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  • 第5話 目的への応援コメント

    「【読み合い&読み専大歓迎】⭐️❤️レビューコメント欲しい奴ら集まれぇぇえええぇい!!」から来ました。
    この作品から私が感じ取ったものについて書かせてください。
    少し長文になりますがお許しください。


    タイトルの「でんしゃにのるな、くわれる──」から、惹きつけられるものがありました。

    平仮名だけの言葉が作品の顔として置かれていて、読みはじめる前から、もう警告のようにも、子どもの落書きのようにも、都市怪談の入口のようにも見える。その不安定さがとても印象に残りました。

    素直にホラーとして読み進めると、引き込み方はとても分かりやすく怖いです。

    面接に向かう春の朝
    いつもと変わらない駅
    いつもと変わらない電車
    オレンジジュースを勧める男性乗組員の笑顔
    小さく落とされる「飲むな」という声
    番号を告げて、女性乗組員の前から消えた老人

    異変が一つずつ積み重なっていくなかで、気づいたときには少女は電車の中で一人になっている。
    この積み方は自然で、最初はそのまま引っ張られて読みました。

    読み返すと怖さの場所が少し変わります。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。終盤にも少し触れます。

    まず、冒頭の警告メールです。

    「でんしゃにのるな、くわれる」は、たしかに少女に届いています。届いている。少女にはそれを本当の警告として受け取る条件がない。平仮名だけの不審な文面で、知らないアカウントから来たメッセージなら、迷惑メールと判断してブロックするのは自然なことです。少女は間違えていない。あの時点の少女には、あれを信じる理由がありません。

    だから終盤で同じ文章が男性のスマホに表示されたとき、感じるのは「伏線が回収された」という気持ちよさだけではありませんでした。

    回収されたのは、警告が信号として受け取られなかったという事実のほうです。

    助けようとする意志は最初からあった
    送ろうとした側はちゃんと送った
    でも少女には信号として届かなかった

    そのすれ違いだけが残る感じです。

    これは後の展開全体を貫くものと重なっていて、タイトルの時点で、もうその予告が起きていたのかもしれないと思いました。

    身体の話も、強く残ります。

    施設の人たちは優しかった、と少女は言います。優しすぎるくらいに、丁寧に扱ってくれた。でも少女は怖いと感じる。自分でも理由が説明できない。「一般的な人々の感覚とはかけ離れているのだろう」と、少女は自分の反応を自分の問題として処理しようとする。

    そして第3話、電車の中での場面です。
    「身に覚えがないのに、身体が覚えている」
    同じ感覚が繰り返されます。
    頭では知らない。
    記憶としては持っていない。
    でも身体は、「もう二度と感じたくなかった感情」を保持している。

    後で明かされる記憶改竄のことを思うと、この場面はとても重要に見えました。改竄されたのは意識の上の記憶であって、身体側には、書き換えられる前の何かが残っていた。そう読めます。改竄を逃れた、ほとんど唯一の内側の痕跡として、恐怖だけが身体に刻まれている。

    この身体の証言を、少女自身は読めません。

    施設への怖さも、電車での恐怖も、その意味を少女は自分の力では説明できない。それが何を意味するのかは、男性乗組員が説明することで、はじめて輪郭を持つ。最も内側に残っていたはずのものでさえ、外から説明されないと少女に届かない。

    ここに、人食い列車とは別の、怖さを感じます。

    それからもう一つ、読み返すほどに気になることがあります。

    少女は、電車に乗る前から、すでに怪異の後を生きていたのだと思いました。

    「両親は交通事故で死んだ」
    「自分は施設出身だ」
    「この恐怖に身に覚えはない」

    少女がそう信じている自己理解の出発点そのものが、人食い列車という同じ仕組みによって作られたものです。終盤で明かされる通り、両親は電車の中で喰われた。少女は窓から放り出された。そして世間に溶け込む妖怪によって、「車での衝突事故だった」という記憶に上書きされた。

    つまり、少女が「自分の来歴」として持っているものの土台が、すでに改竄の後にあると思います。

    面接に向かう春の朝、朝蓮駅の改札を通る少女の日常は、まだ何も起きていない日常ではなく、一度何かを消されたあとの日常だったのだと思います。美術部の温かい居場所や、先生に卒業する姿を見せられなかったという心残りも、それ自体が嘘というより、改竄された自己理解の上で語られている。少女が自立へ向かおうとしているその足場から、すでに作り直されていた。

    ここはかなり残酷でした。

    男性乗組員の立ち位置も、複雑な残り方を感じました。

    彼は「僕はあなたの敵です。本来は、僕があなたを食べる役割でした」と言って、その上で「協力してくれるなら、僕はあなたの味方です」と続ける。この宣言は、最後まで完全には消えません。捕食者であることを宣言したまま、助ける側として動く。

    第3話で少女を抱きしめる手は温かくて、少女は涙をこぼす。でもその手は、「本来は食べる役割」だった手です。優しいから信頼できる、敵だから拒めばいい、という単純な分け方を、この人物はさせてくれない印象を受けました。

    そして終盤、「年下には、興味ないので」と代償の要求を引っ込めた直後の彼の表情が、「諦めたような、うまくいかないな、と困ったような、寂しい笑顔」として描かれます。言葉と表情がかみ合っていない。「興味ない」と言いながら、寂しそうにしている。彼がなぜ本当に少女を救おうとしたのかは、両親に頼まれたという理由が示されながらも、最後まで言い切られない感じでした。

