第22話 人は、古代の彫像のかけらを巨額の金を出して購入し、

人は、古代の彫像のかけらを巨額の金を出して購入し、身近に置き、他人にみせびらかし、果ては模造品を作らせたりすることには熱心だが、歴史が我々に教えてくれる古人の気高い行為についてなると、同じような敬意を払って来たのだろうか。


人々は、歴史上の人物が祖国のために尽くした行為については賞賛し、感心はするが、真似しようとまではしないのが、一般的である。


私には、この種の傾向は、それを真似した場合の利益を考えると残念でならない。

この傾向は、キリスト教の悪影響によると思う。

なぜなら、古代人は、それが良くても悪くても、「野望」というものに相応の敬意を払ったが、キリスト教では、「野望を抱くこと自体が悪」だったからである。


「政略論」


イタリア・ルネサンスの本場フィレンツェ共和国に生きたマキアベリ氏の観察である。

当時のフィレンツェ人の生活を見るようで、なかなか興味深い。

ガラクタであろうが、古代の彫像らしければ、カケラであっても手に入れて、自慢合戦でもしたのだろうか。

実利主義のマキアベリ氏からすれば、「おもちゃを自慢し合う子供」としか、見えなかったのではないか。(そんなことをするより、古代人の高貴な精神性と行動を見習えとも語っているが)


また、当時の政治的・精神的世界の主軸キリスト教(実はローマ教皇庁)への批判も、面白い。

「絶対的服従と忍耐」を強いて来るキリスト教に対して、マキアベリ氏は、一歩も引いていない。(これも、イタリア・ルネサンス本家フィレンツェ共和国の理性と精神なのか)


古代彫像収集と見せびらかし、キリスト教への忍耐と服従よりも、「フィレンツェ市民として」

気高い行為を行い、祖国に尽くせが、この警句の本質と思う。


ただ、現在日本では「祖国に尽くす=軍国主義復活=悪」とする、短絡的思考の人が一定数存在する。

問題は「祖国に尽くさないことが善」が主流となった場合、その国を狙う近隣国の「思うつぼ」になるのが、歴史上に多いことである。

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