第24話 王子の恋人
ついに、フィーを手に入れた。この喜びはとてもではないが、言葉では言い表せない。
出会ってから八年。本当に長かった。特にこの半年間は、それはもう長く感じられた。
もう絶対に手放さない。生涯かけて、守りたい。
「殿下。この度は心からおめでとうございます」
珍しく、レターが素直に言葉を口にする。
「あぁ。いろいろと面倒をかけたな」
「いえ。貴方様に振り回されるのはいつものことなので、お気になさらず」
「言い方」
「フィーネ様のこと、大事にしてあげてください。私が言うのも変ですが。恋人が大切にしている友人なので」
「当たり前だ。それよりも。ついに認めたな?」
「認めるも何も、貴方様が気付くのが遅すぎなんですよ。彼女とは三年の付き合いですから、私たちの方が先輩です。敬ってください」
「はぁ?」
「冗談です。それよりも、午後からの、恋人同士としての正式なデート。二人きりの甘い時間を楽しんできてください」
「あぁ。夜までには戻る」
***
音楽室にフィーを迎えに行く。
「ベル……!」
目が合うなり、フィーは駆け寄って来て、僕の顔を上目遣いで見つめた。
「会いたかったよ?」
思っても見なかった彼女の行動に、ぎゅっと心を掴まされる。
黄色の花々のモチーフがあしらわれた、白いドレスに身を包んだフィー。珍しく、髪型をおさげにしている。
――なんだ、この天使は。
「ひゃっ」
そのままぎゅっと彼女を引き寄せて捕まえる。
「うん。僕も会いたかった」
可愛い。このまま誰にも見られないように、腕の中に閉じ込めて。ずっと甘やかしたい。
「そんなに抱きしめられても……わたし、何も逃げたりなんかしませんよ」
気を抜くと、フィーはまた敬語を使う。
「フィー?」
「あっ」
彼女の可愛らしく小さな口は、僕に一瞬にして奪われた。
びっくりしたのか、フィーは僕の袖をぎゅっと掴んだ。
唇を離すと、フィーが顔をぷくっと膨らませて、眼で訴えてくる。
「……楽しんでるでしょ」
「そうだけど?」
「もう」
「キスされるのは、嫌?」
「……⁉︎」
フィーはターコイズの瞳を潤ませて、首を横に振った。
「嫌なわけ、ないよ」
「良かった。嬉しい」
僕は彼女の前髪にすっと指を通した。
「今日は連弾の練習をして、その後、ピクニックに行こうね」
「うんっ」
***
ピアノの鍵盤の前。
二人並んで座り『仔猫の演舞曲』の練習をする。
「フィー、ここはどう弾くの?」
「五十一小節目?たしかに、ここは音の粒を揃えるのが難しいよね。ここの指遣いは、こうした方が弾きやすいかも。聴いてて?」
フィーはピアノのことを、実際に演奏しながら、なんでも教えてくれる。何を隠そう、この曲は彼女が編曲したもので。フィーは、演奏者としてだけでなく、作曲者にも、指導者にも向いているように思う。さすがは、僕の恋人だ。
「ありがとう。フィーネ先生?」
「えっ……」
何気なくそう呼んでみると。彼女はきょとんと首を傾げた。一つ一つの動きが、可愛らしくて困る。
「初めてベルに、フィーネって言われた……」
「たまには、ね。でも、やっぱりフィーって呼びたい。フィーじゃなきゃ、しっくりこないし。それに、他の男たちとは一緒にされたくないから」
するとフィーは目を丸くして。
「……ベルは他の男の人たちと一緒じゃ、ないもん」
と、拗ねた子供のように答えた。"もん"という彼女らしからぬ語尾が、頭の中で何度も繰り返される。
口に出してから恥ずかしくなったのか、フィーは慌てて言葉を付け足した。
「ベルは特別です。他の人にはこんな口、聞きませ……んっ」
フィー、それは反則だ。自分の破壊力をわかっていなさすぎる。全く、狂おしいほど可愛いな。
僕からの一方的な想いではなく、彼女の方からも歩み寄ってくれているのが、たまらなく愛おしい。
トントンと、胸元を叩かれて。
慌てて、のぼせている彼女を解放する。
「フィー!」
「べ、べる……」
駄目だ、我慢できなかった――。
「ごめん、流石にやりすぎた。あまりにもフィーが可愛くて」
「だ、大丈夫」
顔を真っ赤にしながら。パタパタと手で顔を仰いでいる。
「で、でも……舞台で完璧な演奏ができるように、練習するときはちゃんと、するんだから、ね?」
「する、ちゃんと練習する」
「よろしい」
すると、フィーネ先生は満足げに腕を組んだ。
***
「こ、これが馬車……⁉︎」
フィーは目の前のそれを見て、興奮した様子を見せた。
「嬉しそうだね、フィー」
「おとぎ話によく出てくるから……ずっと憧れてて。乗ってみたかったの」
「夢が叶って良かったですね、お姫様」
