトリオン国周辺を覆いつくしていた。


 街の南側にある依頼主の家へ向かう道中、不意にパンの腰にぶら下げてあったラムダレンズから奇妙な音が発せられた。パンは驚いてレンズを手に取り覗くが、そこには何も映っていなかった。レンズから聞こえるその音は、まるで大きな波と波がお互いぶつかり合う轟音のようであった。そして何かがガシャンと壊れる音、爆発音―――。

 パキッ

 次の瞬間、ラムダレンズの金縁にひびが入り―――音が消えた。

「これは…」

 一部始終を見ていたキープが眉をひそめながらラムダレンズに入った亀裂を見つめる。

「これは…急いだほうがよさそうだ。依頼主の身が危険にさらされているかもしれん。」

 キープとパンの周囲に風域が形成される。

「もしかして、キープが前に言ってた気になる依頼って…」

「あぁ、おそらくこの現象と関係してる。急ぐよ!」


 キープの起こした風により、二人は村の中心から少し離れた不思議な家の前に降り立った。霧の中でぼんやりと佇む不格好な形の家。

 ラムダレンズから発せられた奇妙な信号は、依頼主であるこの家の主が出したものだとキープは読んでいた。

 「こんにちは、パンです。依頼を受けて来ました!」

目の前に設置されているドアは無言だった。

 直方体をばらばらに積み重ねたかのような個性的な形をした家。そのカラフルな色合いはこの街の趣向にまったく合っていなかった。家のもっとも高い位置には、小さな攻撃魔法をそらすことができるかぎ爪のような形をした避法針(ひぼうしん)が突き刺さっていた。

 「待ってる時間はない。万が一…」

すると、家の中から何か物が散乱する音、落ちる音、砕ける音が聞こえてきた。すると、徐々にゴゴゴゴッという轟音が響いてきた。あのときラムダレンズから聞こえてきた波の音。

 揺れる地面。

 突然、爆発音と共に二階の窓が割れ、滝のように水の塊がうねりながら飛び出してきた。水流の中には人影が見える。

「えっ…」

 大きな水の蛇はのたうちまわり、外壁を破壊しながら家の周囲を回り続ける。宙を舞う太く長い水流の中に、おそらく呑み込まれたであろう青年が、なんとか顔を水の外に出しながら呼吸をしている。

「デル!」

 ぼさぼさの金髪にオレンジの瞳、金色のボタンがはめられた白地のシャツに細長い黒地のズボン、足元は膝まで覆う黒いブーツ。まるで商人のような見た目の青年は、空中にできたうごめく水流の中で、手足をジタバタさせている。流れの外に何とか顔を出し息をするが、すぐに全身を水に覆われ、身動きができなくなっていった。

「まずい…水にかけられた魔法がどんどん強力になっている!」

 さらに複数の水の尾が音を立てながら、窓から飛び出した。

「水の中で呼吸は1,2分しかもたない。とにかく、デルを助け出さなければ命が危ない!」

 家の周りに生成され始めるいくつもの水の柱。二人は降りかかる数多の水滴に襲われながら行動を開始する。

「私は中に入ってゲートを直してきます。キープは被害を最小限にとどめててください。できればデルを引っ張り出して。」

パンはそういうと、不思議な形をした家の中へ走っていった。


 パンは数日前にデルの依頼を受けたときの記憶を思い出し、ゲートの置いてある部屋まで進んでいった。複数回階段を上り、長い通路を進む。暴れる水流によって、見たことのない遺物や機械でごちゃごちゃと荒らされている床や壁も、パンにとっては慣れたものだった。

 ついにパンはゲートがあると思わしき部屋の扉を見つけ、中に入った。部屋の中心には二本の角が台座から突き出たような形の機械、ゲートと、その角の間で浮いているフラスコ。それ以外はなにもなかった。パンの歩みに連動して、木の板で作られた床がきしむ。

 二つの灰色の角は見るものに威圧感を与え、それがただの魔法機械でないことを知らしめていた。フラスコからは水が糸のように伸び、それは窓から外に続いていた。これが外で暴れている水の根源だった。

「ゲートが魔法を…強化した。」

 パンはゲートの状態を確認した。小さな稲妻が角の周囲を旋回している。ゲートが稼働している証拠である。しかし、角の付け根部分に配置されているランプらしきものは赤色に輝いていた。

