第190話:大富豪たちの空輸チョコと、ヒグマの迎撃
第190話:大富豪たちの空輸チョコと、ヒグマの迎撃
小春ちゃんからの手作りバレンタインという、甘酸っぱい青春のイベントが限界集落を通り過ぎた翌日。
十勝の空は、抜けるような青空と突き刺さるような冷気に包まれていた。
氷点下十五度。
昨日までの猛吹雪が嘘のように晴れ渡った空の下、古民家の庭では、神獣シロ様が縁側で優雅に日向ぼっこを楽しみ、その足元ではキタキツネの兄弟が雪と戯れている。
そんないつも通りの平和な冬の午後。
突如として、十勝の静かな空気をビリビリと震わせるような、凄まじい重低音が上空から響き渡った。
ゴゴゴゴゴゴゴォォォォォッ!!!
「お、お兄さん! なんですかあのものすごい音は!?」
雪かきをしていた小春ちゃんが、空を見上げて素っ頓狂な声を上げた。
見上げれば、青空を切り裂くようにして、ドバイ王室の紋章が入った超大型の軍用輸送機と、ハリウッドから飛来したと思われる真っ黒なステルス爆撃機が、限界集落の真上を低空で旋回しているではないか。
そして次の瞬間。
輸送機と爆撃機のハッチが開き、上空から無数の「何か」がバラバラと投下され始めた。
パラッ……フワァァァッ。
青空にパッと花開いたのは、赤や金、ピンク色に染められた数百個もの小型落下傘(パラシュート)である。
そのパラシュートの先には、宝石箱のようにキラキラと輝く特注の高級ボックスがぶら下がっていた。
ジンバルに固定されたスマホの画面の向こう側、五千万人のリスナーが接続する生配信のチャット欄が、狂気のような速度で流れ始めた。
ピコーン! ピコーン! ピコーン!
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『"Shiro-sama! Yesterday I was defeated by Koharu's handmade chocolate! But today is different! I had a three-star chef make ultra-luxury miracle chocolate with ZERO theobromine, 100 percent safe for animals! Please eat it all!"(シロ様! 昨日は小春の手作りチョコに出遅れてしまった! しかし今日は違う! 三つ星シェフに作らせた、テオブロミン・ゼロ、動物に百パーセント安全な超高級ミラクルチョコだ! 心ゆくまで食べてくれ!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)無限連発』
『"Akiya! Don't you dare monopolize it today! I air-dropped 5 tons of pet-safe luxury truffles! Shiro, enjoy the taste of Hollywood's ultimate capital!"(アキヤ! 今日こそ独り占めは許さないわよ! ペットも安全な高級トリュフを五トン空挺投下したわ! シロ、ハリウッドの究極の資本の味を楽しんで!)』
画面全体が数千億円規模の電子マネー(赤スパ)で真っ赤に燃え上がる。
昨日、俺が「動物にはカカオが猛毒だ」とロジスティクス的な限界言い訳をして小春ちゃんのチョコを一人で咀嚼したことにブチギレたVIPたちが、意地とプライド(と莫大な資本)をかけて、「動物でも安全に食べられる超高級チョコ」を空から絨毯爆撃してきたのだ。
パラシュート部隊は、十勝の風に流されながら、我が家の庭を目指してゆっくりと降下してくる。
「……ほう。まさか上空からの戦略爆撃を仕掛けてくるとは。これほどの高密度カロリー弾が陣地内に着弾すれば、我が家の兵站(ロジスティクス)バランスは完全に崩壊するな」
俺――アキヤは、首に巻いたOD色の手ぬぐいを締め直し、元・陸上自衛隊需品科としての冷徹な目で上空の脅威を分析した。
だが、俺が迎撃のコマンドを発するまでもなく、我が陣地の「最終防衛システム」はすでに完全自動で起動していた。
『……グルルゥッ!!』
地鳴りのような雄叫びと共に、雪山の中から弾丸のように飛び出したのは、体長三メートルの巨大ヒグマである。
空からゆっくりと降りてくる、キラキラと輝く宝石箱。
そしてそこから漂ってくる、三つ星シェフが調合した動物用の極上の甘い匂い。
野生の嗅覚がその「絶対的なご馳走」を捉えた瞬間、ヒグマの巨体は物理法則を無視した跳躍力を発揮した。
ドバァァァンッ!!
