第21話 明け方の不穏 幼馴染の影


 雨音に気付いて、明け方に僕は目覚めた。

 今日は折角の休日だというのに、どうやら天気が悪いようだった。


「……う~ん♡ ケンタァー……♡」

「…………」


 背中からのしかかっているお姉さんを、僕は抱き枕を身代わりにしてスルリと抜ける。僕の古着で作られたクッションを、お姉さんは『キュッキュッ♡』と抱え込む。


 ここ数日たっぷり『御奉仕』をしたので、眠りが深いようであった。少しぐらいならベッドを空けていても、気付かれないだろう。


(……ふふっ)


 僕もベッド脇に腰掛けて、手触りの良い髪をゆっくりと梳いていく。お姉さんが目覚めるまで、こうしていたいと思える心地良さだった。


 僕の足の鉄球は、ようやく外されていたのだった。


(この部屋で一緒に眠るようになって、十日くらい……長かったなぁ)


 ……お姉さんの痴態を肯定するわけではないが、恋人を受け入れるのも彼氏の義務である。

 僕が向き合ったことでお姉さんも満足してくれたのか、仕事には真面目に向かってくれるようになった……やはりお姉さんは、おまわりさんである。


 そして本日は二人の休日ということで、お姉さんはお風呂の後で足枷を外してくれたのだった。


 今日は溜まっていた家事仕事を二人で片付けて、念願のデートである。ホムンクルス認定バッチを受け取るために、ペットショップにも立ち寄るのだ。


(ふふふっ……♪)


 ずっと寝室で監禁されて過ごすのかと不安だったが、やはり杞憂であった。

 お姉さんは大人の女性で、ただ少し浮かれていただけなのだ。


 これからは『ペット』ではなく、『恋人』としてお姉さんと過ごせるのだ。

 新しい日常が始まる期待感に、僕も胸が躍っていた。


(久しぶりに朝食をしっかり作ったら、お姉さんも喜んでくれるかなっ♪)


 朝のジョギングは中止だろうが、それはまた今度でいいだろう。

 食後に膝枕をして他愛のない雑談で盛り上がる……二度寝をしてサボっても、今日は二人の休日なので許されるのだ。


 足枷もなく、お姉さんと一緒に家の中を歩ける……自由とは、何と素晴らしいことか。


(起きたら交代でシャワーを……い、いやっ、僕から誘ってみようかな? け、けどガッツキ過ぎだって嫌われちゃうかも……?)


 ぶんぶんと首を振って邪念を払っていると、寝返りを打ったお姉さんの胸元が見えた。

 僕が自分で付けた『跡』があるが、誇らしげに直視するのは躊躇われる。


 慌てて目を逸らした僕は誤魔化すように、寝室を見回す。薄暗い室内だがバケツは片付けられて、鉄球はベッドの下に仕舞われている。僕の裁縫道具が机の上を占領していたりするが、これも整理しなければいけないだろう。

 ここは、二人の寝室なのだ。


 ――だがそこに、僕は一つの違和感を覚えた。


「……あれ?」


 唯一の出入り口である扉が半開きになっていて、僕は首を傾げた。

 カギも内側から、ドアノブに刺さったままになっている。


(昨日、お姉さんが鍵を掛けて机に仕舞っていたよね……?)


 両側から鍵を掛けられるタイプのドアノブは、この世界では一般的とのことである。カギを失くしたら不便だが、扉ごと引き抜いたり、窓から出入りもできるので大した問題ではないらしい。

 自分の居場所を自己管理できているという、安心感が大事なんだそうだ。


 だが机の中のカギになど、僕は触れた記憶はない。

 お姉さんが僕が寝てから開けて、忘れていたんだろうか……?


「……あっ、そうか。ベランダ……」


 僕は頭に電球が浮かんで、納得した。


 雨の気配を感じて、お姉さんが洗濯物を取り込んでくれたのだ。そのまま布団の中に入り込んで、眠ってしまったのだろう。


 『部屋から勝手に出てはいけない』ときつく言われていたが、廊下に衣服が投げ出されていないか気になって、僕は扉から外に出る……これも僕のお仕事だろう。すぐに戻れば、怒られるわけなんてない。


 ――だが廊下にあったのは、思いもよらない存在だった。


「…………んんっ?」


 てっきり服が丸まっているように見えたが、違った。

 それは、ただの人形だった。


 ポチ二号が床に伏せて、カーテンに頭を突っ込んでいた。


 ……その黒い片目に何か、キラキラと光る物が映りこんでいる。


「…………」


 ……嫌な予感を覚えながら僕も屈んで、カーテンをそっとめくった。

 ガラス戸の先……ベランダには、さらに何かが落ちている。


 ――卵の、殻


「…………あっ」


 そこに人影が現れた気がして、僕は尻もちを付いた。


 実際には濡れた衣服が柳のように揺れているだけで、ベランダには誰もいなかった。空も曇り模様で、太陽も顔を出していない。小雨が降り続いている。


 こんな日なら外出などせずに、二人っきりで寝室でも……。


「――えっ?」


 だがこんな早朝の屋外で、僕の眼は動く存在を捉えた。

 庭先の道で踵を返して、駆けて行く人影を。


 厚く衣服を纏ってフードも被っている後ろ姿を誰かなど、判別できるわけない。

 だが不意にその横顔が見えて、ニヤリと口角が上げられる……僕は、その人物が何かを呟いたことが窺い知れた。


 絶対にそんなわけはないのに、その独り言が頭の中に響く。


 ――いたわね、健太


「…………あ、あっ、あっ」


 ――カチッ、カチ、カチカチカチ……。


 恐怖に歯をかち合わせて……僕はようやく、己の身の程を悟った。

 ホムンクルスなどと認められて、天狗になっていたことを。


(この世界は、違うんだ……)


 ――僕は自分が幼馴染よりも上だと気取って、調子に乗っていたことを理解した。


 この世界は、シンデレラがカボチャの馬車に乗ってガラスの靴を履けるような……夢溢れる、御伽噺のような世界ではなかった。

 人間はペットに過ぎず、支配者は獣人なのだ。


 ――僕が大手を振って生きていられるのも、すべてはご主人様のおかげなのだ。


(お姉さんが留守のときに、誰かが家にやって来たら……)


 お姉さんが僕を守ってくれているおかげで、僕は周囲に受け入れられてもらっているのだ。

 僕自身がいくら賢かろうと、所詮は非力な生き物に過ぎない。


 ――お姉さんの庇護なくして暴力に晒されたら、僕はひとたまりもないのだ。


「た、助けて……い、一心が家の中に入ってきて、ぼ、僕を殺しにっ……!!!」


 きっと彼女の主人のイケメンが、手引きをしているに違いない。

 己の面子を潰された復讐に、幼馴染を使って悪いことを企んでいるのだ。


 僕は寝室に逃げ帰ってご主人様に縋りつき、涙ながらに懇願したのだった。どうか僕を見放さずに、守って欲しいって。



 ――だが結論から言うと……お姉さんの反応は、芳しいものではなかった……。

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