第二章 巫女

第11話 お人好しと鳥

「待って! 理非! まだ、花火だって終わってない!」

「どうして!? 一緒に逃げられさえすれば……!」

「せめて……せめて私を見てッ!」

————————————————————


「ハァッ!」


この時期になると、決まって彼女の夢を見る。


喉の奥に張り付いた叫びを無理やり吐き出し、私は跳ね起きた。


脂汗か、あるいは夏の湿気か。肌にまとわりつく不快な熱を振り払うように、荒い呼吸を整える。


外では耳を劈くような蝉時雨。たまに通る車が鳥を蹴散らし、陽炎の立つアスファルトが人を焼く。


夏の、祭りの時期がまたやってきた。


理非がいなくなって、3年。


以前よりはずっと生きやすくなったはずなのに、胸に空いた欠落は、私の歩むべき目的を失わせていた。


求める答えを知っているのに、二度と会えない。その絶望だけが、古くからの親友のように私の隣に居座っている。


「……そろそろ、掃除でもしましょうか」


誰に聞かせるでもない独り言。言葉に出せば、幻だとしても彼女に届くような気がして。


境内は今も綺麗に保たれている。


けれど、以前はこだわり抜いていた手入れも、今は除草剤に頼り、修理が必要なときは業者を呼ぶようになった。


それでも、早朝の掃き掃除だけは欠かさない。


この神社への敬意であり、自分に課した最後の意地でもあった。


いつも、神社の裏にある竹林に目をやっては、胸がざわつく。


あの中から誰かが飛び出してくるのを、私は今でも待っているのだ。


あるいは、そのためだけに、私はこの場所を守り続けているのかもしれない。


「今日は、あの竹林も手入れしなきゃね……はぁ、めんどくさい」


小屋から剪定鋏せんていばさみを持ち出し、竹林へ近づいた、その時だった。


――ガサガサッ、ガサガサッ!


風もないのに、竹の節々が激しく揺れた。


「な、何!? 理非!? 誰なの?」


期待と不安が混ざり合い、声が震える。その影から姿を現したのは……。


「クエ――――――――――ッ!!」


妙に色彩の鮮やかな、一羽の鳥だった。


「なーんだ、あんたね。もう……心臓に悪いのよ、そこから出るのはやめてって言ってるでしょ」


鳥に言葉など通じないのに、つい文句をこぼしてしまう。


最初に出会ったのは、理非がいなくなった直後だった。彼女の身代わりのように語りかける日々が続き、今さらやめられなくなっていた。


「はいはい、どいて。仕事ができないでしょ」


「クエー――――――――――ッ!」


「……ええ、わかってくれるの?」


しかし、鳥は一向に退こうとしない。


「あなたねぇ……。まぁいいわ。どうせいつも通り、目を離したらいなくなるんでしょ。その隙にやるから、お好きにどうぞ」


「クエ?」


「『クエ?』じゃないわよ。あんたのこと、図書館でもネットでも調べたけど、結局正体不明なんだから。本当に、何鳥なのよ、あなたは」


「クエ……! クエッ、クエ!」


「ハッハッハッ、何言ってるのかさっぱりだわ!」


私が笑うと、鳥は激昂したように羽をバタつかせた。広げると意外なほど大きく、一瞬、野生の威圧感に気圧される。


「わっわっ! ごめんなさいって! えーっと、じゃあ……お昼のお米、食べる?」


「クエ!」


「あ、それは通じるのね」


少し大きめに握ったおにぎりを差し出すと、鳥は嬉しそうにそれを突き、がっついた。


「……じゃあ、ごゆっくり。私はお祭りの準備に行ってくるから」


私は鳥に背を向け、町へと降りていった。


祭りの準備期間は今日から一週間。3年前までは、この神社の巫女である私――八雲花灯がすべてを一人で取り仕切っていたが、今はだいぶ楽になった。


備品を管理してくれる人が現れ、私の仕事といえば、パトロールやちょっとした困りごとの解決くらいだ。


それでも、町の人たちは今も私を温かく迎えてくれる。


「花灯ちゃん!」


「あ、八百屋さん。どうしました?」


「いやぁ、また祭りの準備でさ。ちょっと手伝ってほしいことがあってね」


「また重い荷物の運び出しでしょう?」


「はは、バレたか! 悪いね、助かるよ」


最近は自分を削るのではなく、「みんなと」協力することを大切にしている。


自分からそう変えたつもりだったが、町の人もそれを察してくれているようで、神社へのお参りに来る人も増えていた。


「ありがとう花灯ちゃん! 本当に助かったよ」


「一度に溜め込まないで、少しずつ片付けてくださいね」


町を回り、事件もない平和な一日。子供たちの面倒を見たり、時にはしきたりで禁じられている遊びに少しだけ付き合ったり。


良いことをした日くらい、バチは当たらない。


そう自分に言い聞かせながら、日が暮れる頃、私は神社への帰路についた。


「花灯ちゃん」


呼び止めたのは、時計屋の店主だった。


「またシャッターの調子が悪いんですか?」


「いやいや、そうじゃない。……花灯ちゃんも、もういい年頃だろ。結婚だって考えられる時期だ」


「……今は巫女ですので、そういうのはノーコメントです」


冗談めかして返したが、店主の目は真剣だった。


「そうじゃなくてね。みんなで話し合ったんだ。花灯ちゃんが今まで一人で背負ってきたことを、これからは大人たちが引き受けることにした」


「えっ……どうして?」


「君にだって夢があるはずだ。都会に出て、遊んで、幸せな家庭を築く……。だから、もう今年で、その役目を僕らに任せてはくれないかい?」


嬉しい申し出のはずだった。けれど、胸の奥が激しく警鐘を鳴らす。


ここを離れる? 理非との繋がりである、この場所を?


「……少し、考えさせてください」


「どうしてだい? 前はあんなに東京に行きたいって言っていたじゃないか」


「急に言われて、びっくりしてしまって。……この祭りが終わるまで、返事は待ってください」


「わかったよ。誰も急かしてはいない。ゆっくり決めたらいい。また明日ね」


逃げるように走り出したのは、いつ以来だろう。


自分でも正体のわからない焦燥感に突き動かされ、境内に辿り着く頃には、太陽が山に半分沈んでいた。


竹林に近づいても、あのカラフルな鳥の姿はない。うるさい鳴き声も聞こえない。


ただ、得体の知れない予感に指先を引かれるように、私は竹林の境界へと歩み寄った。


奥から、誰かが来る。


本能的な恐怖、あるいは直感。向こうの誰かに、切れかけの息を抑えながら、叫ぶように問いかける。


「……理非?……それとも、鳥なの?」


――ガサガサッ、ガサガサッ!


竹林が大きくしなり、割れる。


向こう側に、自分と同じくらいの背丈の人影が見えた。


影は竹を押し除けるように進み、目前の一本に白く細い手をかけた瞬間、その姿を現した。


沈みきった太陽が、辺りを深い闇へ突き落とす。


代わって昇った月明かりが、その人物の輪郭を冷酷なまでに鮮明に描き出した。


始まるのだ。理非を失った、あの狂乱の一週間が、再び。


「こんばんは。確か……花灯、だったわね。覚えているかしら? 私は……」


「あなたは……!」


口をついて出た言葉が、その女の声と重なった。



「「イツキ・マイ」」

 

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