フィーにそう伝えると、彼女は「きゃ〜」と小さく悲鳴を上げながら、はしゃいだ。彼女にもこんな一面があったのか――。天才ピアニストの、女の子らしくときめいている姿。絶対に、他の誰にも見せたくない。そんなことを考えつつ、彼女をエスコートする。
二人並んで座る。馬車に乗れたのがよっぽど嬉しかったらしく、フィーは両頬を手で包んで、何やら悶えている。
「ベルとピクニック、ずっとしてみたかったの」
僕とフィーが出会った、あの公園に向かう途中。彼女はそう話した。
「僕もピクニックは初めてだから、実はすごくわくわくしてる」
「ベルも?一生懸命準備してきたから、楽しみにしててね」
ピクニックの、準備……?何か考えてくれているらしい。本当に健気で、優しくて、好きだ。
「ありがとう。今から待ちきれないな」
公園へと到着する。
フィーの希望もあり、今日は特に、人払いはさせていない。公園内には、親子連れや、恋人同士、老夫婦など、さまざまな年代の人々が、安らいでいた。
初めての、フィーと城の外での、のんびりデート。ゆっくり楽しもう。
「穏やかで素敵」
フィーが公園内の景色をゆっくりと見渡す。
彼女が持ってきたバスケットを、さりげなく持ってあげる。
「自分で、持てるよ」
「お姫様に荷物を持たせるつもりはないよ」
「……べ、ベル」
"お姫様扱い"をされることには、慣れていないフィー。照れながら、僕を見上げてくる。
「王子に甘えて良いのは、お姫様の特権だ」
「……う、うんっ」
適当な木の下に、敷物を敷いて。木の幹を背に、二人並んで腰掛ける。足が痺れないように、ゆったりと足を伸ばす。
「周りの人、ベルのことあまり気づいてないね」
ふと、彼女が気づく。
「そうだね。僕はでも、この公園内の景色の一部として、自然に溶け込めているのが嬉しいよ」
「ベル?」
「この公園にいる人々は皆、大なり小なりそれぞれ色んな事を抱えて生きてる。でも、公園にいる間だけは、そんなことみんな忘れて、穏やかに平和に過ごしてる。僕だって、王子である前に一人の男だから。こうして"恋人とデートを楽しんでいるただの人"でいられるのが、たまらなく幸せだってこと」
「なんだか、わかる気がする。今は、属性なんて気にしなくて良い。いつも、お仕事頑張ってるから、その分のんびり過ごそうね、お互い」
フィーが優しく微笑む。
「うん、そうしよう」
彼女がバスケットの中から、サンドイッチと焼き菓子を取り出す。もしかして、これは彼女の――。
「手作り、なんだけど……もし良かったら食べて」
「……本当に?良いの?」
「あ、お、お毒見とか、必要だった?王子様にこんなことして、大丈夫だったかな」
心配するフィーをよそに、僕は彼女の作ったたまごサンドをパクりと頬張った。
ふんわりとしたパンの食感。よく混ぜ合わされた卵の優しい味。文句なしに、美味しい。
「頬が落ちるかと思った。恋人のお手製サンドイッチほど美味しいものは、他に存在しないよ」
「そ、そんなに⁉︎嬉しい……!ちなみにパンは、ベーカリーメヌエット直伝のレシピなの」
「え、もしかして、パンから手作り?」
「うんっ」
「やっぱり、最高すぎる。ねぇ、城でも店開きなよ」
「えぇ⁉︎」
「いや、冗談じゃなく」
「ベーカリーメヌエットの出張販売……?意外と、ありかも?」
「うん、良いと思う」
「今度ジェリーに手紙書いてみようかな」
彼女はうーんと顎を摩っている。実際、良いアイデアだと思った。
町外れのパン屋の娘さんと、お付き合いさせていただいている身として、何か彼女のご実家のために、できる事をしてあげたい。
彼女だって、妹が店を継ぐ予定だとはいえ。パン屋を離れて城で働くことに、心のどこかでは負い目を感じているはず。ずっと確執があったというご両親。これからは互いに、居心地の良い関係でいてほしい。
「ただの思いつきだけど。いつでも力になるから」
「ベル、ありがとうね。考えてみる」
フィーは、どこかすっきりとした表情でそう言った。昔は、あんなにもパン屋の長女であるという事を、嘆いていたというのに――。
フィーも、大きく成長したな。
「焼き菓子の方は、完全にわたしのオリジナルで……お味の保証はできないけど、食べる?」
彼女はマドレーヌを一つとって、僕に見せた。ふんわりと甘い香りの中に、ほのかに柑橘系のすっぱさを覚える。
「食べる」
「じゃあ……」
フィーはほんのり顔を赤らめて、もじもじとした様子を見せた。
「えと、あーん、して?」
「……⁉︎」
恋人が僕の口の近くにマドレーヌを運んでくれている。これは、夢か?