雪を蹴り上げ、高さ数メートルの宙へと飛び上がったヒグマは、空中で巨大な前足を器用に使い、次々と降下してくるパラシュートの箱を「ガシッ! ガシッ!」と見事な手際でキャッチし始めた。
着地しては跳び、跳んではキャッチする。
その動きはもはや野生動物のそれではなく、空を舞う超高機動のミサイル迎撃システム(パトリオット)そのものであった。
「グゥ〜♪」
見事に数百個のチョコ箱を地面に叩き落としたヒグマは、その鋭い爪で宝石箱の蓋をパカッと器用に開け、中に入っていた動物用超高級トリュフを、キタキツネの兄弟たちと一緒に幸せそうにモシャモシャと頬張り始めた。
『うわあああああああ!!! ヒグマの対空迎撃キタァァァ!!!』
『動きが完全にミサイル防衛システムで草www』
『VIPの五トンの高級チョコが、全部ヒグマとキツネのおやつになってるww』
『シロ様、縁側で一歩も動かずに見てるだけww最高すぎるww』
チャット欄が全人類の大爆笑で水没し、世界のネットワークインフラが悲鳴を上げる中、チョコを横取りされた(?)VIPたちもこの光景に即座に反応した。
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『"What an overwhelming kinetic interception capability! The bear's physical assets are immeasurable! I don't care who eats it anymore! Take my 500 billion yen for this amazing show!"(なんという圧倒的な運動エネルギー迎撃能力だ! あのクマの身体的資産価値は計り知れない! もう誰が食べても構わん! この素晴らしいショーの代金として五千億円を持っていけ!)』
結局、ヒグマの凄まじい身体能力に感動したVIPたちから、さらなる数千億円の赤スパが乱れ飛ぶ事態となり、村長が「ひ、ひぇぇぇ……! クマが空飛んだだけで数千億円……!」と白目を剥いて倒れ込んだ。
誰もが、この世界一豪華でダイナミックなおやつタイムに腹を抱えて笑っているそのド真ん中で。
俺は一人、猛吹雪の止んだ庭に設置したマイ陣地(折りたたみ椅子)に腰掛け、ストイックにタッパーのフタを開けていた。
中に入っているのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられた『氷結玄米』と、自家製の『大豆ミートの超硬質ジャーキー・塩昆布風味』である。
俺は、数千億円の赤スパのまばゆい光と、チョコを頬張るモフモフたちの幸せそうな顔を前にしながら、一切の感情を排した元・社畜の無表情で、大豆ミートを氷結玄米の上にワンバウンドさせ、淡々と咀嚼し始めた。
バリッ、ゴリッ、モグモグ……。
(……ふむ。極低温で乾燥させた大豆ミートの圧倒的な歯応えと、塩昆布のミネラル。過酷な対空迎撃戦の最中において、糖分に頼らず己の自律神経を維持する究極の兵站食だな)
己の肉体という名のロジスティクスを完璧に維持しながら、俺は水筒の冷やしほうじ茶で喉を潤すと、五千万人を突破して世界の防衛産業の常識を破壊し尽くしているカメラにキリッとした真顔を向けた。
いつもの『限界言い訳タイム』の発動である。
「世界中の皆さま、そしてVIPの皆さま。ただの野生動物の捕食活動に巨額の資本を投下して感動しているところ大変申し訳ありませんが、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『数千億円のチョコ空爆を前にしても絶対にブレない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・ミサイルディフェンス完全スルー編ww』
『さあ、この幸せそうなおやつタイムをどうやって需品科の防衛任務にするつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは動物たちの微笑ましいおやつタイムでも、奇跡の身体能力でもありません。上空から無差別に投下された未確認の落下物は、陣地の安全保障を脅かす完全な『空からの脅威』です。ヒグマが空中に飛び上がったのは、陣地に物理的ダメージ(カロリー過多による環境汚染)が及ぶ前に、滞空中の対象物を運動エネルギー(キネティック)弾として直接破壊するための、極めて合理的な『対空迎撃(ミサイルディフェンス)システム』の稼働に過ぎません。彼らはチョコを楽しんでいるのではなく、迎撃後の不発弾(カカオ代替品)を胃袋という名の安全な焼却炉で無害化処理しているだけです。ええ、すべてはただの『イージス・アショア的な陣地防衛』と『危険物の物理的廃棄プロセス』ですね。私が大豆ミートを噛み締めているのも、甘い資本の空爆に惑わされず、確固たる植物性兵站を維持するための、需品科としての徹底した『防空警戒訓練』です」
「んなわけあるかあああ!!!」
ボガァァァァァンッ!!!!