 パンは状態を確認すると周囲を見回し、すぐさまゲートと数歩の距離をとった。そして腰に掛けてあった小さな望遠鏡を取り出し、ゲートを覗いた。そのまま取っ手を軽く回転させる。すると、望遠鏡のレンズから光が飛び出す。数枚の大きな光るレンズが、望遠鏡の筒の先に重なるように現れ回転する。パンが望遠鏡から手を放しても小さな筒はその場にとどまり、宙に浮くレンズたちは動き続ける。パンはそのレンズに触れ、操作を始めた。


 パンの持つ望遠鏡は、キープが遺跡から拾った遺物である。キープの分析の結果、この遺物は数百星年程度昔のものであり、この望遠鏡型の遺物があった遺跡の年代と比べても比較的新しいため、キープは別の冒険家が落としたものだと推測した。

 この望遠鏡の主な効果は二つ。望遠鏡から発生するレンズが見る機械もしくは生物は、その特性から内部のマナ循環、分子レベルの構造まで判別し分析される。そしてレンズを操作することで、これら要素に対して調整を行うことができるのだ。たいていの機械の問題は、この望遠鏡で解決できる。これを人体に作用させれば他人の体の動きを制御することも可能。

 幾何学の紋様は光るレンズの上で、パンの手の動きに合わせて変化する。レンズはまるで、ゲートをその構成要素まで解析しパンに見せているかのように、パンとゲートの間に浮いている。時間がたつにつれて、ゲートから発生する稲妻はなくなっていった。

「あと少し…」

 そのとき床が急に振動を始めた。外から水同士のぶつかり合う音が聞こえる。家全体が上下に震えているかのような揺れ。それは徐々に大きくなっていき――突然パンの下から床を突き破りうねる水の柱が飛び出してきた。パンのいる階層は破壊されゲートが台座ごと宙を舞う。そのままパンとゲートは家の外に放り出された。

「っ……!」

霧はすでに消えており、眩しい日の光が一気にパンを襲う。

 強大な暴れ水がいたるところを破壊し始めていた。水の柱は空間という空間を埋めつくそうと四方八方に伸びている。水に含まれる魔力が増大する。暗闇が一瞬にして明るくなる。外では水の蛇が未だにのたうち回っていた。水の量はパンが家に入った時の数倍に膨れ上がり、水柱がいたるところに生成される。

 パンは強力な水圧に殴られながら、宙を上下する。まるで大気のほとんどが水に変わったかのように、激流が小さな少女の体を覆う。

「これはっ…外?」

青空とそれを映し出す大量の水。まるで二つの空が上と下で対立しているかのように、遮られることのない純粋な日の光が乱反射する。

 なんとか空中で体勢を立て直そうとしたパンの視界に、水の蛇の腹の中にいるデルが一瞬映った。未だに呑み込まれたままであり、その体はもう動いていない。そのそばで体の半分を同じく水に呑み込まれながらも、デルを引っ張り出そうとするキープがいた。

(時間がない…)

 ゲートの調整はあと少しまで来ていた。しかし、うねる水の柱に邪魔をされ、レンズは消えて望遠鏡も宙を舞っている。落下を始めたと思ったら水の柱に打ち上げられ再び上昇する。身動きの取れない空中で望遠鏡に触れることは困難だった。デルの体が動かなくなってからどれだけ時間が経っているのかパンにはわからなかったが、一刻も早く調整を済まさなければいけないということは理解していた。

(望遠鏡を触りさえすれば……ゲートを調整してこの暴走を止められるっ…けど…)

 とどまるところを知らない水の蛇の応酬は、時間がたつにつれてさらに激しさを増す。

 キープは水の柱の中でぐったりとしているデルのもとへたどり着いたが、不安定な足場と水の阻害により、なかなか引き上げることができていない。

 そのとき、パンの頭の中でうさぎとの記憶がよみがえる。


「マナの流れは魔法の流れ。うまく使えば他人の魔法を自分の力にできるかもねっ。」


 パンは目を閉じた。その瞼の裏にはあのときの情景が思い描かれる。あの柔らかい感触と暖かい体温。お互いにマナを感じあったあの日を。

 どこにでも存在するマナ。魔法の源。流れ。魔法の息吹と名残。

 すると、目を閉じているはずのパンの頭の中に大きな穴が開いているデルの家が浮かび上がる。そしてデル、キープ。最後に水の蛇。うねる渦のように回転している蛇の残像。まるでマナに浸されている空間の中でだんだんと形作られていくかのように。

 パンは徐々に目を開けた。途端に下から突き上げるような衝撃を感じた。水の柱が再びパンを襲い始める。しかしパンはそのままその水流に体を預けた。それは慣れ親しんだ川の流れであり、パンにとっては心地よく感じるものだった。