思わず僕は、大きく口を開けて、それを受け入れた。
口の中に甘さとレモンの酸味が広がっていく。生地がしっとりとしていて、優しいマドレーヌだった。
「美味しい……幸せだ」
「上手に焼けたから、ぜひベルに食べてもらいたかったの」
「ん、とても上手だね。じゃあ、僕からもお返し」
「ふぇっ⁉︎」
僕にマドレーヌを口元まで差し出されて、フィーが変な声を出す。
「はい、あーん」
なすがまま、彼女は小さな口を一生懸命開けるのだった。
ぱくっと、一口。
もぐもぐと小動物のように咀嚼している。
「我ながら、美味しい」
フィーが幸せそうににへっと笑う。
「フィーが僕の恋人になってくれて、本当に嬉しいよ」
もふもふと彼女の前髪を撫でる。相変わらず、さらさらでふわふわで気持ちが良い。
「初めて出会った時は、まさかわたしが、ベルの物語の登場人物に、なれるなんて思ってなかった」
「何言ってるの。あの日から、フィーという存在が、僕の五線譜から消えたことはないよ」
「今振り返ると、子供の頃のわたし、相当かっこつけてたね。なるようになるとか、音楽は物語だとか……ちょっと恥ずかしい」
「でも、全部フィーの言うとおり、本当のことになった。それに、音楽家はやっぱり、ロマンチストにしか務まらないでしょ」
「そ、そうかも、ね……」
フィーはふるふると恥ずかしそうに顔を覆った。
「ところで、ベルの夢って、なんだったの?」
「えっ」
「あの時、話してたよね。まだ言えないって」
あぁ、僕の方こそ、格好付けてフィーの前で口走ったな――。
「教えてよ。一緒に物語を描いてってお願いされた以上。わたしには知る権利があるよね?」
フィーがニヤニヤしながら、僕の顔を覗き込む。
「ちなみにまだ、その夢叶ってないんだけど……」
「じゃあなおのこと、教えてよ。その夢叶えるお手伝いがしたい」
「手伝ってくれるんだ?」
「う、うんっ」
「そんなに、言うなら……」
「絶対に秘密だよ」
僕はフィーの耳元で、そっと囁いた。
すると彼女は、ぴたりと固まってしまった。ターコイズの瞳が揺れている。言葉の意味、重みを一生懸命に、飲み込もうとしているらしい。
「〜っ!」
顔を真っ赤にして、声にならない声を出すフィー。
それもそうか。僕たちはまだ恋人になったばかりなのだから――。
「大丈夫。いつか叶えたい夢の話であって、何も明日にでもって話じゃないよ。それに僕は、今だけの時間を、フィーと楽しみたいと思ってる」
「ベル……」
「それに、物語はまだ始まったばかり。先を急いでも仕方ないでしょ」
「……そうだよね。ありがとう。わたしだって、ベルの気持ちを受け入れた以上、将来のことは真剣に考えてるから、安心して」
フィーが僕の髪にそっと触れる。どうしようもなく、愛おしい。
たまらず僕は、彼女にそっと口付けた。
「ふわぁぁ」
大きなあくびが出る。王子としては、あるまじき行為なのだが、フィーの前ではつい素が出てしまう。
「お眠なの?」
「ん……」
「一緒に寝る?」
「寝たい……えっ」
彼女の提案に、耳を疑う。幻聴かなにかか?
「ブランケット、持ってきたの。お昼寝しよ?」
フィーはバスケットからブランケットを取り出すと、ふんわり僕の身体にかけた。
「このブランケット、お花のモチーフを編んで、繋げて作ったの。暖かいでしょ」
「フィー?」
「何?」
「なんでそんな可愛いことするの」
僕は彼女を抱き寄せると、一緒のブランケットに包まった。
「べ、ベル……!」
思っていたよりも身体が密着し、自分でこうしておきながら、ドキドキした。
「本当好き……尊い」
「えっえっ、わ、わたしも」
「フィーはなんでも器用にこなすね」
ブランケットの中で彼女を抱きしめる。あったかい。
「ピクニックも手作りサンドイッチも、ブランケットも……ちょっと庶民的すぎるかなって思ったんだけど……気に入ってくれて良かった」
「むしろ、それだから良いんだよ」
フィーの首元に顔を埋める。
「ひゃっ、あ、あの、近い……」
「あんなに積極的だったくせに、何を今更」
「〜っ!」
「ねぇ、フィー。大好き」
「わたしも、ベルのことが大好きだよ」
そう聞いて、僕は甘い恋人の匂いに包まれながら、意識を手放した。
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