第2話「荒れ地に種を蒔くエルフ」

 村の外れに向かうにつれて、足元の土は少しずつ赤茶色に変わり、歩くたびに乾いた砂埃が舞い上がるようになった。

 村を囲む粗末な木柵を越えると、冷たい風を遮る建物がなくなり、体感温度がさらに数度下がる。

 見渡す限りの荒野が広がり、ひび割れた地面には枯れ草すらまばらにしか生えていない。

 彼は肩をすくめ、麻の服の襟元をしっかりと握りしめながら、荒野の奥へと歩みを進めた。

 商品を並べるためには、まず何よりも安定した仕入れ先を確保しなければならない。

 村の市場で見たあの痩せ細った芋だけでは、客の腹も心も満たすことはできない。

 周辺の土壌の状態や、自生している植物の種類を把握することが、今の彼にとって最優先の課題だった。

 乾いた土を靴底で踏みしめる音だけが響く中、不意に視界の端に異質な色彩が入り込んだ。

 赤茶色の風景の中で、そこだけが鮮やかな生命力を放っている。

 深い森の奥底を思わせる、濃く美しい緑色の髪だった。

 髪の持ち主は、ひざまずいて乾いた地面に両手をつき、懸命に何かを行っている女性だった。

 彼女の肌は透き通るように白く、尖った長い耳が緑色の髪の隙間から覗いている。

 絵物語の中でしか見たことのない、エルフと呼ばれる種族の特徴そのものだった。

 彼は足音を殺し、少し離れた場所から彼女の様子を静かに観察する。

 彼女の着ている貫頭衣のような服は泥にまみれ、美しいはずの髪にも無数の砂ぼこりが絡みついていた。

 彼女が両手を地面の土に軽く触れると、指先から淡い緑色の光が水滴のようにこぼれ落ちた。

 光は乾いた土の中に吸い込まれ、土の表面がわずかに波打つような錯覚を起こさせる。

 次の瞬間、土の中から緑色の小さな芽が勢いよく顔を出した。

 芽は目に見える速さで茎を伸ばし、葉を広げ、植物としての形を急速に整えていく。

 それは魔法という未知の現象だったが、彼の目はその先にある残酷な現実を冷静に捉えていた。

 急激に成長した植物は、葉の色が次第に薄くなり、やがて黄色く変色し始めたのだ。

 水分と養分を使い果たした茎は自らの重さを支えきれなくなり、ポキリと乾いた音を立てて折れ曲がった。

 魔法の光が消え去ると同時に、植物は完全に干からびて土の上に崩れ落ちる。

 エルフの女性は力なく肩を落とし、乾いた土の上に両手をついたまま動かなくなった。

 彼女の肩が不規則に上下に揺れ、荒い呼吸の音が風に乗ってここまで聞こえてくる。

 額からは大粒の汗が流れ落ち、白い頬に泥の筋を作っていた。

 彼は静かに息を吐き出し、彼女に向かって歩き始めた。

 乾いた土を踏みしめる足音が近づくと、彼女はびくっと肩を震わせて振り返った。

 澄んだ湖のような青い瞳には、警戒心と深い疲労の色が入り混じっている。


「誰……人間の村の者か」


 彼女の声はかすれていたが、どこか凜とした響きを持っていた。

 彼は敵意がないことを示すように両手を軽く広げ、彼女から少し離れた距離で足を止めた。


「怪しい者じゃない。少しこの辺りの土を見て回っていたんだ」


 彼女は警戒を解かないまま、自分の足元にある枯れた植物の残骸を隠すように体を動かした。


「ここには何もない。人間の農業を見よう見まねでやってみたが、私の魔法をもってしても、この土地は命を拒絶している」


 彼女の言葉には、何度も失敗を繰り返してきたことへの強い挫折感が滲み出ていた。

 彼はゆっくりとしゃがみ込み、彼女のすぐそばにある乾いた土をひとすくい手に取った。

 指先でこすると、土は砂のようにさらさらと崩れ落ちていく。

 そこには湿り気も、土特有の豊かな匂いも、虫や微生物が活動している気配も一切なかった。


「命を拒絶しているわけじゃない。ただ、植物が育つための土台がないだけだ」


 彼は手のひらに残った土を払い落とし、彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「君の魔法は、植物の成長速度を劇的に引き上げる素晴らしい技術だ。でも、どれだけ車のアクセルを踏み込んでも、ガソリンが入っていなければエンジンはすぐに止まってしまう」


「車の……アクセル? 何を言っているのか分からない」


 彼女は顔をしかめ、不思議そうに首を傾げた。

 彼は小さく苦笑し、異世界にふさわしい言葉を選び直す。


「ごめん、こちらの言葉だ。つまり、植物が育つためには、水と日光だけでなく、土の中の栄養が必要なんだ。この土は痩せ切っていて、植物が根を張って食事をするための養分が完全に空っぽになっている」


 彼は立ち上がり、周囲の荒野をぐるりと見渡した。


「魔法で成長を急がせれば急がせるほど、植物は短時間で大量の養分を必要とする。でも土にそれがないから、結果的に餓死してしまうんだ」


 エルフの女性は目を見開き、自分の足元にある枯れた植物と彼を交互に見比べた。


「土に、養分……。森にいた頃は、種を蒔いて魔法を使えば、それだけで果実が実っていたのに」


「深い森の土は、落ち葉や動物の気配が長い年月をかけて蓄積された、栄養の塊のような場所だからね。ここは違う」


 彼は再びしゃがみ込み、彼女の目線に合わせて話しかけた。


「俺に少し時間をくれないか。この土に栄養を混ぜ込み、水が逃げないように改良する方法を知っている。俺の土作りの知識と、君のその植物を育てる魔法を組み合わせれば、この荒れ地を最高の農地に変えることができるはずだ」


 彼女は戸惑ったように視線を泳がせた。

 人間に対して深い警戒心を抱いているのは明らかだった。

 しかし、彼女の視線が再び枯れた植物の残骸に落ちたとき、その瞳の奥に小さな決意の光が宿るのを彼は見逃さなかった。


「……私の名前はエララだ。森を追われ、行き場のない身だ。あなたの言う方法で本当に作物が育つなら、私の魔法を貸そう」


「俺はサトルだ。これからよろしく頼むよ、エララ」


 彼は差し出された泥だらけの白い手を、しっかりと握り返した。

 エララの手は見た目の華奢さとは裏腹に、土と格闘してきた証である固いマメがいくつもできていた。

 その感触から、彼女がどれほど真剣にこの土地と向き合ってきたかが伝わってくる。

 冷たい風が二人の間を吹き抜けていったが、彼の手のひらには確かな熱と、これからの商売に向けた確かな手応えが残っていた。

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