 これまでよりも激しさを増す水の蛇。建物と地面から巻き上げられた木片と草葉。晴れ渡る空と水滴に乱反射する光が照らすパンの姿。びしょ濡れの少女は波を流れるように次々と襲い来る水の柱をいなすようにして、徐々に空中を漂う望遠鏡へと近づいていく。


 デルの家の周りには、騒ぎを聞きつけた街の人々が集まっていた。その者たちの目に映るのは、荒れ狂う水の蛇とその水流を乗りこなす翠色の瞳を持つ少女。

 水の蛇がパンの意思に答え、導いているようにパンを望遠鏡へと運ぶ。

 パンは思いっきり手を伸ばした。その手に固い筒が握られる。

 そのとき、再び望遠鏡から数枚のレンズが飛び出し空中でゆっくり回転し始めた。

「観…測!」

 次の瞬間、望遠鏡から拡張された複数枚のレンズは一つにまとまり、そして―――消えた。

 一瞬の沈黙。

 すると、同じく宙に打ち上げられていたゲートから衝撃波が発生し、周囲の水の柱と巻き上げられた塵を吹き飛ばした。八方に押し付けるように吹く風。デルの建物がきしむ音。

 再び空高く吹き上げられるパンとゲート。パンの手には望遠鏡が握られている。しかし、先ほどのように落下する体を再び打ち上げるような水流はもう存在していなかった。ただただ加速する体。

「っ……!」

手足をじたばたと動かすがむなしく空を切るだけだった。


「緑竜望む風立つ大地」


 すると無数の風がどこからともなく吹き、パンとゲートを下から支えた。それはまるで空中に飛ばんとする小鳥を支えるかのように優しく力強いものだった。

 キープの生み出した風によってゆっくりと降下するパン。ゲートもその傍らで音を立てずに地面に着地した。

 キープは地面にぐったりと座りながらも魔法に力を注ぎ、その光景を見つめていた。帽子にかけてあるゴーグルにはめ込まれた魔法石が放っていた光は徐々に消えていった。

 パンは膝をつき水を吐き出した。そのとき、フラッと倒れそうになったパンの体を何者かが支えた。パンが首を回しその者を見ると、そこにはびしょ濡れのデルがいた。彼はなんとか一命をとりとめていた。

 パンの傍らに落ちていたフラスコはゲートの影響下から離れ、先ほどまでその口から伸びていた水の糸は消えていた。デルの家の敷地の周りを囲み、集まっていた街の人々からは心配と賞賛の声が聞こえてきた。パンは不思議な魔法機械ゲートを調整し、暴走を食い止めることができたのだ。依頼の一つが今、完了した。


 キープは集まった群衆に、一言断り皆を解散させた。中には家の復旧や後始末を手伝おうとする者もいたがデルの気持ちをくみ取り、落ち着く時間が必要だと言い気持ちだけ受け取ることにした。


 「ゴホッゴホッ!はぁはぁ、あり…がとう…パン。」

デルの荒い息遣いが聞こえる。地面にはびしょ濡れの依頼人デルとキープ、パン、そして散乱した木片とゲートが転がっていた。

キープは頭をかかえていた。

「はぁ、はぁ、……まったく、あんな危ないもんをまだ持ってるなんてなぁ。前回忠告したよな?早めに売った方が良いって。私たちがいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「ゴホッ、……すまない。けど、それだけの価値があると思ってるんだ。」

「まったく、これだから…。」

キープは服を絞りながら、ゆっくりと立ち上がった。

「ゲートが持つ魔法は、一定範囲の魔力を強化もしくは弱体化させる。強力な効果だが、その分安定性に欠けるという欠点がある。今回その欠点が猛威をふるってたわけだが…」

 パンは二人に近づく。その手には水の入ったフラスコが握られている。

「水にかけられていた反動魔法が想像以上に増強された、といった感じでしょうか。ゲート本体に関しては、安定性の面は治すことができないので今回は…応急処置ですね。あのゲートはあまり使わないほうが良いと思うんですが…何をしようとしてたんですか?」

パンは家の状態を確認しながら聞いた。何の素材が使われているのか見当もつかない壁面は、先ほどの騒ぎで傷はついているが、まるでなんともなかったかのようにそこに佇んでいる。デルはばつの悪そうな顔をして立ち上がる。

「ま、まぁ事情ってもんがあるわけで…けど、しばらくは使えないな。」

「捨てるつもりだったら、私が引き取るよ?珍しいものだからねぇ。」

パンは首をかしげる。

「さっきキープは、危ないから早めに売った方が良いって言ってましたけど…」

キープの何か企んでいそうな目にぐっと顔を近づけるデル。

「あれは、もとからこの家にある代物だ。この家の前任者のものだろうけど、あの機械の価値をおれは知ってる。捨てるなんて、できっこない。無料でこんなすごい機械を持てるんだから。」