背後から、大木をへし折ったような凄まじい破砕音が響き渡った。
小春ちゃんが、庭の雪に突き立ててあった薪割り用の白樺の丸太を引き抜き、そのまま重量約五キロの『極太・天然木材ハンマー(高密度防空ツッコミ仕様)』として両手で大上段に構え、俺の背中に向かってパーフェクトなフルスイングを見舞ったのだ。
五キロの無垢の丸太が肉体に直撃した、鈍くも大地を揺るがすような恐ろしい大爆音が、十勝の青空へと虚しく響き渡る。
「ただのミサイルディフェンスで、クマさんが口の周りチョコまみれにして『美味しいねー』ってキツネたちと笑い合うわけないでしょうが!! どう見たって、空から降ってきた最高級のおやつを、みんなで仲良くシェアしてる世界一幸せなティータイムでしょうが!! 動物たちの可愛いおやつ時間を、冷たいイージス・アショアとか危険物廃棄とかいう軍事用語で片付けるんじゃないわよ!!」
『小春ちゃんのキレキレ極太丸太スマッシュ炸裂www(音が完全に攻城兵器ww)』
『ミサイルディフェンスシステム(ただの食いしん坊ヒグマのジャンプ)』
『危険物の物理的廃棄(口の周りベトベトにして喜んでるだけ)』
『適応力バグおじさん、ついにバレンタインのチョコ空爆を対空迎撃網に分類しやがったww』
『言い訳が理不尽すぎて、チョコの甘さが一瞬で吹き飛んだわww今日も最高!!』
俺の理不尽極まりない軍事的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ない丸太ツッコミに、五千万人の視聴者たちは大爆笑の渦へと叩き落とされた。
『ミャウ(ほんと、相変わらず丸太で叩かれても直らない特大サイズの屁理屈下僕ね)』
縁側の上から、シロ様が呆れたように俺を見下ろし、その美しいオッドアイの瞳を優しく細めてゴロゴロと喉を鳴らした。
サファイアブルーと琥珀色の二色の瞳は、数千億円の電子マネーの輝きよりも遥かに眩しく、冷たい冬の空気の中でも、まるで世界中のどんな宝石よりも温かく美しく輝いていた。
庭では、俺の限界言い訳など全く聞こえていないヒグマが「グゥ〜♪」と幸せそうに空箱を舐め回し、キツネたちも「キュンキュン!」と満足そうにお腹を見せて雪の上に転がっている。
どんなに莫大な金が動こうとも、彼らにとっては、この穏やかな村の庭で美味しいものを食べることこそが、最高の宝物なのだ。
「……まぁ、理由はどうあれ。陣地上空の制空権が完全に確保され、我が兵站が一切のカロリー汚染を受けることなく完璧に維持されたのなら、作戦としては完全勝利だ」
俺は丸太の凄まじい衝撃で少しだけ痺れた背中をさすりながら苦笑し、晴れ渡る十勝の空を見上げながら、タッパーの氷結玄米と大豆ミートをゆっくりと噛み締めた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすための隠れ家だったはずが、今では世界一美しいオッドアイの神獣と、数千億円のチョコ空爆を仕掛けてくる大富豪たち、そして極太の丸太を振りかぶる女子高生に囲まれた、世界一バグっていて温かい『絶対の聖域』になってしまった。
神獣の魅せる圧倒的な尊さと、元需品科のブレない大豆ミート咀嚼、およびミサイルディフェンスの限界屁理屈。
極東モナコと化した限界集落のバレンタイン翌日は、丸太の快音と大爆笑に包まれながら、さらに強固になった絆と共に、新しい明日という名の白銀のストーリーへ向かって、どこまでも力強く走り出していくのだった。
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