第二章 再来する憎悪
第8話 颯真の糸
颯真はベッドの上で目をさました。
見慣れた天井。ゆっくりと顔を横に向けると、テーブル、テレビ、壁に掛かったカレンダー。目に映るのはいつもと同じ自分の部屋だった。
颯真は大きく目を開け勢いよく起き上がった。
夢? いやそんなはずはない。
頭を抱えて記憶をたどった。亜月との朝の会話、教習所での出来事、SOH’s、カラオケ、敦裕と咲世……全部憶えている。炎と煙、その中から現れた異様に細い男。そして――
颯真は慌ただしくテーブルの上にあるスマホを取り、亜月に電話した。
ワンコールで電話は繋がった。
「おはよう。ちゃんと起きれたね」
「えっ?」
「え、じゃなくて」亜月の声が弾んだ。「大丈夫? 寝ぼけてる?」
「あの……」颯真は混乱した頭で言葉を探した。「昨夜のことだけど……」
「昨夜? 昨日なんかあったの?」
「なんかあったのって……あったよな?」
亜月の笑い声が電話から聞こえてきた。
「そう言われてもねえ……昨日は会ってないし。お互い仕事だったでしょ?」
昨日は仕事?
颯真はスマホを耳から離し画面を見た。時計は土曜の朝を示していた。敦裕たちとカラオケに行く、その当日の朝だ。
「颯真? 聞いてる?」
「う、うん、聞いてる」颯真はスマホを耳に戻した。
「どうしたの? 飲みすぎた?」
「うん。いや違う、金曜は飲んでない」
「変なの」
口を尖らせた亜月の顔が目に浮かぶようだった。
「午前中は教習所でしょ?」
「うん、教習……所」
「私、先に『SOH’s』に行ってるね。お昼にオムライス食べるんだ」
亜月が嬉しそうな声で言った。
「あ、うん、そうだ、そうだったね」
「大丈夫? 具合悪いの?」
「いや、全然」
「そっか。じゃあ後でね。路上教習、気を付けてね」
「なあ」
電話を切ろうとした亜月を颯真が呼び止めた。
「亜月は、大丈夫なんだよな?」
「ん? 今夜のこと? 私は大丈夫だよ。それより咲世ちゃんが心配。今日も出勤だよね」
「いやそうじゃなくて……」
颯真は自分が何を言いたいのか分からなくなってきた。
今、俺は何の話をしてるんだっけ。
「いや、いいんだ。向こうは大丈夫だと思う」
電話を切った颯真はスマホをテーブルに置くと、頭の整理がつかないまま洗面台の前に立った。そして鏡に映った自分の姿を見て思わず顔を近づけた。
額に乾いた血の跡、そしてその周りが薄くあざになっている。よく見れば服装も上から下まで教習所に出掛けた時と同じだった。
額の怪我も着てる服も、どちらも昨夜の記憶につながっている。
「なんだこれ、どういうこと?」
その時、ジーンズの後ろポケットに何かが入っていることに気づいた。颯真はポケットに手を入れてそっと引き抜いた。
その手にはスマホが握られていた。
颯真は弾かれたように部屋に走り、テーブルの上にあるスマホを手に取って二台を見比べた。左はついさっき亜月と会話したスマホ。右はジーンズのポケットに入っていたもの。
どちらも同じ機種、同じカバー、それにアイコンの配置までまるで同じだった。
颯真は左手のスマホをテーブルに戻すと、恐る恐る右手にあるスマホに触れた。画面に明かりが灯り、顔認証が走ってロックが解除された。
両方とも自分の端末だ。
なぜ同じものが二台ある? このスマホは何だ。
着信履歴を表示すると亜月の名前が連なっている。どれも覚えのある履歴だった。
颯真は一番上にある亜月の名前を押した。
コールが二回、三回と続く。四回、五回――
「そ、颯真?」
「亜月か?」
電話から亜月の嗚咽が聞こえてきた。
「亜月だよな」颯真は思わず大きな声をあげた。
「うん」
「無事なんだよな」
「うん」
「昨夜……いや今夜、俺たちは……」
うまく言葉がつなげない。言いたいことが正しい順番に並ばない。颯真は泣きじゃくる亜月をなだめながら、混乱する頭をどうにか言葉と噛み合わせようとした。
亜月は困惑したまま少しずつ話し始めた。
自分の部屋で目がさめた亜月は、颯真と同じくカラオケでの出来事、それまでに起こった今日一日の出来事を全て覚えていた。
亜月はデスクに置いてあるいつものスマホですぐに電話をかけた。電話に出た颯真は昨日までと何一つ変わらなかった。昨晩のことなどまるでなかったかのように、少し寝ぼけた声で今日のことを話した。
電話を切ったあとも事態が飲み込めず、しばらくはその場に茫然としていた。するとどこかで電話が鳴った。手に持っているスマホではない。
もう一台、別のスマホがどこかで鳴っていた。
「俺も亜月もスマホが二台あって、それぞれが違う俺たちに繋がった」
「ねえ。どういうこと?」亜月は泣きながら笑った。
「分からない」颯真はそう答えるのが精一杯だった。
「さっきのが別人だなんて、絶対そんなことない。さっきの颯真だって颯真だった。私、わかるもん。絶対に颯真だった」
それは颯真も同じだった。偽物などではない。あれは亜月だ。高校三年のあの日から、ずっと一緒にいる亜月だった。
「私、どうすればいいの」亜月が言った。
「よく分からない。とにかく、いまからそっちに行く。亜月は部屋から動くなよ」
亜月が分かったと応えると、颯真は二つのスマホを持って部屋を飛び出した。
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