「命を奪われかけたのに?」

「それでもだ。なんにしても、パンに連絡をしたときは、ここまでひどくなかったんだけどな。すごいよパンは。魔法石を持ってないのに、暴走した魔法機械を直すなんて。」

「デル。」

キープは眉を顰め、デルを隣から肘で小突く。

「うぁ、すまない!別に悪気があったわけじゃないんだ!」

一瞬の沈黙。パンは少しうつむく。前回デルの家で依頼をこなしたときに、魔法石を持っていないことを気づかれていた。

「そんなに…すごいことではありません。この望遠鏡のおかげです。対象を分析、遠隔でマナ循環に作用しながら安定させる。キープが遺跡から持ち帰ってきたものです。」


 半星年前、キープはカーストラの道端で倒れている少女を見つけ、家で看病した。目を覚ました少女はこれまでの記憶が存在しておらず、自分が誰かさえもわからなかった。少女は見たことのない服装をしており、更には魔法石を携帯していなかったことにキープは驚いた。しかしキープは彼女を受け入れた。その少女の着ている服に記されていた『パン』という文字を、そのまま少女の名前として名づけ自らの家に、居場所を与えた。

 最初の数日間、パンは口を開くことはなかった。しかし、共に生活を続けていくうちに、少しずつしゃべるようになっていった。キープはすぐに気づいた。この少女は、まるで生まれたての赤ん坊のように、この世界の常識や人間の感情というものをほとんど知らないのだと。だから初めは苦労した。今はほとんど普通の人間のように接し、話すことができる。しかし、魔法の扱いに関しては、マナと魔力を操ることは多少できても、それ以上に発展することはなかった。


 「とにかく!何度でも礼を言わせてくれ。ありがとう。俺の命を助けてくれて。」

デルの言葉がキープを我に返す。辺りの地面はこの家一帯に大洪水が起きたと思わせるほどにぬかるんでおり水たまりであふれていた。

 ふと、デルは何かを思い出したように家の中へかけていった。デルの家の壁面はところどころに内部から穴があけられており、扉も蝶番が外れてだらんとした戸が片方ついているだけだった。

 少しすると、オレンジの瞳の青年はそのびしょ濡れの手に何かを握りしめて戻ってきた。

「ふぅ。家の中はさっきの暴れ水に荒らされてたけど、これは無事だった。感謝の印。」

そういうと、デルは手に持っていた小さな羽の髪飾りをパンに手渡した。透明な水晶でつくられた羽は、パンの驚いた表情を映す。キープは目を丸くした。

「これは…」

「綺麗だろ?水石星っていうんだ。市場でもほとんど出回ることのない貴重な石だ。ほんとは二人分あれば良かったんだけど…俺が持ってるのは一つだけだから。」

 パンの髪飾りを持つ手は止まっている。そんな姿を見て、キープは優しく声をかける。

「パン、この水石星はパンが持ってな。パンがいなかったらデルを救うことはできなかったよ。私の風の魔法はああいった場面では直接的な役には立たなかったから。」

パンの表情は変わらない。

「水石星…デルは…なんでそんな貴重なものを、私にくれるんですか?」

「なんでって…お礼だよ。感謝の気持ち。」

デルの優しげな声。

「感謝の気持ちは…人に大切な物をあげる…」

 キープが慌てて二人の間に割って入る。

「おおっとぉ。パン。そういうときは深く考えずに、贈り物を受け取るべきだよ。これはデルの心の表れなんだ。もちろん、言葉や行動で感謝を示すときもあるけど。それでも足りないときは、こうやって贈り物を渡すんだ。証としてね。」

「それじゃあこれは…感謝の証。」

パンはその手に収められたきらめく髪飾りをじっと見つめる。デルはその場の意図してなかった雰囲気を察知して口を開く。

「あははっ…そんな真面目な空気にするつもりはなかったんだけどな…。まぁ俺にとって一番貴重な俺自身の命を助けてくれたから。こうやって、それ以外の貴重なものでお互いの心にこの時間を刻むんだ。」

デルが少し気まずそうに笑った。パンは大事そうに両手で贈り物を握りながらデルを見る。

「ありがとう…」

「こちらこそっ。」

まんべんなく降り注ぐ日の光は、三人の濡れた髪を輝かせた。


 その後、デルの家の後始末は彼自身が行うと言ったため、パンたちは青年と別れて帰路についた。




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