    本文はそこを開きません。

    第5話、少女は真実を告げられます。

    「記憶を改竄されています」と聞いて、「脳内にかかっていた靄が、消えていく」。

    でもここで、少女が自分の来歴を受け止め直す時間は長く置かれません。両親が本当はどう死んだのか。なぜ自分は生き残ったのか。改竄の前に、自分は何を見ていたのか。それを考える場面が来る前に、物語は「逃げなさい」「コクリと頷いた」「後日、少女は無事に帰ってきた」へ進んでいきます。

    真実は渡される。
    その真実を自分の来歴として引き受ける時間は渡されない。

    それに「靄が消えていく」という描写そのものが、受動的です。少女が自分で靄を払うのではなく、男性の説明が届いたとき、靄が消えていく。真実を知るという経験でさえ、外から来る説明を受け取ることとして置かれている。

    第4話のパニックの場面で、少女は「なんで、わたしだけ?」と繰り返します。

    「親も、親族も奪われ、居心地の悪い所に放り出され、挙句の果てに、殺されそうになっている」

    その問いの切実さはかなり直接的です。

    そして第5話で、その問いに答えるものが置かれる。両親は命がけで少女を窓から投げ出した。少女が生き残っているのは、その行為の結果です。「なんで自分だけ」という問いへの答えは、「あなたのために親が死を引き受けた」ということになるはずです。

    でもこの二つが、少女の内側で接続される場面は来ない。第4話の「なんで」と第5話の真相が文字として隣り合っても、少女がそれを自分の中で結びつける時間がない。ここも、少し残るところでした。

    過去の脱出も、今回の生還も、その過程が全部少女の手の中にあるわけではありません。

    過去には両親が窓から投げ出してくれた。でも少女はその記憶を持っていなかった。現在は男性が短剣を抜いて戦闘の準備をして、「後日 少女は無事に帰ってきた」へ飛ぶ。その間に何があったかは書かれていない。少女は朝蓮駅の線路内で倒れているところを発見される。助かった。どうやって助かったかの全体を、少女は知らない。

    警告も、保護も、記憶改竄の告知も、身体の痕跡の読解も、逃亡命令も、すべて外から届く。少女の意識的な了解を経由する前に、結果として届く。少女はそれを確認しきれないまま受け取るしかない。

    この作品を「電車ホラー」や「記憶改竄もの」だけに括れないとしたら、おそらくここが理由だと思います。

    末尾も印象に残ります。

    「これからの人生、ずっと逃げ続けなければいけません」と告げられる。一方で、「電車が朝蓮駅に訪れることはなかった」とも書かれる。この二つは並んでいるけれど、完全には繋がっていない。電車が来なくなったことが、逃亡が終わったことを意味するかどうかは分からない。世間に溶け込む妖怪はまだいる。何から逃げているのか、どこへ逃げれば終わるのかは、決まっていない。

    そしてここで、語りの主語が「私」から「少女」に変わります。

    一人称で語ってきた少女が、最後の場面だけ三人称で語られる。「朝蓮駅の線路内で倒れているのを発見された」という出来事が、まるで他人の報告のように書かれる。生還の瞬間だけ、少女が自分の外側から描かれる。ここも少しひっかかりを感じました。

    「少女は無事に帰ってきた」は、完全な安心として読めませんでした。

    生きて帰っている。でもその先には、何から逃げているのかも分からないまま逃げ続ける時間が続く。自分の来歴を完全には引き受けられないまま。身体の証言の意味は、外から教えてもらってようやく分かった。次に何が来るかも、どこまで逃げれば終わるかも、分からない。

    「生きて帰った」は救済の完了ではなく、確認しきれないものを抱えたまま生きていくことの始まりとして、あの行末に置かれているように読みました。

    ホラーとして引き込まれる作品です。でも読み終えて残ったのは、人食い列車そのものへの恐怖だけではありませんでした。少女が自分の人生のどの部分を、自分のものとして持てているのか——という、静かな問いが残りました。

    タイトルの「でんしゃにのるな、くわれる」は、少女には届かなかった言葉だと思います。

    読んでいる私たちには届く。

    その構造そのものが、すでに何かを言っているような気がします。




    追記として、文章の勉強をされているとのことなので、少しだけ技術面にも触れさせてください。
    あくまで一読者としての感じ方なので、参考程度に受け取っていただければと思います。

    終盤の真相説明はとても重要な場面ですが、情報量が一気に台詞へ集まるため、少女自身がそれを受け止める時間がやや短く感じられました。
    読者としては「真実を知った少女が、そこで何を感じたのか」をもう少しだけ見たくなります。

    また、最後に語りが「私」から「少女」へ変わる部分は、余韻としては印象的でした。
    一方で、一人称で進んできた物語なので、そこに一文だけでも橋渡しがあると、視点の切り替わりがより自然に伝わると思います。

    作品の怖さや発想はとても強いので、真相を説明する場面と、視点が切り替わる場面を少し整えると、読者に届く力がさらに増す作品だと感じました。

    作者からの返信

    隅々までこの物語を読んでくださったからこその、深い考察だと思います。
    特に、『何から逃げていくのか』、そして、『視点の変化』に着目した考察には、舌を巻きました。
    その捉え方もあるのか、と私も学びになりました。
    じっくりと読ませていただきます。

    アドバイスもありがとうございました。参考にさせていただきます。
    もしよろしければ、私の他の作品も考察、アドバイスをいただきたいです。すごく勉強になります。

    編集済